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にせブランドちから

2009/03/13 02:38
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プロフィール

千ヶ崎 隆司

「君に」と言いながら、実際のところは自分の脳内をデフラグするために始めたようなブログです。 少しでも読んでいただいた方の役に立つような情報を書けたらと思っています。 ちなみにタイトルの由来はYMOの名曲から。 更新頻度を上げるために四苦八苦しております。申し訳ありません。 基本的に「エライ」人の間違いを考えることがテーマになっています。 ご意見等がありましたらtwitterアカウント「@tchiga_cnetj」まで。記事のソース等も貼り付けて行く予定です。
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昔の人は言いました。「始めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。(ヨハネによる福音書)」このような「言葉による創造神話」はキリスト教に限らず世界各地に存在します。日本も例外ではなく、日本神話に登場する神々の名前はそのまま属性・事象を表したものです。たとえば、天照大神は「天を照らす神様」であり木花咲耶姫は「花のように美しく散りゆく(短命)定めを持つ神様」なのです。「名は体を表す」ともいい、人は太古の昔から「言葉」がとても大切なものであることを知っていました。さらには、「言霊」として言葉の持つ力を信じていたからこそ、言葉を大切にしてきたのです。

(これ以上話を広げると民俗学的、人類学的な話になってしまうので以下略)

なんだかパネルディスカッションで口コミについて色々議論が交わされているので、ちょっと便乗した感じでこれを書いています。マーケティング的に「口コミ」はどうなの?という話をしているようですが、とりあえずそれは置いておいて、私が学生時代に飲食業で働いていた際に社員の方に「1人の客を失うことは7人の客を失ったことになる」と教わりました。要は「お客様一人一人を大事に」って事なのですが、同時に口コミの影響力はとても大きいということも教わりました。

インターネットとWeb2.0(死語!?)の影響で「口コミ」の影響力が具体的に見える形で、未知の第三者も情報を得ることが出来るようになりました。こうなるとメーカー側としてもその影響力を無視できるはずもなく、どうにかしてマーケティング戦略に取り込もうとしているようです。しかし、あくまで「口コミ」は製品・サービスに対するレスポンスであり、当然メーカー側が能動的にどうにか出来るものではありません。これは、企業が大切にする「ブランド」も同様です。

しかし、日本において、この「ブランド」という単語は正しく使われているのでしょうか。さらには機能しているのか、私は甚だ疑問でなりません。

ところで、私はPaul Smithが大好きです。10数年前に購入したZIPPOやコートを今でも大事に着ています。他のメーカーよりも少し値が張りますが、他のメーカーのものよりも生地がしっかりしているので、長く着られますし、何よりもPaul Smithだから許される、ダサイと格好いいのギリギリのラインを見事に格好いい方に持ってくるデザインセンスに心底惚れています。そして、何よりPaul Smithという「ブランド」を信頼しています。

ファッションの形態として「フォークロア」なるカテゴリがあります。私は、このカテゴリというよりも、このカテゴリを作り出した日本のファッション業界およびファッション雑誌編集が大嫌いでなりません。

そもそも「フォークロア」なる単語を耳障りがよい程度の理由で名付けてしまうような姿勢には納得しかねます。所謂「和製英語」を使っているからいけないのだと思います。他言語を他言語として理解する土壌を奪ってしまったから「日本語しかわかりません」などと平気で言えてしまうし、日本語にローカライズされたものをありがたがっているのだと思います。

こういった姿勢は「ブランド」に対しても同様に発揮されています。一つのメーカーで様々なブランドとして商品を展開していますが、むしろそれはブランドではなく「レーベル」といった方が正しいでしょう。そういう業界の体制自体がまさにフォークロア?

世界では日本製のアニメーションは「Japanimation」もしくは「Anime」として「Cartoon」や「Animation」とは別枠で扱われています。これは日本のアニメーション業界が持つ、世界に誇るメイド・イン・ジャパン「ブランド」です。

こういう人たちには、なぜ日本のアニメーションが「Japanimation」であり「Anime」であり、「Cartoon」や「Animation」ではないのかは、理解できないでしょう。あぁ「おしゃれ」とは関係ないからよいのですかね?スイーツ(笑)

そういえば無印良品はメーカーOEM製品を装飾せず、メーカーロゴなどを省いてシンプルなまま販売することで低価格に提供することが出発点であったはずなのに、いつの間にかそのシンプルさが受け「MUJI」という世界に通用する「ブランド」にまで成長しました。そこには顧客に対する「日本的」サービスが受けたという意見もあります。[wired]

逆にユニクロはシンプルな製品を低価格で多色展開しましたが、採算が取れず、また急速すぎた店舗拡大のために起きた店員の質の低下が「ユニクロ」ブランドの信頼低下を招きました。

本来、というか経済学・経営学上の「ブランド」とは、商品に与えられる付加価値であり、後天的に付加されるものです。それは商品を提供する企業に対する信頼性やサポートへの消費者側のフィードバックの結果です。

一見同じように見えても、少し値が張っても、ブランド品を購入するのは、そのブランドに対する信頼性やサポートの「期待値」であり「信用度」への対価です。

ヴィトンのバッグがヴィトンのバッグであるのは、値段が高いからではなく、プレミアがついているからではなく、そのブランドに裏打ちされた信頼性であるということを理解しなくてはなりません。

Apple税」などと批判されながらも、Apple製品がこれほどの注目を集めるのは、常に新しい技術を提供し続ける事に対する期待感、他社のPCに共通する「無骨さ」を感じさせない洗練されたApple in Californiaのデザインセンスへの共感などがあるからでしょう。(他にもWindowsへのユーザーの敵対心、マカーと呼ばれる熱狂的信者の存在など、Appleのブランドを支えている要因は色々あるでしょうが)

従って、「ブランド」を企業が意識的にマーケティングに使用するのであるならば、「顧客満足度」を上げることがブランドを成立させる絶対条件になるはずです。それは手厚いサポートであったり、堅牢な製品、色々なアプローチの仕方があり一概に語ることは難しいでしょう。それらを実直に愚直に守っている例としては、任天堂や象印などが上げられるでしょう。

ところが、日本の市場においては「ブランド意識」が先行し、本来の「ブランド」に対する価値と意味はないがしろにされ、ブランドの名前、言葉だけが一人歩きしています。結果として食品業界に登場したのが産地偽装・表示偽装などの諸問題です。これはブランドを悪用した企業側と、ブランドの名前だけで判断してしまう消費者側の双方の存在によって成立してしまった問題でしょう。

現在の日本の市場にはそのような事件の発生するだけの土壌が培われてしまっています。しかし、そんな状況にしてしまったのは企業側のマーケティング、コマーシャル戦略の失敗であり、これから企業が背負って行かなくてはならない負債です。

昨年NTT DoCoMoはブランド名を「docomo」に変更しましたが、表記を変えただけではドコモはドコモでしかありません。「ドコモ」というブランドに集客力を求めるためには、顧客の満足度を上げていかなくてはなりません。商品展開やサポートの充実があって初めて「docomo」としてブランドが認められるのです。当時ドコモのブランド力を問う等という記事がありましたが、簡単に名称変更する時点でブランド力など皆無であったといわざるを得ないでしょう。

なぜ世界で「China Free」を叫ぶ人々がいるのか、といえば、それは製品や顧客に対するサポートに見られる圧倒的不信感であり、彼らの言う「民族的差別意識」(というか共産主義には民族思想は無いはず...)とは無縁のものであることは明確ですし、中国製品・韓国製品が日本製品よりも劣っているという意見は、iPhoneもどきを当たり前のように新製品として出してきたり、あからさまな手抜き製品を出してくるようなオリジナリティやプライドの無さ、クォリティの低さ、しいては「不道徳」な姿勢に起因しています。不道徳さは著作権侵害[/.jp]という形でも見て取れます。そしてそれらがどれだけ滑稽であるのかは、周知の事実として世界的に知れ渡ってしまっています。(これらの詳細はEngadgetやyoutubeなどで笑いのネタとしていくらでも見ることが出来ます)[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][まとめ]

100年に1度といわれるこの不況の最中にあって、製品を売るためのマーケティングは大切かもしれませんが、マーケティングできるだけの価値を持った製品、そしてそれに伴って発生する本来の「ブランド」を作り上げていくことが「不況に強い企業」なのではないかと思います。

そう考えれば、何でもかんでも不況の所為にするような姿勢がいかに企業にとって不健全な姿勢であるのかがはっきりするでしょう。「ブランド」や「口コミ」は後から追随してくるものであり、それを前提に考えているからおかしいのです。Amazonのレビューが消えるということに対して[/.jp]、作者が反発していますが、真に面白いものはレビューに関係なく売れるでしょうし、好意的であっても、批判的であっても、レビューが書かれるということはそれだけ注目されている証です。それ以前に、趣味・娯楽関連のレビューは内容うんぬんを無視した信者的なレビューばかりなので、レビューとしての価値は低いです。逆に参考書や専門書のレビューは的確なものが多いので、個人的には重宝しています。(O'REILLY関係等々)「良いものは良い」なんて当たり前のことは、消費者はみんな知っています。

ブランド力や口コミ等の後天的付加価値であるものを、当然のように議論するのはいい加減にやめるべきかもしれません。そんな議論をしていること自体が、恥ずかしいといえる行為であり、企業としての未熟さを露呈していることに過ぎないのですから。

少し別の話になりますが、「言葉の乱れ」をマスメディアは嘆いているくせに、本来の意味を忘れた、乱れた言葉を使うスポンサー企業のマーケティングに荷担し、言葉を大切にしない広告を打ってきたマスメディアの責任を問う必要もあるのかもしれませんね。さらにいえば、言葉を扱うプロを自称するマスメディアがそれに気付かず、助長させているのが問題なのでしょう。

ブランド力や口コミ効果を語る際にその意味を理解した上で議論をするならばまだしも、本来あるべき企業のマーケティング姿勢を誤魔化すための議論のすり替えであるのなら、日本は危険です。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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