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なんとなく選挙についてぼんやり考えてみる

2012/12/02 13:30
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プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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なんとなく選挙のことについて書きたくなった、仕事の終わらない日曜の昼下がり。
 
 
●政治って一体何なんだろう
 
英国で議会ができてからこっち、議会の目的ってのはカネの配分(予算案の審議)というのが原則。いまでも、国会に数多ある委員会の中で、予算委員会が最も重要だし花形ですね。そう考えれば、国民や企業・団体などから集めたカネを、どうやって再配分するかが、政治の一義的な目的になります。乱暴にいえば、それ以外は全部二の次。
 
すなわち、その再配分をうまくやってくれる人たちを選ぶことが、選挙の目的となるわけです。そして、有権者が選挙を通じてなすべきは、そういう人たちを選び、そうでない人たちを落とすこと、ということになるはず。でもそれって、実際できるのかな。
 
たとえば、ここでいう「再配分をうまくやる」ってのはいろいろありますが、基本的には、1)必要なことについて、2)公平・公正に、3)かつできるだけ効率的に、というあたりが重要なポイントとなりましょう。
 
一方、「政策本意の選挙戦を望む」という声が、私たちのもとにはしばしば届きます。割と昔からテレビや新聞などではそんな問いかけがなされてきましたし、最近ではtwitterあたりでも意識の高い方々のそんなtweetを、よく見かけますね。確かに、そう言われれば、「そうだそうだ」という気分にもなります。
 
 
●選挙ってそれを選べるのかな
 
でも、「政策を議論しそれを見極めること」と「再配分をうまくやる人を選ぶこと」って、どれくらい同一なんでしょうか。
 
たとえば前述した3つのポイントでいえば、政策に関する議論って、実際は「1)必要なこと」を見極める程度の機能しかないような気がします。2)や3)というのはいわば方法論や手続き論の話であって、政策論争の中にそれを盛り込むと、話が細かくなりすぎて、訳が分かんなくなりますし。
 
だとすると、「政策本意の選挙戦」というのは、実は選挙の目的に必ずしも合致していないんじゃないかと思うわけです。
 
実際私たちは、前回の衆院選で、マニフェストによって政策を提示され、民主党政権を選びました。そして消費税増税をはじめとしてマニフェストを反故にする現実を、目の当たりにしてきています。これは、民主党政権に、マニフェストを実行するだけの能力が足りなかったからです。
 
すなわち私たちは、政策本意で選びすぎると、割と足下をすくわれるということを、すでに体験しているということになります。政策を議論することは大事なんだけど、政策だけ考えていても、意味ないどころかちゃぶ台をひっくりかえされかねないね、ということです。
 
ちなみに私は前回の衆院選では、民主党には投票していません。しかし自分の意志が大勢を形成できなかった(そうした政治運動に加担しきれず結果も残せなかった)以上は、投票の結果に連座しているわけです。それが、有権者が当事者になるという、民主主義の掟というものです。選挙によって国民が民主党を選んだとは、つまりそういうことです。この責任から逃れられる有権者は、棄権した人も含めて、誰もいません。
 
 
●選ぶべきポイントは何だろう
 
じゃあどうやって投票する人を選べばいいのでしょうか。
 
一つは、人間としての評価だと思います。ただそれは、いわゆる政治の世界でいう清廉潔白とか、あるいは高い学歴や職歴を云々するという話では、必ずしもありません。
 
まず大前提として、国益を代表する人間としての資質が問われます。これは、諸外国や反社会的勢力からの利益供与がない(そうした存在の利益を代表しない)、ということです。この時点で、昨今話題の第三極を含め、実は少なからず失格となる候補者がいることも、事実です。
 
そして再配分という政治の目的に立ち返るなら、まずはできるだけフェアであること、つまりフェアネスを重んじるような人であることが求められるはずです。ここでいうフェアネスとは、1)ルールを守る精神を持っていること、2)有権者に対する説明責任を果たす努力を怠らないこと、3)合理的な選択肢を提示しつつ最終的には自分の責任で判断していること、だと私は思います。
 
そうやって眺めてみると、そういう人は実はそんなに多くありません。だからそれを考えてみるだけで、大体のスクリーニングができてしまうというのが、悲しいけれど現実なのではないかと思っています。
 
二つめは、政治を正しく機能させるための課題を認識し、それに対して一定のスタンスを示していること。
 
このところ、日本の政治状況が、ずっと不安定なのは、誰しもが同意するところでしょう。年中行事のように首相が交代し、法案の審議も遅れ、行政は停滞しています。東日本大震災の被災地の状況を見れば、せっかく生き延びたはずの被災者が苦しめられているのは、誰の目から見ても明らかでしょう。
 
それこそ私も、政府のお手伝いをすることが少なくないのですが、特例公債法案の審議が止まったおかげで、海外の政府機関との連携を中止せざるを得ない状況が発生しました。こうした国益を損ねる動きには、本当に失望しているし、正直辟易しています。
 
こうした政治状況について、何が課題で、それをどう解決すればいいのか、道筋を示せているかどうかが、実に重要だと思います。
 
そして三つめは、自分の利害に関係する政策に対する評価です。人間として生きている以上、その利害と無関係でいることには、むしろ無理があります。むしろ自分の利害に自覚的であった方が、周囲に対する分かりやすさ(つまり説明責任を果たす)という意味において、ぼくは正しい生き方だと思うのです。
 
ただしこれは十分な注意が必要です。なぜなら個別政策の話であり、利害対立による政争を招く事態となるからです。従って前述した通り、政策はその実現能力とセットで吟味されなければ、絵に描いた餅に終わります。
 
その意味では、一つめ(人間としての評価)や二つめ(政治を正しく機能させる課題の認識)には、劣後すると思います。
 
 
●本当の争点はどこかな
 
最後に、日本の政治を正しく機能させるための課題について、考えてみましょう。
 
これは個人的な認識ではありますが、端的には1)世代間格差、2)地域間格差、3)外交・国防の3つで、概ね論点は決着すると思っています。
 
一つめの「世代間格差」は、たとえば選挙権を持つ人の平均年齢が50歳を超えているという現実が、選挙の結果として何を引き起こすのか、そしてそれとどう向かい合うか、ということです。
 

選挙権ある人の平均年齢は52歳 : 星野泰平の積み立てマネーライフ : トレンド : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞):
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/trend/tsumitate/20120821-OYT8T00850.htm
 
「今の日本人の平均年齢は44.5歳です。皆さんのイメージと近い数字だったのではないかと思います。

しかし、今の日本人の「選挙権のある人」の平均年齢は知ってますか?正解は52.1歳です。なんと、50歳を超えています。自分で試算しながら、正直驚きました。」

 
この数字だけで、たとえば少子化対応の無策だとか、医療費の爆発的な増加とか、その割に医師をはじめとした医療従事者や介護従事者の圧倒的な不足だとか、社会保障に関するいろいろな問題をはじめとする、いま起きている日本の様々な社会問題を、あれこれ論じることができますね。
 
しかし、たとえばぼくがこの記事をtwitterで紹介する11月24日まで、この記事に関するtweetsはわずか9つに過ぎませんでした。メディアとしての課題もありますが、それでも読売新聞のwebサイトのページにありながらその状況ということは、私たちはまだまだこの問題を問題として直視していない、ということでもあります。
 
二つめの「地域間格差」は、言うまでもなく「一票の格差」の問題に直結しています。野田首相が解散の約束として取り付けたこの「一票の格差の是正」ですが、「格差の是正」とのっぺり言われると「正しいことなんだからちゃんとやれ」という話で終始します。
 
しかし一票の格差を是正するということは、都市部の有権者の力をもっと高めよ、ということを意味します。そしてそれが本当に正しいことなのかは、十分な議論がなされていません。
 
少なくとも、最近の日本の経済社会構造の、特徴でもあり課題でもあるのが、東京圏の人口と富の一極集中にあることは、誰しもが理解できることでしょう。一票の格差の是正とは、この現実を是認し、さらに強化することをも意味します。
 
私は東京に暮らす都市生活者であり、富に溢れた東京の生活を十二分に謳歌している人間ではありますが、そんな私をしても、東京への集中を構造化することが本当に正しいことなのか、まだ判断できていません。
 
果たしてそれが21世紀の日本の社会像として正しいのか、私たちの中で議論は深まっているのでしょうか。たとえば連邦制である米国の上院が、人口の大小に関わらず、各州あたり定数は2名ずつの合計100名で構成されているという事実は、もう少し吟味されていいのではないでしょうか。
 
それと密接に関係するのが、三つめの「外交・国防」です。これは国の専管・専権事項であり、国として示された方針に私たち国民は従う必要があります。しかしそれゆえに、それを実際に担う地域や現場には、十分な説明と配慮を果たす必要があるわけです。
 
たとえば私は、日米同盟下で繁栄する東京に暮らしながら、その富を貪ったり片棒を担いでさらに儲けようと、毎日を過ごしています。なのでこの生活を変えようとしないなら、東アジアの軍事戦略上ほかに国内の代替地が存在しない以上、私は沖縄の皆様に基地を維持していただくよう土下座してお願いをしなければならない、ということです。
 
そういうことを考えるとき、国全体の意志決定を都市生活者中心に進めていくことは、本当に妥当なのでしょうか。そもそも国全体という「マクロの意志決定」と、自らの経済社会が直接依拠する生活圏という「ミクロの意志決定」が、同一であること自体に、無理があるのではないでしょうか。
 
 
●「コンクリートから人へ」は間違いなの?
 
そんなことを考えながら、これからはじまる選挙戦を眺めてみるのも、また一興ではないかと思います。
 
ちょうど中央道の笹子トンネルでトンネル崩壊という事故がありましたが、被害に遭われた方のご無事を祈りつつ、あの事故を以て「コンクリートから人へ」というコンセプトを否定する向きがあったり、また一方で「既存のインフラを守るべき」という物言いが跋扈するのは、正直短絡的すぎるなという気がしています。
 
何が私たちのインフラとして守られるべきなのか、あるいは作られるべきなのか。そしてその判断の裏側で失われるものは一体何なのか。すなわち私たちは何をトレードオフの結果として選択しているのか。そういう「しょっぱい現実」に自覚的になる必要があるだろうと思います。
 
長くなりましたので、このへんでやめたいと思いますが、そんなわけで今回の選挙は、いろいろ自分たちのことを振り返って考えてみる、いい機会なんじゃないかと思っています。忘年会シーズンだから、酒場のネタにしてみたっていいだろうし。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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