FTCのブロガー規制について、切込隊長のエントリにちょっと補足を入れてみる。補足というか蛇足かな。
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/10/post-74a8.html
アメリカで無断太鼓持ちブロガー規制が検討さるFTC to bloggers: Fess up or pay up
http://news.cnet.com/8301-1023_3-10367464-93.html
FTC、ブロガーによる製品レビュー記事などへの規制を発表
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20401148,00.htmもともとはスパムブログ含むゲリラ・バズマーケティング対策もあったと思うけど、公正取引の観点からブロガーの太鼓持ちにおいて受益の告示義務がつくというのは良い流れだと感じます。
というか、ブロガーイベントとかモニターキャンペーンとかで製品を試供されたにもかかわらず、あたかも自分で興味を持って手に入れたかのようなブログ書き込みが横行しすぎで。ネットはマスコミ批判をしてマスコミのあり方に疑問を持つ割に、ネットが持つ自由を当たり前のように思いすぎている奴が多い感じはします。
発端の一つとして、プロダクト・プレイスメントやタイアップに対する規制の議論から派生した流れが、ブログ規制の方に合流したはず。というのは、欧州でプレイスメントがEU指令と各国の法令により制限されている流れが米国にも伝わり、規制の気配を感じた一部の広告主と業者たちがネットのバズマーケティングに流れた、という背景があったように記憶している。
こういう経緯を考えると、少なくとも広告媒体としてのネットは「フリーダム!インディペンデント!」ということはまったくない。むしろ既存媒体の遷移や産業連関の中で生きている、ということになる。ベタに言えば、Yahoo!だって電通が広告を取り次がないとすぐ干上がっちゃうでしょ?という話。それこそtwitterだって広告モデルに進むオプションを捨ててはいない(というより、投資家の手前、捨てられないのだろう)し。
だから広告収入を生業とするのであれば、ネットの中の人もそういう相対化をしないと、筋が悪いと見なさざるを得ないですよ、というのが今回のFTCによる規制の趣旨だろう。そしてこれはあちこちでアンシャン・レジームへの逆回転が進む世界の趨勢でもある。逆に闇雲に「ネットの自由が!」というのは、むしろ時代錯誤っぽく見える時代に入ったということ。
もちろん、その反動でネットが持つ「既成概念を壊す力」まで全否定しはじめるのは、それはそれで間違い。それを武器として使うべき局面は、特に現代の日本社会においてはまだまだある(はず)。というわけで、そこをちゃんと使い分けていく必要があって、そのためには目指すべきゴール(戦略)と武器の使い方(戦術)に、もういい加減、自覚的にならなきゃいけないんじゃないでしょうか、と日々思いつつ窓の外は台風の迫る雨のトーキョー。
でも日本にはそもそもプレイスメントの規制もなければ、プレイスメントやペイドパブ自体がまだ産業としては不十分なところ。こうした手法自体は必ずしも忌み嫌うべきものではないし、むしろ有用な情報を提供してくれる可能性だって大いにあるので、もうちょっと全体で整えていくべきだと思うのだが、たぶんそれはぼくの仕事ではないので、どなたかやっていただけないか知らん。
そしてタイトルは鬼才ドゥシャン・マカヴェイエフの長編から。DVDで出してくれないかな、出ないんだろうけど。