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ついにビザを入手

2005/05/31 23:29
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さて、ご報告です。

ついに。。。ビザを獲得しました!!!

20050531-visa.jpg

振り返ってみれば、これは結局足かけ1年以上を要する大仕事でした。

昔から私のブログを読んでいただいている方は、「そういえばシリコンバレーに行くっていう話はどうなったんだ?」という疑問をずっと持たれていたことでしょう。

今回はこれまでの経緯を駆け足でご説明したいと思います。

■第1期(2004年1月〜6月)

米国子会社の立ち上げの話が出たのは、今を遡ること約1.5年も前の2004年1月のことでした。

いよいよ日本でのビジネスが軌道に乗り、米国進出の基盤を作ろうという機運が出始めていた頃のことです。

経営陣から子会社運営責任の内定をもらってからというもの、意気込んでJTPAシリコンバレーツアーのお手伝いをしたり、法人を設立したり、計画を練ったりと、さまざまな作業を並行しながら着々と準備を進めていきました。

そうするうち、すでにビザ取得が一番の壁になりそうだ、ということは薄々感じていたのですが、それにしてもまさか一人の日本人がアメリカで働くぐらいのことがそれほど問題になることはあるまい、と、どこか甘く考えているところもありました。

このビザ問題が最初に深刻な問題になったのは、昨年の6月下旬にビザ申請が却下されたときでした。

結果的にその理由は、組織図の書き方が誤解を招くものであった(L1Aは現職にて管理職としてのキャリアを証明する必要があるが、各部門長が末端に書かれた組織図だったために一般社員と解釈された)という、ほんとうに些細な凡ミスでした。通常なら書類上の疑問点について移民局側から確認の問い合わせが来るのですが、悪いことにその当時、移民局では業務コスト削減のため(?)書類の不備は面倒な修正依頼を出さずに落としてしまえという通達が出回っていたらしく、そのまま落とされてしまったのでした。

このことをきっかけに、凡ミス云々のことよりも日々の対応にも何かと支障があったので弁護士を変えることにしました。

その際、新しい弁護士事務所ではビザを実際に取得するまで(業務がやりにくいので)ブログにはビザの申請ステータスについて書かないでくれ、という条件を提示されてしまったので、それ以後の細かい経緯についてはタイムリーに書くことができなくなってしまいました。

■第2期(2004年8月〜12月)

しかし、本当に大変だったのはそこからでした。

昨年8月より新しい弁護士に審査書類の再レビューを行ってもらい、次回は条件を万全に整え、最も永住権に近いとされる有利なE2ビザ(投資家ビザ)で申請しよう、という話になりました。

インフォテリアでは当時すでに現地で2名のアメリカ人エンジニアが契約社員として働いていたのですが、彼らを新法人の社員として所属を移し、新法人の口座から給与が支払われるようにして、さらに新たに事務職のパートタイムを雇用することで、非移民ビザの中ではもっとも格上とされるE2を獲得できると踏んだのでした。

そこからはE2ビザの獲得に向けての整備が始まりました。準備したファイルの一部をリストしてみると、こんな感じです。

日本親会社について

  • 会社概要
  • 定款
  • 登記簿
  • 日本親会社の株主リスト
  • 日本親会社の過半数の株主が日本国籍である証拠(パスポートのコピー)
  • 組織図
  • 過去2年の決算書と確定申告書
  • 会社案内のリーフレット

米国子会社について

  • 20万ドル以上へ増資
  • 定款、登記書類、役員選出に関する役員会議事録
  • Federal Tax IDの登録番号
  • 米国法人の株主リスト
  • 株券コピー
  • オフィス賃貸契約書のコピー
  • オフィスの写真(建物の写真、建物名簿に名前がある証拠、事務所のドアの表札の写真、米国スタッフのデスクやワークスペースの内装写真など)
  • 会社案内およびパンフレット
  • 組織図
  • 向こう5年のビジネスプラン
  • 雇用契約書のコピー
  • 銀行口座の取引ステートメント(資本金の送金記録を含む)
  • 米国人従業員のレジュメ、パスポートのコピー
  • 本社とのソフトウェア売買契約書
  • 現地での支払い実績を証明するありとあらゆるレシート類

本人について

  • 雇用証明書
  • 収入証明書(源泉徴収票、確定申告書)
  • 履歴書および職務経歴書
  • 最終学歴を証明する卒業証明書
  • パスポート全ページのコピー
  • ビザ用写真(サイズは50mm×50mm、背景は白、正面向き、顔の比率が全体の50%を占めていること、頭髪の頂点からあごまでは25-35mm、6ヶ月以内に撮影されたもの)
  • ビザ申請書フォームDS-156
  • 戸籍謄本

ざっとこんな感じです。最終的にファイルの厚さは15cmぐらいになったでしょうか。

どれも実際に手をつけるとまんべんなく大変なのですが、特に心理的に大変だったことが記憶に残っているのは日本親会社の過半数の株主が日本国籍である証拠です。

個人株主ならパスポートのコピー、法人株主なら上場証明書、ということなのですが、これはプライベートなベンチャーキャピタルや個人からの投資が大部分を占めるインフォテリアでは極めて難しい条件でした。

しかし結局のところ他に選択肢もないわけで、ファンドマネージャや個人株主にひたすら連絡してまわり、パスポートの写真ページのコピーや投資組合の登記簿を送ってくださいというお願いをしてまわるという前代未聞の事態に至ったのでした。ご親切な株主のみなさんのご協力のおかげでギリギリ51%のパーセンテージ分の国籍証明が集まり、何とかクリアすることができましたが、これは今思い出しても冷や汗が出てきます。

さて、ここまで条件を整えて、10月中旬にファイルを大使館に提出しました(E2ビザは移民局を飛ばして大使館に申請します)。

その後、11月中旬に投資実績についての追加書類を提出せよとの指示が大使館よりあったので、その時点ですでに20万ドル近くが支出されて動いている実績を示し、追加で交わされた契約書などを提出しました。

そしていよいよ12月末、満を持して大使館より面接の連絡があり、意気揚々として向かいました。

朝8時前から寒空の下、館外の行列に並んで1時間ほどしてから2重の持ち物検査を通過して大使館に入館し(電化製品は一切持ち込めません)、そこからさらに2時間ほど待って指紋を採取し、その後に面接。そのときの年配で白人女性の領事からの応答は実にそっけないものでした。

まず名前を確認され、年齢を確認し、前職がオラクルであること、現職がインフォテリアであることの確認。それから、以前にも米国で子会社を設立してEビザを登記したことがありますね?と聞かれたので、一度ボストンに設立したがビジネスがうまくいかなかったので今度が再チャレンジだ、ということを答えました。

そこからしばらくやりとりするうち不穏な空気がたちこめ始め、新会社の歴史が若すぎること、E2ビザには十分な金額の投資実績が必要だが社員の給与以外には現地に落ちた金銭が少ないことなどを挙げ、E2ビザには適格でない、と言い出すではありませんか。

一瞬、気が遠のきそうになりましたが、頭が真っ白になりつつかろうじて、すでに(E2ビザとしては十分な)20万ドル相当の金額が動いていること、実際に送金もしており、強いコミットメントがあること、そしてInfoteria USAにはすでに3人の社員がおり、社長(私)の到着を待っていることなどを挙げて反論したのですが、取り合ってもらえませんでした。

そしてついに、その領事は「LかH1Bで再申請しなさい」と言い放ち、パスポートに却下のスタンプを押したのでした。

この半年間の努力が水泡に帰した瞬間です。

今でもその瞬間のことをスローモーションでつぶさに思い返すことができます。

その後、大使館の中にある公衆電話から(先に述べたように携帯電話は持ち込めません)弁護士事務所の担当パラリーガルに電話して状況を説明すると、その場でやれることはもうないから戻って報告をしてください、ということでした。

今にして思えば、かつてボストンで同じ名義の会社で大使館にEビザを登録しておきながら、会社をクローズし、そして今また同じ名前の会社で登録しようとしているのが怪しく感じられたというか、心象が悪かったのかも知れません。

頃は年も暮れ、心労のあまり年始まで体調を崩してしまい、落ち込む日々でした。

■第3期(2005年1月〜5月)

その後、私からの報告を聞いた弁護士から、本件の扱いは不服として即時異議申し立てを行ってもらっていたのですが、やはり領事からはなしのつぶてでした。

こうなると、次のオプションは国務省を提訴してケースをエスカレーションするか、ケースを取り下げてLビザで申請し直すかという決断になります。

今回のケースは事例的にも十分すぎる条件を満足しており、したがって超法規的な解釈論争であって、国務省にアピールすれば時間はかかるが勝ち目は十分あるだろう、という見解をもらっていました。一方、Lビザは去年に一度却下されていることもあり、不利な状況にあるという認識がありました。

しかし、色々と悩んだのですが、いつまで待てばよいのかわからない法廷闘争に時間をかけたくないという思いから、やはりケースを取り下げてLビザで再申請を行うことにしました。

Eビザのために時間をかけて整えてきた条件面は申し分なく、これに沿って資料をアップデートすれば、ビザ却下歴による心証の悪さを別にすればもう問題はないだろう、という読みもありました。

そしてその後、三度目となるビザ書類の準備を経て、いよいよ4月上旬、移民局にファイルを提出しました。

すると、請願自体はあっけないほどすぐに承認されました。

問題は第二関門、大使館の面接です。ゴールデンウィークの終わり頃、5月上旬に請願認可通知の原本を受け取ってから大使館の面接を5月24日(火)に予約したのでした。

さて当日、ふたたび朝8時過ぎに大使館に行きました。

前回と同じように指紋をとり、名前が呼ばれる頃にはもう11時を回っていました。精神的には前回のような楽観モードではないため、待っている間のこのプレッシャーは描写にたえません。別の面接者が領事に食い下がっている姿が目に入り、ずいぶん長いこと話し込んでいたけれども結局20cmはあろうかというファイルを抱えて暗い顔をして出て行くのを見てしまい、また気が滅入りました。

そしてついに自分の番がまわってきた面接、今度は若いラテン系女性の領事、その第一声。

「I-129のコピーがありませんが。」

何が起きても驚かない心構えはできているつもりでしたが、これには虚を突かれました。

しかし私もここまで来て負けてられません。胆力にまかせ蛮勇をふるって

「そんなはずはない、書類に不備はない。」

と突っぱねました。そして、念のため持参していたファイル一式のコピー束をドサッと出し、

「これが提出した書類だ。」

と余裕を装って見せました。

すると領事はちょっと考えて、このコピーを持って引っ込んでいきました。上司に確認をとるのでしょうか。

私はというと、その間に急いで公衆電話へと向かい、弁護士事務所に電話です。

「I-129のコピーが必要だと言われたのですが。。。」

「変ですね。いつも通りの書類ですので何も問題ありませんが。一応、I-129のコピーでしたらファイルの5ページ目にありますが。」

「ありがとうございます。」

ここで電話を切り、しばらくして再び名前が呼ばれたので窓口に。先方が口火を切るよりも早く、

「先ほど渡したファイルの5ページ目にI-129の写しがありますけど。」

「えーと、あぁ、ありますね。」

そしてぎごちない挙動をする領事。しばらくじっとファイルを見つめ、おもむろに口を開いて、

「このコピーですが、下の方が切れてしまってますね。」

そもそもこれは提出済みのファイルのコピーに過ぎず、今回たまたま持ってきただけなのに、なぜこのコピーについて文句を言われねばならんのだ。頭に血が上るのを感じつつ、抑制をきかせて、

「えーと、I-129の原本は移民局にあるはずですが。そもそも請願が通ったからApproval(I-797)が出てるのですから。というか、そもそもI-129の写しが面接時に必要とは聞いていません。」

と畳みかけるが、うまく伝わりません。

そうこうするうち、再び領事は引っ込んで行きました。どうやらまた相談しているようです。

そして今度はニコニコしながら戻ってきて、

「はい、大丈夫です。この書類はこれから審査する必要があるので今日はもうお帰りください。」

プチッ。脳のどこかの血管が切れる音が聞こえましたが、かろうじて理性を保ちました。なんといっても相手は生殺与奪の全権限を掌握している絶対者です。市民革命の基礎となった三権分立もへったくれもありません。けっして機嫌を損ねてはいけないのです。

頭に浮かんでくる罵詈雑言をやり過ごし、モデレートな言葉を選んでは紡ぎ上げていきました。

「そう言われても困ります。今日はビザをもらえるということで来ました。これから審査をするというなら期日をハッキリ教えてください。」

「期日はいつとは言えません。」

「私は急いでいます。一週間かかるのか、二週間かかるのか?」

ここでまたもや引っ込む領事。誰かと相談してからまたもや戻ってきて、

「やはりハッキリしたことは言えず申し訳ありませんが、2週間程度だと思います。」

「確認させてください。今回の件は私のfaultではない、ですね?」

「あなたのfaultではありません。ただのpaperworkです。」

「それは、ビザは2週間後に手に入る、という意味ですね?」

「はい、そういうことです。」

この会話をできれば録音したかった、と思いつつ(もちろん入館検査で電子機器は没収されるので持ち込めませんが)、ここまで言質を取った以上、これ以上ここにいる理由はありません。

そうこうするうち、領事が手近な紙にペンを走らせて、「残念ながら、あなたの非移民ビザ申請は米国移民国籍法第214(b)条に基づき不適格と審査されました。」で始まる文書の判断理由の「その他」の項目に「Administrative Processing」と書かれたものが手渡されました。Eビザの面接時に受け取ったのと同じ、却下通知用フォーマットの文書です。

20050531-reject.jpg

大使館を出たのはようやく昼過ぎでした。

すぐに弁護士事務所に状況を報告したところ、担当パラリーガルからは「何もかもが変です。多分、新米の領事だったのでしょう。」とのコメントが。そして「パスポートを預けたままの状況であれば可能性はあると思いますよ。」とも。

昨年末のEビザのときの既視感におそわれ、ガックリうなだれて会社に戻りました。過度の緊張感でノドがカラカラだったのに加え、ほぼ4時間近くも立ったまま待ち続けたためか、体調も崩してしまいました。

今回の面接のやりとりの中で、何度か重要な勝負ポイントがありました。

書類が不足している、といわれたとき、そして時間がかかると言われたとき、などなど。これら勝負ポイントのどこかで、はいそうですか、と相手の言いなりになっていたら、三度目の却下をくらっていたか、もっともっと時間のかかるプロセスに差し戻されていたことでしょう。

移民局の承認がファックスで届いてから正式な通知書を郵送で受け取るだけでも約1ヶ月のタイムラグがあることからもわかるように、あらゆるプロセスが遅いので、ひとつ手順が狂うとあっという間に1〜2ヶ月が吹っ飛んでしまいます。

まったく近代国家とは思えない不条理さです。

どこかでひとつでもミスしていたら、と思うとゾッとします。

■そしてついに・・・

結局、その日に大使館から持ち帰った土産は却下通知の雛形をベースとした紙ペラ一枚であり、おかげさまで心労からか体調もすぐれず、気分は最悪でした。

ところが、事態は意外な結末を迎えます。

面接をしてからわずか3日後の金曜日、弁護士事務所から連絡があり、「ビザが届いた」との連絡が。

何でも、最後に受け取った通知書に書かれていた移民法214条(b)というのは「移民・永住の意思がある」という事由を示しているのですが、そもそもLビザは永住の意思を示すことは何ら問題ではないため、こんなデタラメな通知書はないぞということでクレームしたところ、あわててビザを発行してきたということのようです。最後の最後まで、かなりお粗末な対応だったというわけです。

何にせよ、結果的にはようやくここまで漕ぎ着けました。

実は年末年始の正月テレビ番組を見ていて、細木数子が私の運勢は5月に月運の達成度ピークを迎えると言っていたのがずっと気になっていたのですが、期せずそれが本当になったという感じです。(ちなみに2006年は人生の冬「大殺界」らしいですが。。。)神社で祈願の御守りを手に入れたり、もう神頼みでも何でもアリという心境でした。

まったく理不尽な要因で進退が左右されてしまう最大の壁はクリアすることができました。これからはいよいよ米国進出に向けての準備を本格的に進めていくことができます。

まだまだ気を抜けない状況が続きますし、1年以上トラブル続きだったトラウマからか、まだ渡米できるということの実感が沸いてきませんが、確実に精神衛生上の快復を感じます。これからはいいご報告ができることでしょう。

というわけで、フラストレーションをコントロールしきれていない散漫な内容のエントリになってしまいましたが、いつか誰かの役に立つといいなと思いつつ、ここ1.5年の艱難辛苦を言葉にしてみました。

本件でお世話になった方々にはこれから順次ご報告していきます。

それでは、また。

♪ 矩形波倶楽部 / Return To Departure

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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