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言葉の意味というプロレスとネットの没入感

2013/02/03 08:00
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クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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唐突ですが、「学歴」について。
 
「学歴」という言葉を「卒業した学校名」という意味で捉える人がいます。しかし、たとえば三省堂の辞書には「学業に関する経歴」としか書いておらず、学校名云々のことなどは微塵も触れられていません。
 

がく‐れき【学歴】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/39375/m0u/%E5%AD%A6%E6%AD%B4/
学業に関する経歴。「―が高い」「―偏重社会」


これは「最終学歴」という言葉を考えても分かることです。最終学歴と問われて「ハーバードです!」と胸をはる人は、「それでよくハーバードを卒業できましたね」と嘲笑されるでしょう。多くの場合、そこで求められる回答は「大卒です」「高卒です」というものです。
 
このように、学歴という言葉を、辞書に書かれている通り「学業に関する経歴」ととらえるならば、高学歴というのは最終学歴が高いという意味と考えるのが自然です。すなわち単純に、院卒、大卒、高卒、といったことです。慶應やハーバードが云々ということでは、本来まったくありません。
 
こうした言葉の意味を踏まえて、次に「高学歴バイアス」という言葉について、考えてみましょう。それ自体は、あまり耳慣れない言葉で、造語かもしれません。しかし「高学歴のバイアス」と助詞を補完すれば、別に真新しい言葉というわけでもなくなります。そしてこの助詞の補完について、日本語を日常的に使える人であれば、そう違和感はないはずです。
 
では、バイアスとは何でしょうか。ここも先ほどと同様、三省堂の辞書を引いてみましょう。いくつか意味がありますが、4番目に以下のように書かれています。


バイアス【bias】
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/173369/m0u/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9/
ア.社会調査で、回答に偏りを生じさせる要因となるもの。質問文の用語や質問の態度などについていう。
イ.先入観。偏見。


この解釈に従うならば、高学歴バイアスとは「院卒、大卒、高卒と、最終学歴の高低による統計的な有意差によって、回答に偏りが見られる状態」と解釈するのが、本来は妥当となります。繰り返しますが、出身学校名は、微塵も関係ありません。
 
にもかかわらず「高学歴バイアス」という言葉を使うと「東大や慶應を卒業した連中が自分の出身学校名をひけらかす」といった意味に受け取る向きが一定程度存在するのも、また現実です。そして、高学歴をそのように解釈する人もそれなりに存在する以上、それを完全に否定しきることにはためらいがあるのも、一面の事実でしょう。
 
言葉の意味に関して、ソースを明記できるのであれば、それに沿って論破するのが一つの戦術としては有効です。実際、言葉と言葉の戦いの場である法曹界では、こうした言葉の問題にぶつかった時、慣用的に広辞苑が引かれます。
 
しかし「辞書の意味なんか関係ねえ」と反論してくる輩も一定数存在し、また文脈によってはそうした主張の妥当性もある程度は認められます。なぜなら言葉は生き物であり、その意味も変わるからです。それこそ、辞書が定期的に更新されるのは、言葉の意味が揺らぐことの、何よりの証左と言えます。
 
それでも「辞書の意味なんか関係ねえ」という態度で議論に挑む場合、概ねプロレスと受け取られることは、覚悟するべきでしょう。相手によってはおもしろがって応戦してくれるかもしれませんが、応じない向きも当然多い。また応じないことを批判しても、それは正しくマイクパフォーマンスに過ぎない。
 
なぜなら、大抵は生産性に乏しい議論に終始することを、多くの人は経験的に理解しているからです。それこそ辞書がなぜ必要とされるのか、その理由を考えてみれば分かるでしょう。そして辞書に書かれている意味に対して異議申し立てをしたいのであれば、それこそ学術的な検証にも耐えうるような堅牢な議論を組み立てるか、とにかくその新たな解釈を多数に求めてもらうような運動を、行わなければなりません。
 
ところが、ある一定の集団に世界を狭めると、異議申し立てに妥当性に見えてくるような、そんな瞬間があります。特定の仲間たちに通じるロジックで、特定の仲間たちに通じる言葉の解釈を、共有していく。そしてその言葉の解釈を、特定の仲間たち以外にも、緩やかに強要していく--概ねそんな感じです。
 
ネット上ではこうした展開がしばしば見られます。パソコン通信の時代から変わらぬ伝統であるとも言えます。またネットに限らず、「A社では○○という言葉を△△という意味で使うが、B社では□□という意味で使う」みたいなことも、企業社会の中でもよく見かけますし、それが個々人のアイデンティティにまでつながっているケースも、しばしば見受けられます。そしてそれらを称して「ムラ社会」ということも、可能ではあります。
 
とはいえ、そうした言葉の使い方は、「特定の仲間たち」、つまりムラの外側に出た瞬間、何ら説得力を持たないことは、誰でも理解できることでしょう。だからそれは結局プロレスであり、マイクパフォーマンスに過ぎないわけです。
 
そういう言葉の使い方やアイデンティティの形成を、否定するつもりはありません。むしろプロレスを楽しみたいのであれば、むしろプロレスの言語を習得した方が合理的です。しかし誰しもがプロレスを楽しみたいわけでもないということを、忘れてはならないのだと思います。
 
けれどもそれを忘れてしまいがち。それがたぶん「ネット」なんだろうなあと、昔から思ってます。
 
みんながみんな、そんなにネットを使ってないし、使いたいわけじゃないし、使うひまがあるわけでもない。
 
この当たり前の現実を忘れずにいることが、いろいろ大事なんだと改めて感じる、今日この頃です。
 
(2/3 9:40追記)
 
学歴が「学業に関する「経歴」」なのだとしたら、先に引いた三省堂の辞書には経歴が「今まで経験してきた仕事・身分・地位・学業などの事柄。履歴。」と書かれている以上、やはり学校名も含まれるのではないか、というご意見をいただきました。
 
確かにそういう解釈も成立しうる余地は残されているとは思います。ただしこの定義に照らしたとしても、「経験してきた学業」といわれて想起するのは、学校名よりも修めた学業の分野や機能の方が先立つのではないでしょうか。すなわち、「○○大学」というより「△△学部□□学科」や「商業科」といった方に、より軸足が置かれるのではないか、ということです。
 
現実社会において、卒業した学校名が評価されるのは、私自身もそうした下駄をはかせてもらっている以上、もちろん理解できます。しかしそうした評価の現実を「学歴」という言葉で表現するのは、少なくとも今日の時点において、解釈が安定しているとはやはり思えませんし、少なくとも辞書にそのような記載が明示されるほどではない、ということができるでしょう。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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