Web3の書籍(※)をきっかけにして起きた「インターネット歴史認識」の騒動は、正直これまでも何度か目にしてきました。今回を含め、そのたびに忸怩たる思いにかられるのは、私がかつて村井さんに「インターネットの歴史をまとめた方がいいと思うんですよね」と話したことがあるからです。
※書籍「いちばんやさしいWeb3の教本 人気講師が教えるNFT、DAO、DeFiが織りなす新世界」の回収について
https://book.impress.co.jp/info/20220725.html
実は三菱総合研究所を退職して独立する2006年頃、村井さんにいろいろ相談に乗ってもらっていました。ちょっといろいろ思うところあったので、ヴィントン・サーフを紹介してもらって、話をしてみたり。
そんなある時、村井さんがポステル・アワードを受賞した時の話になって、「そうだよなあ、ポステルもなあ…」というやりとりから、クロサカ、お前それやれよ、みたいになった記憶が残っています。
なので、あの時そのまま着手していれば、こういう残念な騒動が起きることも少しは減らせたのかな、と思うんですね。そして、いま起きているWeb3に関するやや不毛な論争は、そうした世代を超えた知識と経験の伝達の不足によるところも少なくない、とも思っています。
それこそぼくらの世代にはP2Pファイル交換とかあったわけじゃないですか。レイ・オジーはなんとなく追えそうだけど、napsterのショーン・パーカーとか、いま何やってるんですかね。gnutellaとかもね。
あるいはぼくが大学でワークステーションで遊んでいた頃は、IPアドレスは全部グローバルだから、生まれながらのP2Pなんですね。そしてそれゆえに、apacheとかFS上の自分の領域で勝手に動かしてテキトーなポート番号当てちゃえば、そこいらのワークステーションを勝手にWebサーバ化できたわけです(これはさすがに大学からすごく怒られました)。
だから、decentralizedがdistributedとはちょっと意味が違うこととか、decentralizedがコンピュータにとって、ネットワークにとって、また社会にとって、どんだけのものなのかは、少なくとも体験的に知ってるわけですよ。
さておき、歴史編纂は時間と体力が必要なので、正直いまの私にはもはやできません(これが忸怩たる思いの真意)。たぶん村井さんが「お前それやれよ」って言ったのと、同じといったらもちろん僭越だけど、近い状態になっている。だから今の私に可能なことといえば、それができる人たちとそのスポンサーを探し、知己があればそれを紹介し、あとは私や私の会社自身もいくばくかのお金を出すことくらい。
本来ならば「なるほど、それはインプレスの仕事ですね」となるわけですが、残念ながら回収されることになったWeb3本はそのインプレスが版元。だとすると私は、それこそインターネットの歴史的経緯を踏まえ、NSPIXP-1が置かれた岩波書店にお願いするのがいいんじゃないかと思ったりしています。もちろん、いま岩波にそういうことができる方は少ないかもしれないので、インプレス、日経BP、あるいはオライリー等、総動員で。
そしてメインスポンサーは、IIJがいいんじゃないかな。ちょうど「unsuitな村井さん」を郵政省で見ている世代の谷脇さんが移籍されたところだし。
先日、ZHD本社にあった「巻物」を、たまたま村井さんと二人で眺める機会があって、それこそ「最近ビル・ジョイとか連絡取ってねーな」というようなやりとりをしながら、そんなことをぼんやり考えてました。