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憲法を侮辱するSCOのFUD

2003/12/08 13:10
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「CODE」「コモンズ」等の著書や「クリエイティブ・コモンズ」などで知られるスタンフォード大学ロースクール教授ローレンス・レッシグ氏のBlogの日本語版。著作権や特許などの知的所有権の問題やオンラインカルチャー関連のトピックスを紹介します。
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しばらく更新がなかったことをおわびしたい。今週わたしたちはiCommonsの発表のために日本に来ているのだ(これについては後ほど)。だが、SCO騒動で悪名高いDarl McBrideのこの途方もない文書を読んで、今朝のミーティングをキャンセルして反論を書きたくなった。

この哀れな訴訟の当初から、Free Software Foundationの顧問弁護士であるEben MoglenはSCOの訴えにはなんの根拠もないと論じていた。彼の議論には説得力がある。だが、この騒ぎがどれほど根拠を欠いているかという根拠が知りたいなら、合憲性についてのSCOの議論を考えてみるといい。

McBrideの議論は合衆国憲法をその根拠としている(まあ、合衆国憲法に似たなにかだ。彼の引用によれば、

議会は次の権限を持つ:科学と有用な技芸の発展を促進するために、オープンソースの唱道者たちによる著作権および特許法に反する主張に関わらず、作者および発明者に限られた期間その作品や発見に対する排他的権利を付与すること。

憲法の起草者たちが「オープンソースの唱道者」の話などしているわけがない。)

彼の主張する通り、議会は「科学の発展を促進する」場合においてのみ著作権を与える権限を持つと憲法は定めている。よって、議会が「発展を促進」しない文脈で著作権を与える場合、そのような法律ははたして合憲なのか否かが問われるだろう(例えば、既に与えられた著作権の期間を後から延長する法律だ。だが、これはひとまず置こう)。

しかし、McBrideのFUDの核となる主張は、フリーソフトウェアおよびオープンソースソフトウェアの主唱者たちは著作権そのものに反対している、というものだ。

彼の主張によれば、「GPLは、その効果において合衆国議会およびEUの定めた著作権法の対極にある」。さらに「レッドハットは議会に対して積極的なロビー活動をおこない、ソフトウェア特許および著作権を廃絶させようとしてきた。」――「問題は明らかだ:選挙によって選ばれた米国およびEUの立法者が定めた著作権、知的財産に対する所有権を支持するのか、所有権の概念を否定する“フリー”――Free Software Foundationやレッドハット他の主張を支持するのか。」――「SCOは、憲法の“科学と有用な技芸の発展を促進”に基づき議会に認められた権限は、本質的に利潤の追求を含むゆえに、このような利潤目的の追求を保護することは憲法上の問題であると主張する。」――「我々は、“科学の発展”は作者および発明者がその成果から金銭的利益を得る権利を断固として保護することで最も実現されると信じる。」

さて、これらの主張をひとつひとつ見てゆくとしよう。

「GPLは、その効果において合衆国議会およびEUの定めた著作権法の対極にある」

RMSはこの言葉を嫌っているが、GPLは米国およびEU法が著作者に与える財産権[property]に依存している。財産権とは、所有する財産を(法に従う限り)どのようにでも使うことができる権利だ。所有物を無償で手放しても$1,000,000で売っても、財産権には変わりがない。また、ソースコードの公開を条件としたライセンスを選択しても、それが財産権であることは変わらない。

合衆国法もEU法も、ソフトウェアの著作権者がどのようなライセンスを選択するかに対して制限を設けていない(この論争とは無関係ないくつかの場合を除く)。これらの法の下では、財産権の保持者はその財産を売り渡すこと、ライセンスを設定すること、公開しないことのいずれをも選ぶ権利を持つ。繰り返すが、どう使うかは持ち主の勝手ということだ。

よって、GPLは議会およびEUの著作権法の目的に完全に合致している。知的財産権の保持者に望み通りのことをおこなう権利を与えるのだ。

「レッドハットは議会に対して積極的なロビー活動をおこない、ソフトウェア特許および著作権を廃絶させようとしてきた。」

では、レッドハットがそのポリシーの声明でなんと言っているか見てみることだ。レッドハットが(そしてこの論争に加わっているまともな誰もが)主張しているのは、ソフトウェア特許は廃止すべき愚かな政策だということだ。だが、レッドハットは著作権を廃止しろなどとは言っていない。

「問題は明らかだ:選挙によって選ばれた米国およびEUの立法者が定めた著作権、知的財産に対する所有権を支持するのか、所有権の概念を否定する“フリー”――Free Software Foundationやレッドハット他の主張を支持するのか。」

おっしゃる通り、問題は明らかだ。ソフトウェアの作者に対して議会が認めた財産権――ソフトウェアを(1)売却、(2)ライセンス、(3)無償で解放、のいずれもおこなうことができる権利――を支持するか否か。本当にこの権利を支持するというのなら、権利を行使するにあたっての所有者の選択を支持しなければならない。

繰り返すが、フリーソフトウェアの権利保有者は、マイクロソフトと同様に(2)の選択肢、つまり所有する知的財産をライセンスすることを選んでいる。権利を売却しているわけでも、無償で手放しているわけでもない。当然、ライセンスの内容はそれぞれに異なっている。フリーソフトウェアはオープン性を要求し、マイクロソフトは(主として)金銭を要求する。いずれにせよ、それぞれの要求を可能にしているものは議会によって与えられた財産権だ。

「SCOは、憲法の“科学と有用な技芸の発展を促進”に基づいて議会に認められた権限は、本質的に利潤の追求を含むゆえに、このような利潤目的を保護することは憲法上の問題であると主張する。」

これはMcBrideの主張全体でもっとも面白い(そして馬鹿馬鹿しい)部分だ。最高裁の判例のどこを見ても、著作権者は著作物を売らなければならないなどとは一切書かれていない。もしサリンジャーが出版を望まない小説を書いたとすれば、著作権法はその小説をしまい込んで永遠に売らない権利を認めている。実際、この法律が罰するのは彼の意志に反してその小説を盗み無許可で出版する側なのだ。動機が「利潤の追求」であろうとなんであろうと。

これもまた財産権の持つ性質によるものだ。財産権とは、そのリソースで何をするかを所有者が決定するという権利だ。Bill Gatesが私財200億ドルをさらなる利潤追求のためではなく、数百万のアフリカの人々の命を救うために寄付しているのは憲法違反だろうか?

このように、著作権の保有者がそれをどんな目的にも行使しないことも完全に許される行為だ。また、無償でそれを手放すこと、つまりパブリックドメインとすることも完全に認められている(そうしたければ、クリエイティブコモンズはそれもお手伝いできる)。しかし、再び強調するが、GPLでライセンスされたソフトウェアは依然として著作権を保持しており、一切の権利を放棄したパブリックドメインではない。

だがMcBrideは、知的所有権を手放す(“利潤目的”で利用しない)ことには憲法上の問題があるとさえ主張する。これは憲法の起草者たちが、販売目的の著作権のみを保護する法律の制定を議会に義務付けていること、つまり利潤目的でない限り知的所有権は正当ではないと定めているという主張に等しい。

しかし、まず第一に、既に述べたように非常に多くの企業が利潤目的でGPLライセンスのソフトウェアを公開している。IBMやHPなどがこのソフトウェア開発モデルを採用したのは、これが他の方法よりも多くの利益をもたらすと判断しているからだ。彼らはこのモデルのみを採用しているわけではなく、すべてのソフトウェアにGPLを適用しているわけでもないが、それが利潤につながる部分にこれを利用している。ゆえに、仮にMcBrideの議論に従ったとしても、GPLの採用はこれらの企業にとって何の問題もないということになる。

そしてより根本的な疑問は、創造の成果を売却または金銭のためにライセンスしようとする著作者の著作権のみが合憲であるという主張の根拠は一体どこにあるのか、ということだ。答えは:「どこにも存在しない」。そのような根拠はどこにもありはしない。これはSCO訴訟のほとんどと同じく、単なる捏造にすぎないのだ。

「我々は、“科学の発展”は作者および発明者がその成果から金銭的利益を得る権利を断固として保護することで最もよく実現されると信じる。」

われわれは皆、“科学の発展”は、「作者」がその知的財産を望みどおりに――法の範囲内で、また知的財産権が適切なバランスを保っている限りにおいて――活用できる権利を持つとき、最もよく達成されると考えるべきだ。また、“科学の発展”はその権利が“断固として保護”されたときにもっともうまく達成されるとも。

GPLソフトウェアの権利者たちもまた、マイクロソフトと同様に彼らの権利を行使しているにすぎない。GPLソフトウェアの作者たちはライセンス条件を選択することができる権利によって利益を得、また彼らの選択した条件が他のソフトウェアのイノベーションへ大きな利益をもたらす。彼らが財産権を行使することによってわれわれもまた利益を得ている。

だが、この財産権を“断固として”保護するためには、それを望み通りに行使する権利に対する根拠のない訴訟から権利者を守る必要がある。ゆえに、この件に関する法的制裁についていえば、判事は著作権者の財産権を保護するために“断固とした”措置をとることの重要性を考慮することになるだろう。

――
最後に、McBrideがあえて口にしないことに注目してみよう。今回の文書では、彼はGPLが違憲だとは述べていない。そう主張するためには、GPLのようなライセンスを可能にする著作権を制定することは議会の権限を超えていると主張せねばならず、それはどのような条件で著作権を与えるかという議会の決定には強い法的審査が不可欠であるというに等しい。そう主張してしまえば、彼はエルドレッド裁判に下された判決は誤りであったと認めざるを得なくなる。にもかかわらず、McBrideにとってエルドレッド判決は問題のないものであるらしい。

だがMcBrideの主張のほとんどは、著作権という財産権は保護されねばならないと述べているにすぎない。私の知る限り、FSFあるいはフリーソフトウェア運動全般の誰ひとりそれに異議を唱えてはいない。適切に定められた著作権は、適切に定められたどの財産権とも同様に保護されるべきだ。そして著作者がその成果に対してGPLのようなライセンスを設定できる権利を守ることは、財産権の適切な保護のひとつの例にすぎない。

SCOの件が法廷で引き延ばされつづけて数カ月が経つ。実際の公判までにはさらに18カ月はかかるとMcBrideは恫喝している。だがもし今回の文書が彼の主張のすべてだとすれば、やはり最初からEbenが正しかったということになる。この騒動は、ある破綻した企業が、優れたソフトウェアを作るかわりに司法システムの欠陥を利用して金を得ようとしているというだけのことだ。私に向かって、憲法の“科学と技芸の発展”の節を書いていたとき建国の父祖たちが考えていたことはこうだなどと言わないでもらいたい。

更新:Richard MorinとJohn Riedlの訂正に感謝。以下を追記;

「McBrideはGPLは違憲だと“口にしていない”」という文について、多くの訂正をいただいた。書こうとしたのは、彼はその主張の根拠を示していないという意味だった。GPLは違憲という主張がそもそもわたしにこの反論を書かせたきっかけだ。だがMcBrideの書簡はそれをただ前提とするだけで、なぜ違憲なのかという理由を示していない(できない)。間違いをおわびし、寄せてくれた訂正に感謝する。

[オリジナルポスト 12月4日午後5時05分]
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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