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CNET Japan ブログ

こわれゆく世界の中で

2010/07/31 17:05
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プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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最近のエントリー

夏風邪で倒れている週末くらいは、ちょっとマジメなエントリでも書いてみようかと思っていたところ、隊長のところに「日本の将来像」といういいお題があったので、子どもチャレンジ。無理かも分からないけど。
 
 

承前ハウエル

 
舌の根も乾かないうちにまだくだらないことを書いてしまった。というわけでチャレンジ失敗。ごめんなさい。以下はほとんど私見です。私見ばかり書いているとまたぞろtwitterあたりで「インチキコンサルタントのくだらないブログ」とバッシングされるかもしれないが、週末の読み物として楽しんでいただければ。
 
さておき、前振りを承前として読み進めていただくためのエントリ。引用内にあるちきりん女史の元エントリも読まないと何だかさっぱり分からないリンクフリーのインターネットな構造となっております。
 

せめて「ドイツモデル」を用意して欲しい…
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/07/post-e695.html
 
 ちきりん女史が興味深いエントリーを投げていて、そこに挙げられた5つの国のどれよりも日本はドイツモデルの社会民主派が近未来的に近しいスタイルだと思うんだが、何故かあまり指摘されていないな。

“日本の将来像”をお選びいただけます
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100514
日本はアジアのイタリアに
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100730

 まあ、各々社会や経済の特性に違いがありすぎて、近似値なんて考えたってしょうがないし、あり得ないんですけどねー。

 
予め結論を冒頭に述べておくと、日本は日本モデルでしかありえない、と思う。つまらない結論で申し訳ない。申し訳ないので、そう思う理由を如何に列挙してみる。あくまで私見。
 
 

欧州をモデルにできない理由・その1

 
日本とは近代に入ってからの歴史的基盤が違う。それを財政モデルとして論じるのであれば、有体・無体のいずれにせよ、「アセット」がまったく違う。さらにベタな例を挙げると、植民地と運命共同体であるということの強みと弱みが全然違う。もちろんこれは国によって異なるけど。
 
たとえばギリシャからの連鎖で次はスペイン・ポルトガル、という話が出ている。日本ではこの両国の名前から、南欧諸国の文化的背景を連想し「昼寝しすぎだろ」みたいな文脈で捉えられることが少なくない。確かにそういう面はなくはない。
 
しかしスペイン・ポルトガルは、南米の旧宗主国である。なんぞいまさらそんな話を、と思われるかも知れないが、たとえばテレフォニカ(スペイン)やポルトガル・テレコム(ポルトガル)は、現在も南米の通信事業者の主要株主である。あるいはサンタンデール(スペイン最大の商業銀行)が南米向けにどんくらい債権抱えて、それをどんだけ金融商品にしてばらまいてましたっけね、という話。おや、気がつけばどっちもスクーデリア・フェラーリのお友達だ、不思議だなっと。
 
これと同じ関係はあちこちにある。たとえばフランスにとってのアフリカ、イタリアにとってのリビア、等。たとえばブブゼラでおなじみの南アフリカで使われているアフリカーンス語が、ドイツ西部やオランダ・ベルギー北部で使われている低地ドイツ語の一派。あるいはその低地ドイツ語圏であるベルギー北部のアントワープで有名なダイヤモンドって、そういや南ア特産でしたね、みたいな。
 
さらにちょいと違う文脈まで含めることを許されるならば、英国にとっての中東というのも、当然その範疇に入る。というかそもそも私たちの仲良しである米国自体、英国の巨大なオフショアである、という見方もできなくもない。そして英国自身、メインランド欧州のエージェントの一つである、という言い方もできる。
 
世界はそれくらいこんがらがっている。そしてそれが悪いんじゃなくて、そのからまっている毛糸の仲間に入っているか否かが非常に大事なポイントである。少なくともその仲間に入っていない限り、そこで展開されているモデルを模倣することは困難だ、という意味において。
 
ちなみにこれは「仲間に入っていないからダメ」という話ではない。むしろ仲間じゃない(しその仲間たちのメソッドを諦めた)にもかかわらず、世界の一部を構成しているジャパンはなかなかのもんだ、と思っている。ただそれってかなり「しんどくなってきましたなあ」というのも昨今の事実。そして「だからどうする?」というのが本来の問いの精神だと思っている。
 
 

欧州をモデルにできない理由・その2

 
そこまで話を広げずとも、欧州自体がそもそも魑魅魍魎の世界である。大体、欧州という括りで眺めてみた時、100年平和が続いた時代なんて歴史的にありましたっけ?という話。そういう中でパワーゲームを繰り広げることを国是としている人たちと、そもそも戦火に巻き込まれること自体が歴史的に少なかったジャパンを同一視するのは、プロレスvs.日本舞踊みたいな哲学的バトルであり、つまるところちょっと眠たい感じ。
 
ギリシャ自体もその縮図である。よく勘違いされるが、近代ギリシャは多民族国家であり、ギリシャ人という人種は存在しない。ギリシャ料理、ブルガリア料理、トルコ料理、レバノン料理、イスラエル料理を毎日食べ比べてみると、3日目くらいで厭きてくることからも分かるように、実にとてもよく似ている。
 
これは何を意味するのか。よく言えば「交易の要衝」であり、悪く言えば「ロンダリングの温床」である。実際ギリシャは交易とその裁定を生業としてきた。それこそ20世紀後半においてマネーロンダリングの拠点として名を馳せたわけで、数多の投資銀行や為替方面に強いヘッジファンドがあれこれ暗躍していたのも、むべなるかな。
 
大体、ギリシャに限らず、こうした交易の要衝というポジションを確保している地域というのは、何らかそうした機能を持つことが少なくない。ギリシャがオナシス家に代表されるように海運業に強いのも「清濁あわせていろんなものを運ぶ」ことが裁定の基本となるからだし、あるいはそのお近くでいえばサハラ砂漠のトゥアレグ族なんてラクダの背中に何を背負っているのか分かったものではない。
 
じゃあなんでギリシャがダメになってしまったのか。単にその裁定に失敗したということでもあり、さらに言えば失敗することで儲ける人がいっぱいいたんでしょ、という話である。こんなことを言うとギリシャの皆様に失礼千万かもしれないが、私は以前どこかで書いたように、ギリシャ人の投資銀行家に友人がいて、大体酒を飲むとそんな話(もう数百倍ほど固有名詞ギンギンな感じだけど)にしかならない。そして、オナシス家が崩壊したわけでもなければ、仮に崩壊したとしても彼らが担っている機能がなくなるわけではないし、という話で眠りに落ちる。
 
日本がギリシャを目指すということは、つまりこうした裁定取引の機能を強化する、ということになる。しかし実際のところ、地政学的にもその必然性はないし、なろうとしたところでキャッチアップできるというものでもない。アジア太平洋でいえばその資格があるのはシンガポールか香港あたりじゃないだろうか。そして気がつけばどちらも英国と中国のヘゲモニーの下にあるというのがなんともシビれる21世紀。
 
 

欧州をモデルにできない理由・その3

 
欧州の歴史をスーパー乱暴に要約すると、戦争と平和と革命のローテーションで回っていると私は考えている。大陸を揺るがす戦争があって、勝った者が治世して平和が訪れ、腐敗すると革命が起き、それに乗じてまた戦争が起きる。そんなサイクルである。そしてそれが前述の通り、100年を保たずして、ぐるぐる回っている。最近だとバルカン半島の記憶が新しいところ。
 
その欧州において泡沫の平和を夢見た結果が「ユーロ」なのだと私は思っている。そもそも相当に無理がある欧州統合を、閨閥と戦争というハプスブルグ・メソッドではなく、あろうことか民主主義メソッドで実現しようとした。いや、あろうことかというか、現代においてはそれしか方法がないわけだけど。
 
その二重(あるいは多重)の無理がたたったのがいまのユーロの姿だろう。公定歩合の変更にも会議は踊るし、一方でユーロを構成する各国の財政はそれぞれ体力に依存するから、土台バランスが狂う。それが労働力であれば欧州内出稼ぎという姿で、あるいはマクロ経済であれば国債を含めた各国の調達能力という姿で、それぞれ顕在化する。当然持ちこたえられなくなって、特に弱いところを中心に米国に助けてもらうようになる。その米国がドカーンといったところで、時間差で同じくドカーン。
 
ではユーロに合流しなかった英国やスウェーデンは勝ち組なのかといえば、んなこたあない、というのは皆さんよくお分かりのとおり。スナップショットで言えば相対的には英国あたりは一瞬大きな顔をしていたが、銀行税とかVAT引き上げでなんとか格付け維持しないと調達できまへんえ、という債券市場からのプレッシャーと、「ふざけんな」という英国産業界+英国民からのプレッシャーで、新政権の中の人は早くも身も細る思いであろう。
 
翻って我らがジャパン。期待通りの機敏な動きをしてくれるわけではないが、日銀がECBほど構造的に膠着しているわけではない。内紛は数多あろうけれど、内紛で済むのだったらやっぱり楽ちんは方だと考えるべきであろう。振り返ってみれば、アジア共同通貨を米国に反対してもらって、本当によかった、のかもしれない。分からんけど。
 
じゃあ財政はどうかというと、これも世の中で言われるほどそんなに深刻というわけではない。JGBは飛ぶように売れるわけだし、短期債に至っては「金貨」扱い。しかもそれとて国内消化がほとんどなので、海外の債券市場に揺さぶられるリスクが小さい。そういう状況をして「金融ガラパゴスだ」と揶揄する向きもあるが、まあ自分とこで賄えるなら当面それでいいんじゃないですかね、という以上の反論が必要なのか、よく分からない。
 
もちろん中期的には(高齢化を伴った)人口減少でGDP(というかよりメタ的表現をすれば国富)が目減りする中、悪化した財政規律をどう整え、かつ調達環境を維持するか、という課題はある。そしてその解決の目処がつかないと安心できないというのは、日本のいまの気分そのものだろう。ただこれは、課税権をどう行使するか、インフレをどう考えるかを含めて、「財政の問題」というより、優れて「政治の問題」と言えるだろう。そこで結局有権者にブーメランが返ってくるという、これもまたよくある話。
 
 

米国をモデルにできない理由

 
そもそも米国モデルってなんぞ、という話なのかもしれないが、仮にそのメカニズムを
 
・世界中からカネを集めてブン回す壮大なロンダリング
・そのロンダリングをハード(軍事)とソフト(文化)で正当化
 
と仮定すると、素晴らしくよくできた超巨大ギリシャモデル、ということになる。もうちょっと素直な言い方をすれば、現代におけるパックス・ロマーナ、つまりパックス・アメリカーナ。ならば、ギリシャにも(あるいは古代ローマにも)なれない理由は前述の通りだし、それ以前に巨大装置として支えるためのハードもソフトも持ち合わせていないので、それもやっぱりダメということで。
 
これで話が終わってしまうのも何なので話を足すと、米国に関してはすでに内政課題の方が大きい。正しく古代ローマのように、ある時代に最適化されたモデルは、その時代が過ぎると大抵は内側から崩れていく。なにしろ貧富の差はもはや絶望的なほど拡大しているのは誰しもが知る事実だし、しかも底辺の方はむしろ英語を喋れない人の方が競争力があったりするのは、古くはLAXの暴動の対立構図(韓国系米国人vs.黒人)を、新しくはアリゾナの新移民法のgdgdを見れば一目瞭然。しかも文化レベルも実際のところ奥地と都市部では雲泥の差。こういう状態がレーガン政権あたり(あるいはベトナムで負けた頃から)一貫して続いているのが内側から見た「アメリカ合衆国」の現実であろう。
 
そしてさらに話を敷衍すると、この内政課題先進国の米国を追って頭角を現してきているのが、中国様であろう。21世紀は中国の時代と喧伝されつつ、中国様がいまひとつ米国から覇権を禅譲されきらないのは、一つは軍事力の圧倒的な不足にあって、現実的な能力としても未だ高くないし、足しても足しても内政維持にしか使えない(そしてそれでさえ抑えきれていない)というのが実態だと、私は考えている。そして逆説として、そんな中国様の軍事力でも十分ツラを張れるアフリカのエアポケット地帯で、ODAとセットでがんばっちゃったりしているのも、さもありなん。
 
むしろ中国様は、世界中どこに行ってもチャーハンを食べられるというソフトパワーの方が、実は怖い。しかもビッグマックの背後にアパッチが控えていたりするアメリカン・ウェイではなく、丸腰要員を大量に送り出す、ザッツ人海戦術である。見倣いたくてもこればっかしは手も足も出ない…と横路に逸れたが、そんな感じで。
 
 

日本は日本モデルを歩むしかない

 
というわけでこの結論に至るわけだが、「ジャパンの明日なんて誰も指し示してくれないんだよ!」という意味においては、得も言われぬ孤独感に苛まれるのも事実。そして「絶対にジャパンみたいにならないもんねー」と言いながら順調に失われた10年を後追いしている先進国諸国を見ていると、多くの先進国がおそらく日本の後に続くであろうことは、残念ながら確信せざるを得ない。すなわちジャパンは世界の(課題面での)フロントランナー。
 
じゃあそれは何なの?といえば、
 
・高齢化を伴う人口減少で、
・普通に考えればGDPや資本蓄積が目減りする中、
・それをできるだけ少ない犠牲で、
・いかに早急に方針の目処をつけ、
・全体で共有(大同小異)するか
 
という「高次の連立方程式」をどう解くか、ということに等しい。
 
で、それが具体的に一体何なのかはまだ私にも明確でなく、まだ各方面で議論中でもあるので、ここでは書かない。ただ解くための力量という意味ではっきりしているのは、少なくとも高次の連立方程式である以上はある程度頭が良くないと解けないはず、ということ。そういう意味で教育問題がとても重要だったりするのだが、それはそれで時間がかかるので、もしかすると教育で解くのではなく、社会の知的階層構造で解くのが、合理的なのかもしれない。もちろんそれが受け入れられるには、やはり相応の時間を要するわけで、悩ましいといえば悩ましいのだが。
 
というわけで議論はまだまだ続くが、何にせよ(準備も含めて)時間がないことだけははっきりしている以上、「問題の先送りはもうやめましょうよ」というところを最後のオチにして、週末の雑談はこれにて終了。タイトルはまたぞろジュリエット・ビノシュの逸品からそのまま拝借、と思ったけど以前もこのタイトルをどこかで使った予感。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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