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ネオフィリアの生きる道

2010/01/02 14:25
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経済学は、一説には「人々の幸せを最大化するための効率的な配分を考える」ための学問だという。しかし、「幸福(あるいは不幸)とは何か」という定義については、驚くほど議論の余地がある。

たとえば、途上国の、食うものも着るものもままならない子どもたちのほうが、何不自由なく暮らしている日本人の子たちよりもイキイキして見えることに、釈然としない何かを感じたことはないだろうか。

あるいは、貧しくて内紛の絶えない国々では社会的ストレスが他殺に向かい、物質的に豊かで福祉が充実した国々では社会的ストレスが自殺に向かうことが知られているが、絶望の淵で自殺を考える日々は、誰かに殺される恐怖に怯える日々よりもマシだと本当に言い切れるだろうか。

日本人は、戦後65年を経て物質的に満足し、いまでは「欠乏の欠乏」に悩まされている。なんと深い「業」だろう。衣食住足りて娯楽に耽るようになると、ゆるやかな衰退と滅亡を迎えることになるのは、はるかローマ帝国の時代から「パンと見世物」の故事で広く知られていることだ。

ビジョナリーや経済学者と呼ばれる人たちの書いたものは、だからたくさん読んだ。誰かがもしかしたら明るい解釈を見せてくれるかもしれないと、希望を捨ててなかったからだ。しかし残念なことに、現行の政権政党の政策が良いの悪いのといった枝葉末節な批判、あるいはGoogleが勝つだのiPhoneが伸びるだの、明らかになった結論にあわせて問いのほうを歪めた「未来像」ばかりがどこまでも山のように出てきた。ぼくは心底うんざりしていた。

そんなある日、佐々木正悟氏の「ロボット心理学」という本を読んでいて、生物学者のライアル・ワトソンが書いた「ネオフィリア―新しもの好きの生態学」というエッセイの存在を知った。そのなかでワトソンは「ライオンとトラのきわめて大きな違い」について以下のようなことを書いている。(以下は「ロボット心理学」からの孫引きである)

ライオンは生まれついての怠け者。食料さえ十分にあれば、怠惰な生活をいとも簡単に受け入れ、木陰なんぞでこれ幸いとばかり、いくらでもうたた寝にふける。

トラはそうはいかない。彼らには求めるものがはるかに多いのだ。神経系統が無為を嫌い、長時間くつろぐことを許さない。どんなにたらふく食べさせようと駄目なものは駄目なのだ。檻に入れると、すぐに退屈して落ち着かなくなり、中をうろうろと歩き始める。それだけに、檻で飼うのが困難をきわめる動物だ。

(中略)

動物のほとんどはライオンのカテゴリーに入る。生来、保守的で、昔から慣れ親しんだものを求めるのだ。一部のヒト、時にはある文化全体がこのタイプの場合もあるが、種としての人類はトラ・タイプになる傾向がある。ヒトはチャレンジを好む。進んで新しいもの、違うものを求める。無理をしたり、背伸びをするのが好きだ。刺激を求め、あえてわが身を危険にさらす。わかりやすく言えば、われわれは「ネオフィリック」(neophilic)、つまり新しもの好きなのである。

「ネオフィリア―新しもの好きの生態学」ライアル・ワトソン著

ワトソンは、「新しもの好き(ネオフィリア)」は「新しもの嫌い(ネオフォビア)」よりも、変化する環境を生き延びるのに有利なのだという。続けていう。

たとえばアリクイは、アリを探して食べるのに抜群の才能を発揮する。周囲のどの動物よりも、体の構造や行動が「アリを食う」という行為に向いているのだ。これほどの数のアリを、これほど短時間に食い尽くす動物もほかにいないだろう。それはそれで結構、アリが存在する限りは…。だが、ひとたびこの食料源に変事が起こると、アリクイは即、アリたち同様、古代の遺物と化す。専門技の発揮できないスペシャリストに未来はない。

つまりワトソンによると、「新しもの好き」という性質によってヒトは変化する環境を生き延びてきたのだという。手に入れた安全や充実に満足することなく、冒険に繰り出し新しいものを発明し続けるヒトの「業」は、生物学的に根拠付けられている、というのである。

バクテリアなど単細胞生物は苦いものから逃げる。なぜなら毒だからである。ヒトの赤ちゃんも苦いものを避けるが、成長にしたがって好むようになる。苦味物質には薬としての側面もあるからで、これを摂るようになる生物の性向を「勇気」と形容し、そうした飽くなき疑問と好奇心が生物を成長させてきたというのは「感性の起源」での都甲潔氏の言だが、これなどもネオフィリアという性質の存在意義をうまく表現していると言えるだろう。

だが、良いことばかりではない。ネオフィリアという戦略の代償として、ヒトは退屈を耐えられないほどの苦しみと感じるようになってしまった。トラはより良い環境を求めてさまよい歩いたが、ヒトはより良い環境を作り出すという戦術を加え、文明を生み、都市を作り、娯楽を編み出してきた。しかし、どのようなものを手に入れても、すぐに飽き、退屈し、同じ状態に満足することは決してない運命なのである。

ぼくは、このことを学んだとき、長年自分を苦しめていたものの正体を知った思いがした。

なぜ経済は右肩上がりでなければいけないのか?なぜ人類は、「足るを知る」ことができないのか?こうした単純な問いに、それまで誰も納得のいく答えをくれなかった。

志を立て、世に名乗りを上げようと考るとき、よりどころとする思想は誰しもが持っていることだろう。しかしぼくの場合、世の中のことについて学べば学ぶほど、何をすることが正しいことなのか、わからなくなっていった。

松下幸之助は、水道哲学のなかで「産業人の使命は貧乏の克服である」といった。ぼくは、これを明快にして美しい思想だと考える。しかし、これは裏返すと「貧乏を克服してしまったら、産業人の使命はなくなる」ということでもあった。現代の先進国にあるのは、自分たちの周囲だけに基準をおいた狭い世界の「相対的な貧乏」であり、これは途上国の「貧困」とは質的に異なるものだ。「相対的な貧乏」を解決するには、自由を犠牲にして平等を追求した共産主義のあとを追うほかなく、そこに産業人の出番はない。

率直にいって、使命として強く感じられるほどの欠乏は日本のような先進国には存在していない。だから、何を為すにせよ、現代の事業というものは、「貧乏の克服」というような大義にとっては本来なら必要でないことを、さも必要であるかのように見せかけ、なかった需要を無理にでも作り出すという側面がつきまとう。そんなことに自覚さえない一部の起業家たちが、とてもうすっぺらな存在に見えた。穴を掘り、その穴を埋めてもGDPさえ増えればいい、という論理で動く政府の公共事業をそんなに笑ってもいられないのだ。

ぼくには、目的のためには手段を選ばないという意味での「清濁併せ呑む」という次元ならともかく、根本にある目的・思想そのものが不純物だらけの状態で事業を営むことが、とても不誠実なことに思えて仕方なく、そのことにずっと葛藤を抱えていた。そんなことに疑問をはさまず、気付きもせず、ただひたすら事業に邁進できたなら、どれほど幸せだったろうと憎らしくすら思った。

しかし、このネオフィリアという言葉に出会ってから、そんな一見愚かな人間の営みは生物学的にインプリメントされていることであって、理性や努力によって克服できるものではなく、その本能に逆らっても仕方がないという、割り切った考え方ができるようになってきたのだ。

生物学的スケールから見れば、人類が言語を獲得してからの数千年の文明史など、またたきの間にも等しい。このネオフィリアというヒトの性質が、ヒトの生物学的な特質に由来するものならば、今後も変わることのない原理として受け入れてしまったほうがよいではないか。そこに思い至って、たゆまぬ競争とイノベーション、そしてバブルの生成と崩壊をベースにした資本主義は、そうしたネオフィリックなヒトの性質と相性がいいということも、より実感をともなって理解できるようになってきた。すでに現実が証明していることがらについて、ようやく納得のいく記述が得られたのである。

21世紀、ヒトは、戦争や円形闘技場で人を殺すことではなく、商業的な競争やフィクションの世界で代理戦争を演じ、みなぎる闘争本能を満足させていく。インターネットによる仮想世界の発達は、有限な地球資源を浪費することなく新しいドラマを生み出し続ける基盤となり、そこでは将来にわたってネオフィリアたちを満足させる「何か」が常に生み出され続けるだろう。ネオフィリアとしての、動物的な存在としての人類を「所与のもの」として受け入れることによって、こういうビジョンの「Why(なぜ)」という最後のピースがピタっと埋まるのである。そうでなければならない切実な動機が見えてくるのである。

おそらく、ヒトをここまで栄えさせてきたのもネオフィリアという性質なら、ヒトをほろぼすものもネオフィリアということになるかもしれない。しかし、与えられた生をただ生きるしかない、というひとつの個体としての運命を受け入れるなら、何であれ、自分に活力を与えられる説明が手に入ったのならよしとする、という考え方も許されるのではないか。

そんなことを考えつつ、今年こそは世の中に認められる良い仕事をしたい、との決意を改めて強くした2010年の元日。今年は寅年なので、ネオフィリアたちにご利益があるかもしれません。

それでは、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

小野正利 / ピュアになれ

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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