少し前、我が家にギリシャの友人が遊びに来た。その時の話。
私と同じく投資銀行業務に従事し、ハードワークに追われている身のはずだが、私よりも遙かに日本のマンガやアニメに精通し、豊かな人生を送っている。東京滞在時も「今日は中野ブロードウェイに行ってきたよ!」とか「ジブリ美術館でおみやげを買ってきたよ!」と胸を張る。期待通り「日本SUGEE!」と言ってくれるアクティブな御仁である。
そんな彼が帰国する前夜のこと。出国前に成田で買い物をしたいというので、我が家で酒を飲みながら成田空港のwebサイトを開いてみた。すると彼からまたしても「SUGEE!」という感嘆の声が上がる。
曰く、ここまでflashアニメを多用し、細かい情報まで網羅している空港のwebサイトは、ギリシャはもちろん海外にもほとんどない、と言う。そんなの日本だけだよ、やっぱり日本はすごいよ、と。
ここで問題が一つ。彼にPCを操作させてみたところ、目的のページに、なかなかたどりつかないのである。どうやら、目的の店をどのように探し出せばいいのか、分からないようなのだ。
仕方なく私は、彼に何を買いたいのかを聞いて、調べてみる。このところ月イチに近い頻度で海外出張を繰り返しており、私自身は第1ターミナルであれば大体どこに何があるか頭に入っている。そんなふうに自分の記憶を頼りにしたら、目的のお店のサイトにたどりついた。
結果的に必要な情報を得られたので、彼は安心して翌朝我が家を後にした。しかし、そもそも私がいまここにいなかったら、「SUGEE!」はずのこのwebサイトは、彼に何ら有益な情報をもたらしてくれなかったはずだ。どんなに見栄えがよかろうと、それでは本末転倒というものである。
そして彼を見送ったあと私は、もしかするとこれは日本が抱えている構造的課題の一つなのではないか、と考えるようになった。それはすなわち、「中で作っているものはスゴイんだけど、外からはよく分からない、あるいはそこまで辿り着けない」ということである。
そんな状態で、海外相手の商売がうまくいくとしたら、むしろそっちの方がおかしい。あるいは海外に限らず、国内の商売もしかり。事実、そのやりとりを見ていた家人は「日本語の分かる私だってこのサイトじゃお店を探せないわ」と言っていた。
もちろんこう書くと、たとえば「それでもマンガやアニメは輸出に成功しているはずだ。それこそギリシャ人が中野ブロードウェイやジブリ美術館を喜んでいるという事実こそ、輸出が成功していることを物語っているんじゃないのか」と反論されるかもしれない。
確かにそうだとは思う。ただ、彼らが日本のアニメに触れる機会の多くは、ファンサブ経由であって、正規ルートではない。そして彼らがファンサブを愛するのは、タダでコンテンツを入手したいからではない。その方がタイムラグなく観れること、そしてなにより、ファンサブを介した方が、より作品理解が深まるからだ。
実際、正規にパッケージが流通している作品であっても、ファンサブの方を好む、と彼は言っていた。そして、金を払いたくないわけではないし、マンガも興味があるので、ファンサブで観た作品は大抵文庫本も(英語版があれば)買うそうだ。むしろ日本はそういうメディアミックスのビジネスモデル確立が急務では、と指摘される始末。
海外の、普段ほとんど成田空港を利用しない人間が、空港内で店舗やモノを探す。その時、彼らはどのように思考し、どんなプロセスを経ようとするのか。そんなシミュレーションをしながら、目的地への誘導をかける。より平たく言えば、お客さんの立場や気持ちになって、考えてみる。そんな商売の基本中の基本が、もしかすると崩れはじめているのかもしれない。
もしそうだとしたら、そんな怠惰さではガラパゴス脱出もへったくれもないし、商売をするという心意気を改めて持ち直すところから再出発しなければいけないはずだ。ギリシャから来た友人の「日本SUGEE!」という声の余韻を思い出しながら、そんなことをふと考えた次第である。
そしてタイトルは、いまから10年ほど前に公開された、カナダの佳作から借用。