お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

2011年メディアの旅

2009/12/09 09:11
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
ブログ管理

最近のエントリー

おとなりの佐々木さん「2011年 新聞・テレビ消滅」を献本いただいたのは、蝉の鳴く暑い夏の日のことだった(はず)。それを紐解いたのが10月半ばのフランス出張時の機内。そしてこのエントリはまたぞろパリに向かう機内で書いている。著者からすると、献本しがいのない「フライング・おフランス野郎」そのものである。シェー。
 
しかしながらここで言い訳をさせていただくと、いくら遅くなろうともどこかのタイミングでミーは必ず読んでいるざんす、ではなくて読んでいます。ついてはこれに懲りず引き続き何かありましたらご紹介いただければ幸甚でございます。それに、時差攻撃で紹介するのも、ロングテール的販売機会の拡大には多少貢献できるんじゃないかと勝手極まりないなことを思っている次第。そんなわけないですよね、すみません。
 
 

大きな流れはすでにそちらに向かっている

 
言い訳はさておき。もう書評も概ね出尽くしたであろうし、すでに読んだ方も多かろうから、中身の概要については触れない。そもそも論旨は概ねタイトル通りであり、結論も身も蓋もなく「はい死んだ!いま新聞・テレビ死んだ!」とシューゾー・マツオカのシャウトが脳内で鳴り響く逸品である。単純にこの本を読むだけでは、両業界のお先は、フレンチローストの香ばしいコーヒーくらい、真っ暗である。
 
産業構造論的な観点からも、コンテンツ・コンベア・コンテナに分けた3層構造の分析は、大局的にはほぼその通りである。この分析自体は私もあれこれお世話になっている及川さんがもともと提示されたもので、以前から「うまいこと言うなあ」と思っていた。そう思っていたのは私だけでなくメディアの中を知り尽くしたプロである佐々木さんも同じだった、というのはなんだかちょっとうれしいかんじ。
 
で、デジタル化とネットにより水平分業が進んでいる昨今、この3層を垂直統合している限り、新聞もテレビももうアウトであり、とはいえ垂直統合が競争力の源泉であった両産業なので、いやもう初音さんか広瀬さんあたりにレクイエム歌ってもらうしか、という論旨には異論を挟む余地はない。もちろん細かい反論はできるけど、たとえば新聞業界はもう腹を括りつつある以上、事実として反論しようがない。
 
 

メディアの役割はこの先どうなるの?

 
その上で私が気になったこと。気になったというよりは佐々木さんへのリクエストということになるのだろうけど、大きくは次の2つである。まずシンプルに、「じゃあマスメディアが担ってきた役割はこの先どうなるの?」という話。
 
CNET読者のようなネットリテラシがブンブン呻っちゃっているような人たちには「んなもんネットによって強化された個人が中心になるに決まってんだろプンプン」という声が聞こえてきそうだが、実はそれは間違いだと思っていて、その議論だけをしている限りは何も問題が解決しないどころか混迷の一途、と思っている。
 
たとえば反駁として挙げられるのが、ネットがどう普及・発達しようと、情報を束ねる中間者(メディエーター)の存在意義は失われない、という仮説。これはたとえばtwitterをよくよく眺めてみると分かるのだが、実は少なからずマスメディアや企業の広報のtweetやURLが話題の「核」となっていることは少なくない。
 
理由はいくつかあるが、結局は「情報としての共有性と信頼性」というあたりがカギだと思っている。まずもって、個人で素晴らしい洞察を日々指摘し続けている方を否定する意図は毛頭ない、という前提で、それでも多数で共有できる話題であり、またある程度の信頼性が担保された情報でないと、おそらく情報は流通しにくい。「マイケル生きていた」ならさておき「うちのミジンコ生きていた」みたいなつぶやきは流通しえないし、ドル円の話なら少なくとも床屋のおいちゃんの話よりロイターの方がムラはない、ということである。
 
さらにラジカルに言えば、ネットが普及・発達することで、そうした中間者の役割は大きくなるとも言えるかもしれない。twitterやblogがそれを可視化しているのだが、大量な情報が流通するようになればなるほど、情報をピックアップしたり編集したり、という「さばき役」の人が結局は中心的な役割を担っていくのである。おそらくは人間の認知限界の話に近いのだろう。
 
そうした人に、どれくらいの信頼感をもって依拠すればいいのか、今のところ私たちはまったく判断がつかない。特にその人が個人に近くなればなおさらで、たとえばその人が単に風邪ひいたとか二日酔いという程度で、情報の流れが寸断してしまうことになる。また質的な部分でも同様で、虫の居所が悪いから今日は○○社をバッシング、みたいなことが生じかねない。もちろんそうした偏向はマスメディアにも存在するわけだが、偏向の角度(?)が安定していれば、それもまた一つのクオリティになりうるということ。
 
すなわち、マスメディアが失った「情報編集の冴え」と、マスメディアがいまだ有している「情報流通の安定性」や「情報に対する態度の一貫性」が、トレードオフの関係にあるということだ。そして「じゃあどちらを取る?あるいはどこで妥協する?」という問いに対し、私たちはいまのところ現実解を有していないのである。
 
 

過渡期には何が起きるの?

 
もう一つは、「仮に崩壊するとして、過渡期には何が起きるの?」ということ。
 
佐々木さんは諸般の業界事情から、2011年を「崩壊の年」として設定している。2011年(と2012年)がビッグイヤーであり、その前年となる来年は相当壮絶な嵐が吹くことは私も同意だし、実際私ふぜいでさえもおそらく相当忙しくなるから、いまから体調維持に余念がないのが正直なところである。
 
ただ、実際に2011年にグシャっと壊れるかというと、そんなことはない。たとえば民放キー局の中で日々課題が噴出しているように見えるTBSだが、彼らが建てたビルに入居する博報堂との契約はまだ先まで残っているし、それが劇的に壊れない限りは当面安泰である。そんな放送外収益なんて、と嘲笑する向きもあろうけれど、民放キー局の財務健全性(というよりは経営基盤そのもの)はほとんど放送外に依拠している。皮肉なことだが、日本の放送局の中で放送で食えているのは、NHKくらいである。
 
また新聞社も同様だ。ドミナントに振る舞えている地方紙の一部はさておき、中央紙の多くは自主的な事業再建はほぼ見込みなしという中長期的判断を自ら下しつつあるが、それとてまだ目先の打つ手がないわけではない。
 
たとえば固定資産の売却という「BSの調整」でしのいできた毎日新聞は、先日とうとう通信社の配信記事を受けるという「PLの調整」に着手した。つまり記者による取材が大幅に減るということである。これをもって「いよいよ」という向きもあろうが、逆に言えば「そこに手を突っ込めばまだキャッシュフローはなんとかなる」と言えなくもない。言えなくもない、というレベルではあるが。
 
といった状況を考えると、10年を待つことはないが、2年はややせっかちで、実際には5年くらいのスパンで考えるべき、というのが正確ではないかと私は思う。五十歩百歩と言われるかも知れないが、2年と5年では経営レベルや政策レベルの打ち手はかなり違う(むしろ5年と10年は相対的に大差ない)。つまりまだいろいろ過渡期にあるということだ。
 
この過渡期をマスメディアはどう過ごすべきか、あるいはどう過ごさざるを得ないのか。この論点について、佐々木さんの著作の中では明確な答えが示されていなかったように思う。たぶん彼のことだから、それなりに考えておられることはあるだろうし、それはもしかすると非公開に開陳されているのかもしれないが、一読者の視点としては気になるところである。
 
 

浮かび上がる通信と似た構図

 
じゃあお前はどう考えるのか。その問いに対する回答はなくはないのだが、もったいぶってここではヒントだけ書いておくことにする。
 
論点はいくつかあるが、まずは前述のとおり、2年ではなく5年ではないか、という視点を持つことが基本的に大事だと思っていて、その中でのサバイバルを考えることが重要だろう。もちろんこの2年間で起きる問題というのも明確にあって、原口大臣と内藤副大臣と総務省はいまその問題に対応すべくシフトを敷いていると思われるが、それはそれ。
 
5年間という時間はそこそこ長くて、いろんなことが起きるだろう。メディア消滅ということはおそらくなくて、おそらくどこかが生き残るのだろうが、そうした淘汰と生存競争は、残念ながらフェアな姿で行われることはないと予想する。それこそメディアパワーを使った権力者への恫喝による資産取得みたいなことも水面下で起こりうることは、歴史を紐解けば明らかである。残念ながらそれも日本の現実。
 
一方でもう少し産業論的な視点を踏まえると、結果的に大きな力を有することになるNHKとどう対峙するかが、日本のメディア企業にとって重要なポイントになろう。すでに47都道府県に支局をもつ数少ないメディアであり、自前での取材力はもちろん、技術力でさえも牽引する立場にある。また海外市場ともバイイングのみならずセリングにも一定のプレゼンスとブランドを持っており、アウトレットも豊富だ。
 
すなわち、通信の世界で「NTT対その他」という構造が生まれつつあるように、放送やマスメディアの世界でも「NHK対その他」という構造となる蓋然性が高いということである。もちろん日本全体が長期的なダウントレンドを余儀なくされる中では仕方のないこととはいえ、本当にそれでいいのか。またその際に辿るべきプロセスの一つとして、たとえば米国ですでに法案化が進められている新聞業界への公的資金投入といった流れがあり得るのか。こうした議論は、本来ならばもっとなされていいだろう。
 
というわけで佐々木さん、機会がありましたらどこかでまた、お茶でも飲みながら、こんな話でもさせていただければ。ちなみにタイトルはもうネタ元を挙げるまでもなく。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー