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シリーズを振り返って

2005/01/31 23:47
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今回のシリーズに何とかケリをつけてみて、色々といただいた反応を振り返ってみました。

浅倉卓司のログ@WebryBlog」からは何度かトラックバックをいただきましたが、この中で梅田さん@はてなこのエントリに関連してエコノフィジクスにご興味があるようだったので、ちょうど以前ファインマンの経路積分について調べていたときにくだんの高安氏が飛田氏を交えてGLOCOMで対談したコンテンツをたまたま見つけて、これがまた面白かったのでご紹介します。

ゆらぎを扱う数学の誕生
現代社会におけるゆらぎの数理の重要性

ちなみに「経済物理学の発見」は新書らしく、著者の研究動機などもストレートに語られていて面白かったです。ブラック・ショールズとかデリバティブの数理経済は研究室の同期がやっていたのでホットらしいということは知っていたのですが、自分が社会人になってから再検討してみると全然違った興味の持ち方ができますね。「マネーゲームの予言者たち」も物理学の視点が光る記述の多い一冊ですのでオススメできます。

Entrepreneurshipを探る旅」の上田嘉紀さんは、思いを込めて書いた部分に共感していただけたようで嬉しかったです。ありがとうございます。「Entrepreneurshipを探る旅」は、考え方や価値観が近い部分が多いので個人的に構えず気持ちよく読めるブログです。今後ともよろしくお願いします。

シェイクハンド森松」からは、ベルクソンやドゥルーズに関心があるので。。。とのこと。哲学畑の方にとっては、今回のタイトルにつけた「時間」の主観性についてあまり突き詰めなかったので、ちょっと物足りなかったかも知れません。また、最後のところで「物語性」をポジティブな文脈に定位させたことも人によっては反論があるかも知れません。このあたりは、いつか自分で自分に反駁を加えてみたいと思います。やっぱり対象読者を見定めるのは難しいですね。

そして「とっくりばー」のtockriさんからは、とても大事な指摘を受けました。

こういうの読んでてよく哲学のヒトって「○○(人の名前)によれば…である」っていうふうに他の人の言及を前提として自分の論理を構築していくよねえ、あれがちょっと気になってきた。もちろん、本人はその○○さんの書いたものよく読んで理解してるんだろうし、自分でイチから構築してたらあとに出る本ほど分厚くなっちゃうから論理を引用するのはかまわないんだけども。

ただこうやってどんどん連鎖していくと、あとの方にでてきた、より複雑な事象に対する論理っていうのは前に誰かが言及した単純な事象に対する論理を前提としていて、「要素の単純な総和」になってしまうんじゃないかな。それは「全体」を実は正しく説明できてないんじゃないだろうか。

物理をかじったものにしてみれば、ミクロ系で正しいと思える理論をつみかさねてマクロ系になった途端に破綻するなんていうのはすごく納得できるハナシなので、哲学的な思索のつみかさねが、一般的に想像不可能なレベルに複雑になったときにそれはどうやって破綻してないことを証明すればいいんだろうって心配になったのだった。

私は大事なことを伝え忘れたようです。

「ロジックは共感のためにある」ということです。裏を返せば「共感の得られないロジックは存在価値がない」あるいは「ロジックの正しさは手段であって目的ではない」ということです。

ロジックは「意識的」な世界の産物。しかし、肝心のロジック処理系である意識のバンド幅はたかだか7ビット毎秒のオーダー。つまり一般人が瞬間的に把握できるIF-THEN分岐はたかだか7つなのです。扱う事象が複雑なものになればなるほど、ロジックの正しさによって共感を得られる人の数が少なくなるのはある意味で当然のこと。正しくともダラダラ長い証明は誰も読みたくないのです。フェルマーの最終定理のワイルズ証明なんて、自力で追って正しさを確認した人が世界に何人いるでしょう?それ以外の人は、それを単にたぶん正しいのだろうと信じているだけなのです。

人間というのは誰しも、自分にとって大切なものは自分に従うが、自分にとって興味ないものは流行に従うものです。これって、価値観中立なものほど他人の意見に付和雷同してしまうという、精神の本質なのではないでしょうか。

いわゆる頭のいい人(集中力のある人)ほど、他人との関係性においてロジックを重視し、それを理解できない人がバカに見えることでしょう。100%ロジックで動いてくれるコンピュータと向かい合っている方が性に合っている人もいる。しかし、対人コミュニケーションにおいてロジックが果たす役割はむしろ狭い領域です。

ビジネスでも科学でも恋愛でも、最後は泥臭い人間関係が決め手です。だからこそ、共感を得るには「ロジックの正確さ」よりも「物語の面白さ」なのだということ(それが欺瞞含みだとしても)を伝えたかったのでした。

DNAの二重らせんの発見でフランシス・クリックの共同研究者として34歳でノーベル生理学・医学賞を授かったジェームズ・ワトソンは、早すぎる成功が人格を育てる機会を奪った典型といえます。ワトソンは今なおゲノム解析こそが人間理解への唯一の道だと思っているでしょうし、世の中の問題は計算やロジックで解決できると思っていることでしょう。

私はそもそも思索的深みのない科学者は基本的に好まないのですが、それは人間の知性というものの本質は知識量や回転速度ではなく対人関係力(コンセンサス構築力)だと思うようになっているからかも知れません。


そもそもどうしてこういうことを書こうと思ったのか。

個人的に、自然科学と哲学、ビジネスと学問、専門家と非専門家のあいだに横たわる断絶がすさまじいという問題意識があります。

哲学をバカにしている幼稚な理数系学者や、学校のチンプンカンプンでつまらないお勉強の反動から、晴れて就職したらそれから解放されてスッキリだとうそぶいている(いくばくかの軽蔑を込めて「机上の空論」と書いてアカデミックとふりがなをふる)ビジネスマンはたくさんいるでしょう?(白状すれば、私自身がそうだったのだから、まさに他人事ではない)

いまや学問も職業も専門分化が進んでしまったというけれど、本当だろうか。

微積分を発明したライプニッツは法学・政治学・歴史学・神学・哲学・数学・経済学・物理学・論理学に長じてたけれど本業は外交官だったし、当時はそもそも科学者というカテゴリーすらなかったから、そういうこまごまとした分類はなくてただの「賢者」だった。ニュートンもそう。比較的最近でも、チャールズ・パースなんて天文学・化学・地図製作・分光技術・心理学・辞書編集・数理経済学・論理学・マーケットリサーチ・文献学・戯曲でそれぞれ一流の業績をあげていた。あのアインシュタインだって本業は特許庁の見習い職員で、物理学はアマチュアとして余暇でやっていた。

これまでにも何度も言ってきたように、「専門領域」の根拠となるカテゴリーの分け方なんて恣意的なイリュージョンに過ぎないのだから、あると思えばあるけど、実際にはないのだ。一人の人間にできることは今も昔もそんなに変わってないのだから、時代の進歩による競争激化なんてプロパガンダに安易に乗っちゃいけない。専門分化が進んでしまったという主張は、私には専門家が自分のタコツボに甘えて安眠するための言い逃れにしか聞こえないのです。

私の専門はコンピュータだけれど、プログラミングやエンジニアリングの詳細を個別に教えてくれるものはたくさんあるのに、コンピュータってそもそも何?というような、私が一番知りたかった根本的な疑問に向き合ってくれる人や本には全然出会えなかった。ずいぶんと時間がかかった。面白いことに、コンピュータの本質を突き詰めようとすることが、結果的にその専門領域から出ていくことにつながったのです。

そしてようやくその専門領域の出口に達した時、そこから開けた眺望は圧巻でした。それまで自分がいた世界から突如として広がった知の大海原は、頭を鈍器でガーンと殴られたような衝撃でした。こんなに世界が広いことに、なぜ今まで気付かなかったのだろうかと。

私が尊敬している友人の鈴木健さんが尊敬し師事している池上高志先生(ややこしい:汗)が、「複雑系っていうのは研究対象ではなくてアプローチなんだ」「確立されたドメインがないから領域侵犯しまくっている」とおっしゃっています。それぞれに深い専門性がある分野を横断するっていうのは、それぞれの専門から反感を持たれるはず。でも、既存の権威を畏れず、甘えないところからしか新しいものって出てこないでしょう。そんなメッセージが伝わってきます。

IT業界は問題定義に関する教訓の大鉱脈である、とはG.M.ワインバーグの台詞(「ライト、ついてますか―問題発見の人間学」より)です。

例えば最適化のためのアルゴリズム、線形計画法やゲーム理論のようなものは、それ自体が技術者にとって面白くてたまらないため、これを使いたくて使いたくて仕方がない。だけど、これは一歩間違えれば「問題の到来を口を開けて待っている解答」のような滑稽な存在となってしまいます。世の中にはこうしたアプローチと目的の錯誤が山ほどあります。

しかし、そこで「手段と目的を履き違えるな」という言葉を安易に使う人こそ要注意です。

手段=目的はかならず連鎖し、究極の目的を本気で追えば、必ず生きることの意味だとか価値観にまで遡ります。その反対に、ニーズ(需要)=シーズ(種)の対比からいくと、シーズ(手段やアプローチ)から出発することこそが重要であることも多々あります。科学や革新的イノベーションというのは、何の役に立つかわからないシーズを発見する楽しみ、あるいはそこからの出発です。手段と目的の綱引きはそれ自体が「カオスの縁」のようなものであって、決定論的な答えのない命題なのです。

というわけで、これからも腹を括って領域侵犯をやっていきたいと思います。

よろしくお願いします。

津本幸司 / Divine Imagination

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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