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CNET Japan ブログ

わが心の情報流通(1)

2008/02/09 16:44
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プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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このBlogを継続して読んでいる方はお気づきかもしれないが、最近気になっていることがある。そして訳あって、この連休はそんなことを(かつ正式に)考える必要に迫られている。ちょうど独立して(=Blogを書き始めて)1年も過ぎ、いい機会なので改めてまとめてみたい。

問題の所在

スタートアップ企業の経営支援、事業会社の経営戦略策定や投資部門のデューデリ支援、資本まわりのお手伝い、海外企業の日本進出支援、さらには政府の競争政策関連のプロジェクト…と、節操なくいろいろな案件をお手伝いしているが、常々脳裏をよぎるのは「で、自分はこの国をどうしたいの?」という問いである。

案件の大小や局面に関わらず共通して感じるのは、

・情報化社会というわりに情報は全然流通していない
・世界は情報流通社会に進んでいるのに日本は引きこもっている
・現状を批判するわりに自分の問題となると誰しも尻込みする

といった問題意識である。そしてこれらは、ITの世界はもちろん、資本にせよ事業にせよ、あるいは自分たちの日常生活にせよ、日本のほぼすべての領域・分野に共通する問題のようにも思える。

情報の不流通

たとえば一番目は「情報の不流通」ということだが、これだけ情報通信の技術が発達・普及したのに、使う側がその流通圏を広げようとしていないように(というよりむしろ狭くしようとしているようにすら)思える。そのために技術の活用がまったく進まないし、技術と既存のプロセスが齟齬を来たし、既得権の強さによって技術が蔑ろにされるケースも少なくない。

こう書くと、地デジ周辺のグダグダっぷりや著作権行政を巡る既得権者の体たらくなど、直接的な意味でのコンテンツ流通の世界を想像されるかもしれないが、一般の企業活動やそれを支える多くの人も彼らをバカにすることはできないはずだ。結局のところ日本企業の多くは、Officeとメールで済ませられること程度にしかITを使いこなせず、相変わらずちょっと偉い人がハンコを机の上で紛失しただけ業務が止まってしまうような世界なのではないか。

あるいは個人にしても、個人情報の流出に過剰反応するあまり、一部企業はその活用どころか保有することさえ抵抗感を抱きつつある。個人情報も情報の一つであり、何らかの前提(法整備や資産管理化、監査対象化など)が揃えば利用することは悪くないはずなのだが、ハレーションに近い反応を前に、その前提を乗り越えようとすること自体がコストやリスクとなり、本来ならば享受できたであろう便利なサービスの機会を逸失している。

世界の流れに乗れない

資本のレイヤーにおいても同じようなことが言える。少し前に世界規模でM&Aが活発化したのは、単に資本効率の改善や利益の最大化を目的としているだけでなく、経済圏を拡大方向に再構築するという意味がある。IT的に換言すれば、自社のVPNでお話しできる相手を増やすということで、そのために金融技術を駆使して買収を重ねたのである。

こうした動きに日本企業(やその中の人である私たち)の多くはあまりに鈍感か、分かっているけれども今の自分を傷つけたくないというナイーブな反応しかできていない。すなわち二番目の「世界の流れに立ちすくむ日本」そのものである。その結果、いくら高度な技術があろうとも、日本企業は内側に引きこもり、せっかくのVPNもそのためだけに使い、そして温々と守られた世界の中で「ガラパゴス化」を進める有様である。

それこそ、なぜ日本からGoogleやYahoo!(あるいはロイターやBBCやゴールドマン・サックスと換言してもいい)が登場しないのか、という議論も、こうした「経済圏という思考の不足」で概ね説明可能だと私は思っている。一つ一つの技術の粒を並べて見れば、日本企業のそれも極端に劣ってはいないが、経済圏の創造や拡大という思考がなく、またそうやって広げた経済圏の中で儲ける術を知らないのである。

主体的な変化ができない

そしてそれらの問題を支えている根本は、現状を批判するわりに自らの問題として捉えた途端に尻込みするという「主体的な行動の萎縮」である。これは個人、コミュニティ、企業、政府のあちこちで見られるが、総じて言えるのは、リスク・リターンの発想があまりに乏しい、ということである。

たとえば私自身、この1年間をフリーランスの立場で過ごしてみて最も多く尋ねられたのは、

・あなたは何屋さんなんですか?
・それで喰っていけるんですか?

ということである。この質問を総合して裏返せば「何屋(あるいは○○社)とラベルを貼らないと仕事にならないのでは?」ということなのだと思う。しかし、困っている人がいて、その問題を上回るパフォーマンスを示し、それが想定するコストを下回れば、仕事はどこにでもいくらでもある。そしてその時、私が何屋であるかを説明する必要は特にない。

すなわち大事なのは、問題の所在とそれに対する自分の関与可能性を明確化するということに尽きる。その上で、できることはすべきだし、したいけどできないなら策を考えればいいし、したくないならしない、という選択をすればいいのだと思う。そうして常に自分の状態を自分で決定すれば、会社員であろうと政治家であろうと、あるいはフリーランスであろうと、自らの責任で取り組むべき仕事に臨めるはずだ。

しかし今の日本は、少なからず「仕方ないからやっている」ということが跋扈しているような気がする。それこそ現首相だって本当になりたくてなったのか分からないところがあるが、ヒラの会社員にしても「おかしいとは思うけれど、上がそういうし、変えるのは面倒だから」と、それまでのプロセスやスタイルを踏襲しがちなのではないか(もちろんかくいう私も会社員の頃はそう言いがちだったからよく分かる)。

じゃあ何を変えればいいの?

…とここまで書いてきたものを読み返して、なんだか半分くらいは精神論とか気構えのような話になってしまった気がするが、言いたかったのはそういうことではない。

ひとまず今、最も変えるべきは「今の時代の技術(=デジタル×ネット)を前提に、情報を本当に流通させる」ことであり、それに向けた具体的な課題(法制度や技術、あるいはユーザの意識や文化)の解消だと思う。それこそお隣のレッシグではないが、憲法改正だって必要かもしれない。

という話を次のエントリで書いてみる。繰り返すが、これは連休中の宿題なので、連休中にまとめる(つもり)。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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