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「笑っていいとも!」の終了で日本社会とテレビが失ったもの

2014/03/31 21:30
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クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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 「笑っていいとも!」(以下「いいとも」)が終了しました。

外出していて、最終回は結局見られませんでしたし、自宅のハードディスクレコーダでも予約録画を忘れました。「今日が最終回」というツイートを見かけて、ああ今日なんだと気づいたくらいです。正直これはうっかりしたと思っているのですが、でも仕方ない。

そんな私ではありますが、少し気づいたことがありました。いくつかのエントリに分けて、整理します。

一つは、「いいとも」の終了によって、日本のテレビ業界はメートル原器を一つ失ったのではないか、ということです。

正直なところ、「いいとも」という番組は、大しておもしろくありませんでした。それこそ最終回の今日であっても、見ても見なくてもいい。毎日欠かさず観たいという人は少数派だったはずです。少なくとも私の記憶では、その前にやっていた「笑ってる場合ですよ」の方が、おもしろかった。

また、外で仕事をしている人にとって、そもそも平日日中はテレビを見る機会はありません。せいぜい食堂のテレビでかかっていれば、という程度でしょう。

しかし、そういう視聴機会の脆弱さに、「いいとも」は絶妙にマッチしていたと思います。たまたま昼にテレビを観る機会があって、チャンネルを合わせることができたら、そこそこ時間をつぶせる番組が放送されている。すごくよくできたシステムです。

この、特に積極的に観たいわけではないけれど、観る機会があればそこそこ楽しめる、という状態を、おそらくタモリも含めて、「いいとも」の制作陣は、かなり意図的に狙っていたのではないでしょうか。

これは決して、タモリを含めた制作陣が、手を抜いていたということではありません。むしろ「おもしろくもないけど、つまらなくもない」という状態を維持するために、相当な努力と工夫を重ねていたような、そんな気がするのです。そう考えてみると、テレフォンショッキングにおける、あの生返事のようなタモリの薄い反応も、そのあとの企画コーナーの意味のない騒ぎっぷりも、少なくとも私には、腑に落ちます。

そうした状態を安定的に継続すること、それ自体も相当困難なことです。なにしろ目指すのは、「おもしろいことをやろう」というわかりやすい目標ではない。さらに、それが達成できたとして、「おもしろい!」と評価してもらえることはないし、むしろそんな評価を得たら失敗なわけです。これは人間として、相当辛いことです。

実際、タモリが所属する田辺エージェンシーの田辺昭知社長は、いいともスタートにあたり、つまらない毎日を送ることになるタモリの才能の鈍化を嫌って、「タモリ倶楽部」を同時にスタートさせたという話があります。真偽のほどは分かりませんが、さもありなん、と思わせる話です。(参照

ましてそれを演じるのは、稀代の芸人タモリです。たとえていうなら、ACミランの本田やインテルの長友に、「全国民がたまに観たり観なかったりするから、日本で毎日プロ水準で野球やってね、でもサッカーの所属クラブはそのままでね」と言うのに等しいのではないでしょうか。

そんなタモリをはじめた制作陣の苦労が実り、「いいとも」はこれほどの長寿番組となったのだと思います。

さて、本題はここからです。

そうした、観れるかどうかも分からない平日日中の、おもしろくもつまらなくもない内容だった、そんな「いいとも」がこれほど長く続いたのは、ひとえに「それでも視聴されていた」からです。

ある意味で、これほど視聴という行動がニュートラルに反映された番組も、他にあまりないと思います。テレビ番組というのは大抵の場合、

・おもしろい
・役に立つ
・必要である

ということを目指して制作されていますし、私たちもそれを期待して番組を観ます。しかし「いいとも」は、このすべてにあてはまりません。おもしろくもないし、役にも立たないし、必要もない。

でも、なんとなく、観てしまう。なぜでしょう。

理由は分かりません。タモリと制作陣の力量という、ブラックボックスの中にしか、その答えは見出せないのでしょう。だからそれをここで追いかけるつもりはありません。

ここでは、テレビ番組が視聴される理由と正反対の番組が、長年見続けられていた、という事実が重要です。

サッカー日本代表戦の視聴率や「あまちゃん」の視聴率、あるいは災害が起きた際のニュース番組の視聴率。これらと「いいとも」を比べてみると、その視聴率は

・生活時間等の制約条件
・番組内容への関心
・社会生活上の必要性

といった要素のどれをも、反映していないような気がするのです。おもしろかろうとつまらなかろうと、内容に意味があろうとなかろうと、一定の視聴率をずっと維持する。

すなわち「いいとも」の視聴率というのは、純粋に「テレビを観る」という行為の割合を示しているということには、ならないでしょうか。私が「いいとも」をテレビのメートル原器だと思ったのは、そういう理由からです。

そのメートル原器が一つ、「いいとも」の放送終了によって、失われた。今日という日は、そういう日なのだと思います。

おそらくこの枠で明日から放送される番組は、きっと「いいとも」とはまったく異なり、内容も豊富でおもしろいものになるでしょう。そして内容豊富でおもしろいことが予想されるからこそ、きっと「いいとも」ほどの長寿は期待できないなと、誰しもが思っているのではないでしょうか。

そういう意味で、実に貴重な番組を、失ってしまったのだと、いまになって気づきます。それは制作陣だけでなく、視聴者の側にとってみても、同じなのかもしれません。

ちなみに、このほかのメートル原器候補としては、

・徹子の部屋
・はなまるマーケット
・NHK夜7時のニュース

などが考えられます。しかし、「徹子の部屋」は黒柳徹子が全面に出過ぎている。「NHKニュース」は当然ながら事件・事故によって視聴意向が変化します。もしかするといい線だったかもしれない「はなまるマーケット」は、17年半の歴史に、先週金曜で終止符を打ってしまいました。

もしかすると、もう二度と「いいとも」のような番組は、作れないのかもしれない。そしてその意味で、「いいとも」の終焉は、日本の民放テレビ番組や、社会の中でのテレビの在り方を大きく変える、一つのきっかけになるのかもしれません。そんなことを、考えています。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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