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CNET Japan ブログ

Blog退屈男

2007/11/25 08:30
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プロフィール

クロサカタツヤ / KUROSAKA, Tatsuya

インターネットや通信、放送サービスが大きく変容する中、産業、政策、技術開発等の最新動向や、情報通信サービスと社会の関係性を考える上での「新たな視点」を、さまざまな分野でコンサルティング活動をしているクロサカタツヤ氏がお届けします。
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このところ、「日本のBlogがつまらなくなったんじゃないか?」という話題がいくつか散見された。きっかけは、先日開催されたRTCカンファレンスで「ブログ限界論」というアジェンダが設定されたことによるようだ。

この問いかけに対する私の回答は文末で述べるとして、Blog界隈での一連の議論や当日のテキスト中継も読んだ限りで、一つ気づいたことがある。すべてとは言わない(さすが!と思わせるものもたくさんあった)が、どうも少なからず書き手の論理ばかりで、読み手のことがあまり意識されていないように感じたのだ。

サプライサイドとユーザのバランスを重要視し、「お客様は神様です」という言葉が嫌いな私は、いついかなる時もユーザを第一に考えよ、という意見には必ずしも与しない。しかしだからこそ、今回の議論がユーザを置き去りにしているのだとしたらあまりに一方通行で、やや手厳しい言い方だが「子供っぽい」議論のように見えてしまった。

読み手を育てる必要性

もちろん、チキン−エッグ問題として考えれば、書き手がいなければはじまらないのだから、Blogにおける書き手の力量の問題は大きい。ただ、これだけBlogが普及・定着した昨今、もしBlogの世界に何らか課題があるのだとしたら、それは書き手の側だけになく、読み手の側の問題でもあると考える方が自然である。

特に、従来のマスメディアのようなお作法が良くも悪くも存在しない(あるいはまだない)Blogの世界では、書き手の考え方一つでスタイルは大きく変わる。だとすると、それを受け取る読み手の側にも、それなりの心構えや技法が求められることになる。一方でBlogには、いかにもBlog然とした佇まいがあり(それがBlogというシステムの功績でもある)、ともすると横一線で並べて受け取りがちだ。

古くからBlogを書き、多くの読者を集めているようなBloggerは、一流の書き手であると同時に一流の読み手でもある。それゆえにこうしたBloggerたちの中では、「Blogを読む」という行為が暗黙知と化しており、そこに課題があるとはなかなか気づかないのかもしれない。しかし一般の読者は、この新しい表現手法の受け取り方を、まだ必ずしもキャッチアップできていないのではないか。

従って、もしこのアジェンダに意義を持たせようとするなら、私はBlogの読み手のことをそろそろきちんと考える、という視点を加えることだと思う。すなわち、メディア・リテラシーならぬ「Blogリテラシー」を考えよう、ということだ。

Blogリテラシー

ではそのBlogリテラシーとやらは一体何なのか。私の中でもまだ体系化できるほどには理解が深まっていないのだが、たとえば私はBlogを読む上で、以下のようなことに気をつけている。

【1】 Blogは一期一会
Blogと一口に言っても、内容からスタイル、また目的や位置づけも千差万別である。政治家もいればタレントもいるし、市場原理主義者もいれば社会民主主義者もいる。動画や写真をふんだんに使う人もいれば、論壇誌も裸足で逃げるほどの濃密な文章を綴る人もいる。こうなるともはや共通しているのは、BlogというCMS(コンテンツ管理システム)を利用している、ということだけかもしれない。

従って、「Blogだから信用できる(できない)」とか「Blogだから中身が深い(浅い)」といった、Blogだから云々という議論は成立しない。すべては個別のBlog、あるいはさらに個別のエントリ、さらに言えばエントリ内のあるフレーズ、に自分が共感したり価値を感じられるかどうか、である。その意味でBlogは一期一会であり、その瞬間に価値を見出せるか否かは、実は読者の側に完全に委ねられているのだ(ちなみにそれがブックマーク・サービスを必要とする所以だと私は思う)。

【2】 Blogはポジショントーク
Blogの書き手は、いずれも特定の個人ないしは法人である。メディアという中間者はそこには存在せず、ゆえにメディアのバイアスを受けない情報が得られるのがBlogの特徴、と言われる。確かに、当事者が直接情報を発信しているケースなどでは、従来は当事者(と取材者)しか知り得なかった一次情報に接触できるなど、その価値はとても高い。

しかしこれは、中立であることとは別である。そもそも特定の個人ないしは法人であるということは、そこで取り上げられている話題に対する何らかの利害関係者となる。そうした個人や法人が、その話題に対して中立でいられることは少なく、むしろメディアとはまた異なるバイアス、つまりポジション・バイアスがかかっていると考えるべきだろう。

もちろん訓練された書き手であれば、できるだけ注意深くそれを排除しようとする。しかしそれでも自分の立ち位置からはなかなか逃れられないものだ。また一方で、ポジション・トークがすべて悪いというのではなく、むしろそのポジションが明示されていれば、「この人の立場からはこの問題もこう見えるのか」という新たな視点の獲得にもつながる。ただいずれにせよ、Blogだから中立ということはありえない、と考えるべきである。

【3】 Blogはムラがある
Blogの書き手は、一般にはメディア産業に従事していない「表現のシロウト」が多い。だから悪いというのではないし、現実にプロとアマの境目というのは、どちらも「よくできた成果物」の質だけを見れば、様々な分野で低くなっていることは、かつてケン奥山氏も指摘していた。実際Blogの中には、プロをも唸らせる素晴らしい考察が数多あるし、シロウトゆえにより自由な立場で意見を物することができるという魅力もある。

それでもBloggerはシロウトであり、文筆・表現活動でメシを喰っていない。前述の奥山氏はこのプロとアマの差を「いつでも高い品質の成果を出せるか、そのための仕組みや技法を備えているか」と定義していた。すなわちプロは、1の成果の背後に10000の蓄積があり、またそのための仕組み(予算やスタッフの獲得、表現力や効率化を向上させる技法の習得・研鑽、等々)を持っているのに対し、アマは一発勝負、ということである。

両者の差は、品質のムラとして現れる。すなわち、エントリごとに濃淡があったり、専門外の分野ではトンチンカンなことも書くということだ。逆に言えば、多くの読者を集めるBloggerは一つ一つのエントリのムラが小さく、その意味ではすでに「プロBlogger」なのかもしれないが、そうしたBlogは多くない。従って、この面においてもBlogは(特定のBlog内においても)やはり玉石混合であり、一期一会の気持ちを以て読者の側がその中身を吟味していかねばならない。

【4】 Blogは中立じゃない
これはややテクニカルな話だが、最近の日本のBlogは、アフィリエイト技術(ビジネス技術も含め)の発達により、少なからずプロモーション手段としての位置づけを増している。それこそ有名な書評BlogでもAmazon等のアフィリエイトは張られているし、あるいは企業から製品提供や何らかの委託を受けてその製品をプロモーションするようなBlogもいくつか見られるようになってきている。

もちろんそれが悪いということではない。雑誌やWebメディアでも、ヘタな手抜き記事より、きちんと企画・設計された広告記事の方が情報価値が高いことはよくある。ただ、ベースが「シロウトによる情報発信」であるBlogの場合、従来のメディアよりも見分けるのが難しいことがある。書評のアフィリエイトくらいなら自己判断は容易だが、エントリの中身に関してはそれなりに「構える」必要もあろう。

【5】 Blogは上から目線
Blogはシロウトが書いている。この最大の意義は、「その分野の常識」を平然と無視した物言いができるということだ。たとえば私は通信業界にはかなり深いところまでアプローチしているが、NTT-NGNに対して世の中のBlogには「業界の内部や背景を知っていたらそんな勇ましい批判は書けないよなあ…」と思わせるものも少なくない。ただそれが悪いというのではなく、むしろ時としてそれが硬直化した現実に風穴を開けることもある。

そうしたアマチュアイズムの醍醐味こそがBlogの真骨頂であり、成熟化した社会においてともすれば忘れがちが本質論やそもそも論を想起させる、重要な機能である。しかしそれは逆に言えば、既存の産業の中の人からすれば「上から目線」に感じさせるような物言いであることも自覚しなければならない。すなわち「そんなことは百も承知でこっちは現実を粛々とこなしているんだよ!」という反発を招くということだ。

この反発を回避せよ、というのではない。それこそ「承知してるならやってみろ!」と言い返したくなるようなこと(あるいはそう言い返すことが正当な場面)もしばしばあるからだ。ただそこまで大見得を切るには、本来はそれなりの準備と覚悟が必要だ。少なくとも「昨日見たBlogに書いてあったから…」という程度の不用意さで触れるべきではない。それをそのまま現場に持ち込むと、大抵は反発というより「スルー」されるだろう。

で、Blogはつまらないの?

以上、あれこれと書いてみたが、まだまだ論点はあるはずだ。いずれにせよ、リテラシー(受け止め方)のような「読み手の意識」を高めていくことが、日本のブログ界の成熟には必要だと思う。逆にそうした「書き手と読み手の好循環」ができなければ、どんなにリッチでしっかりしたビジネス構造を持つメディアであっても、いずれ廃れるはずだ。余談だが、おそらく既存のマスメディアの一部は、そうした好循環からいつしか外れてしまったのだろう。

そうした観点からぐるっと回って、そもそもの「Blogはつまらないか?」という問いかけについて。

結論としては「つまらないとは思わない」のだが、それ以前に「つまらないか否」かというアジェンダ設定自体に違和感を覚えた。そもそもBlogとはWebで情報発信するためのシステムの一つに過ぎない。だから私には、たとえば「Perlってつまらない?Rubyっていけてる?」といった(そんなの使う人次第でしょ、という)問いかけのように聞こえるのである。あるいは言語の方が思想や息吹が強い分、まだ議論が成立するかもしれない。

もしつまらなくしている要素があるとしたら、Blogそのものではなく書き手であるBloggerや読み手、つまり人間そのものである。前者に関しては、Blogというシステムを使いこなせなかったり、文章を書くことの難しさに汲々としたり、あるいはBlogでの情報発信というスタイルを模索する最中で、Blogのおもしろさや価値を十分に引き出せていないということではないか。また後者については本エントリで言及したとおり。

ただいずれにせよ、私はBlogはつまらないとは思っていない。過渡期だとしても過渡期なりに「自分がルールを作っていける」というおもしろさがある。また実際にも、従来は縁のなかったプロやエキスパートの声を見聞きできるようになったし、それをきっかけに新たな商流が生まれることも経験している。それこそ書き手としても、遅々とした更新ではありながらも、Blogを書くことで考えを整理できることが多い。そんなわけで、私はBlogには全然絶望していないし、これからも続けていくと思う。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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