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帰ってきたホリエモン---ネットニュースに関する物語の続編とライブドアニュースの数奇な運命

2013/04/05 16:00
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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2013年03月27日のホリエモンの仮釈放会見に詰めかけた報道陣は150人、ニコニコ動画を運営するニワンゴによれば生中継のライブ視聴者は12万人にも及んだということである。

またまとめサイト「堀江貴文氏が仮釈放、記者会見の様子を全文起こしでレポート」のツイート数は4月1日現在で1,800件、いいね!3,000件、はてブ700件、Viewは26万を超えている。堀江さんの動向にこれほど関心が集まるのは、もちろん彼の一挙一動が大きくこの国を揺るがしていた時代があったことを報道陣も国民も覚えていたからであることは無論であるが、ここで堀江さんに注目すべき発言があった。

「正直、ライブドアの社長を辞めたときは、ITの仕事はお腹いっぱいと思っていましたが、PCとかスマホとかネットから切り離された1年9カ月を送ってみると、やっぱりそろそろやってもいいかなという気持ちになってきたのは事実です。ライブドアの社長をやっていたときよりも、モバイル環境も良くなり、ネットのリテラシーも高くなってきて、事業環境はやりやすくなりました。」

そういったところで以前から興味があった、ネットを使った新しいニュース批評の形といいますか、そういったところを事業化していきたいのが、1つ考えているところです。今後、具体的には近いうちに何らかのサイトを作っていくかと思いますが、自分自身が不満に思っていた部分、ネットとかマスメディアの在り方がこうなっていればいいのではと思っていた部分を実現してきたいです。」(堀江氏)

○ネットニュースとは-- 燻っている問題

長い間ネットからも遮断され、生の情報に必ずしも触れていたとは判断しづらいとは言え、このタイミングで再び彼がネットのニュースサイトについて言及してきたことは非常に興味深い。さらにここで一つの眠っていたテーマが再燃するきざしを感じている。それは「ネットジャーナリズムとは何なのか。あるいはオープンジャーナリズム、市民ジャーナリズムと呼ばれている報道形態は可能なのか」という長く燻っている問題である。

僕はライブドア事件の起きる前から堀江さんの言動に興味を持ち(それは主として「反発的な」興味である)この特異な人物の言動を追ってきた。その当時の自分のブログは今でもライブドア事件への自分のスタンスの貴重なアーカイブになっている。少しその中から当時の彼の発言を紹介したい。

●「堀江貴文の病理------カネが全てではない理由の考察」(BigBang 2005年2月18日 ジャーナリストの江川紹子氏の堀江氏へのインタビューから)

(江川)
ライブドアは、「市民記者」を募集し、自らのサイトのニュースに自前の記事を載せ始めている。その規模を拡大し、既存メディアの情報も取り込みつつ、ニュースサイトを充実させていくつもりだという。そして、新聞を発行し、そこでアクセス数が多い記事を紙面に載せていく。人気のある記事は大きく扱い、そうでないものは載らない。その扱いは、もっぱらサイトの読者の人気ランキングにより、新聞社の価値判断は一切入れない。

(堀江)
「(新聞は)人気がなければ消えていく、人気が上がれば大きく扱われる。完全に市場原理。我々は、操作をせずに、読み手と書き手をマッチングさせるだけ。」

(江川)
そうなれば、確かに新聞社の意図的な情報操作はできなくなる。その一方で、埋もれていた記事の発掘、少数者の声などは表に出てこない。

が、堀江氏は

(堀江)
「いいじゃないですか、それで。そういうもんじゃないですか、情報って」
読者の関心が低いゴミみたいな記事を無理矢理載せたってしょうがない」と頓着しない。」

(江川)
「みんなが注目すると大きく扱われるが、埋もれている話を発掘できないのでは?」

(堀江)
埋もれていることを発掘しようなんて、これっぽっちも思ってないんですってば
そういうのは情報の受け手、興味を示す人が少ないわけですから。ニッチな情報なわけですから、いいじゃないですか。一応ネットには載せておきますから、(興味のある人が)勝手にアクセスして下さい、と。」

(江川)
「例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……」

(堀江)
いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。

(江川)
「でも、提供されなければ興味もわかないのでは?」

(堀江)
「そうじゃないと思う。興味がないことを無理矢理教えてもらってどうするんですか? 何の価値があるんですか、そこに。気づかせたら、何かいいことあるんですか、ユーザーの人たちに。気づかせることによって、新聞をとっている人に、何かメリットあります?」

あくまでもジャーナリズムの「報じる意味」にこだわる江川さんに対して堀江さんの答えはまさに当時のライブドアの「徹底したネット合理主義」を物語るものだ。彼は人気のある記事であればサイトなどで上位に表示されて当然だが、江川氏の言うような「意味のある」記事であっても人気がなければ下位に落ちたり、表示されなくなっても全く問題はないではないかと言ってのけた。
こうした見方は当時としては過激であり、メディアに身を置く人たちからも、文化人と呼ばれる人たちからも猛反発を受けた。僕も当時は強い違和感を覚えたが、この2013年の状況にあって読者は(特に若い読者は)どう思われるだろうか。

実は堀江さんの言っていた世界は今日のGoogleによる検索アルゴリズム、特にGoogle ニュースよって、ほとんど顕著に実現されている。

「Google ニュースはコンピュータが生成するニュース サイト。610 以上のニュース ソースから記事見出しを収集し、類似した内容の記事をグループにまとめて、読者一人一人の関心に合うような記事を表示」

Googleニュースはまさに私たちの検索履歴から好みを抽出し、個人のニーズに合ったものを順に表示する。かつて堀江さんが言ったように「興味のないものは表示されなくてもしょうがない」のである。

※各報道機関はこうした「自動ニュース収集システム」としてのGoogleニュースのありかたにニュースの著作権上の問題から反発を強めており、米などではGoogleに対して報道各社側から課金の動きがある。

堀江さんが「暴論」ともいえるニュース論を唱えていた時代から大きく状況は変化した。Googleやソーシャルメディアの勃興、iPhoneに代表されるスマートフォンやタブレットの隆盛の中で、当時のライブドアがメディア買収によって実現しようとしたニュースの新しい仕組みは、まったく当時とは異なったインフラの中で実現している。(少なくとも技術的には) さて我々はこうした中にあって、ネットにおけるニュースのあり方についての議論をもう忘れてしまったのだろうか。それとも堀江ビジョンの先見性を改めてたたえることになるのだろうか。

●ニュースの全文掲載

堀江さんが出てきたときに書かれたKubotaさんのこの記事は興味深い。

ホリエモンの考える「新しいニュース批評の形」を勝手に考えてみる(NOTE by Hiromi Kubota)

「ネット上ではしばしば「マスコミが重大な事実を隠しているのではないか」という疑心暗鬼にも似た空気が蔓延することがあります。ニュース素材へのアクセスが実現すれば、そうした空気も少しは薄まるのだと思います。ニュースの「素材(全文掲載)」はネットで生産的な議論を生むために必要なインフラになると思います。」

さらに

「そして、ネット登場以後のニュースメディアにおいて、相対的にいちばん高くなったコストは取材コストです。「これは社会的に重要な出来事だ」と思ってもコスト削減のあおりで自由に取材できなくなってきます。その調査報道のような機能を「ネット通信社(仮)」が発表報道などの取材を合理化することでリソースを生みだし、専属の記者(ジャーナリスト)が独自取材することで補えればよいと思います。」

ここで問題にされているのは、各社がそれぞれで取材を争い結果的に現場にとんでもない数の記者たちが押しかけることへの「ムダ」についてである。それは企業として考えればコスト意識の欠如ではないかと指摘されている。

自前の大規模な印刷工場や流通販売網を抱える既存の新聞社には、ネット時代に対応するための危機感は極めて厳しいものになりつつある。すでに100億の売り上げを超えたという日経電子版のような成功例もあるが、新聞社の膨大な売り上げと資産を維持するにはネットはあまりにも「安上がり」すぎるのであり、ダイエットを強いる。

しかし読者にとってそれはどうでもいいことなのであり、ソーシャルメディアに行きかう膨大な情報を考えればすでに現場に誰よりも早く駆けつけ「他社を抜く」記者の情熱などもどうでもいい。事実をそのまま無編集で流せというのが若い読者中心の希望であり編集は無用とまで指摘される。

編集作業をすべてなくせというのは議論のあるところであるが、デマが拡散されやすいのがネットのマイナス点なのであれば、その裏取り検証と、長期にわたる調査報道、コストのかかる現場取材(海外など)に徹してくれれば、「肥満した巨人の脂肪体質」はごそっと落ちてしまってもいっこうにかまわないのではないかと私も思う。(収監されていた間に別人のように痩せた堀江さんのように!)それはジャーナリズムだけではなくて、すべての業界がネットの出現によって晒されてきた試練だからである。

この問題にあくまでも「情報の番人=目きき役」として拘泥する新聞社に対して、すでに新聞を定期購読する習慣すら持たない若い読者の既存メディア全般への不信感が付加増幅され、「大所高所から説く」言論=従来のジャーナリズムへの反発が募っている。この文脈の中で「改心して大人になった」堀江氏が現在構想しているのが「ネットにおけるニュースのシステム」であることは非常に興味深い。

月日が流れたとはいえ、当時の彼の傲慢ともいえる金権優位の発想に強く反発していた自分として、そのまま堀江さんを受け入れるものではないが、世界のインフラは変化し進化した。類まれなカリスマ性と直感を持つ堀江さんが、人間的にもしも変化したとするならば、そして、これからの新たな流れ=物語の続きがあるのであれば、彼にも期待したいと思う。

●ライブドアニュースの思わぬ運命

報道や取材のプロを排除し、誰でも発信できるインターネットの特性を生かそうという志向は「市民ジャーナリズム」と呼ばれるムーブメントも生み出した。この数年間で「Jan Jan」、韓国から上陸した「オーマイニュース」、「ライブドアニュース」など多くの試みが行われたが、残念ながらその多くは経営的にあるいは理念的にとん挫した。(JanJanはjanjanblogとしては残っている)その詳細は文面にすると長くなるのでここでは省くが、ライブドアニュースに関しては書き留めておきたいことがある。

奇しくも堀江さんが逮捕されたとき、ライブドアニュースは歴史的事件の最前線に立つことになった。そのとき僕は自分のブログにこう書いている。

「心の中のライブドアショック----私たちは暴力装置の中で生きている」(BigBang 2006年1月26日)

「今回の事件に際して「ライブドアニュース」の姿勢には敬服した。幼稚でつまらない記事ばかり連発して・・と平時には馬鹿にしていたが、未曾有の自分たちの危機に対して彼らのフェアな報道姿勢は、素晴らしかったと思う。現場の一人ひとりはどんなにつらい思いで、自分たちのボスのそして企業の不祥事と破綻を報じているだろうかと考えると胸が苦しくなる。」

あれほど江川さんも批判したライブドアニュースは、多くの予想を裏切って、検察の強制捜査を始め、堀江さんの逮捕、自らの企業の「不祥事」を子細に、多くの記者が身を挺してしかもフェアに「最前線から」報道した。あの熱病のような時代は我々からもライブドアニュースからも見事に消え去ったが、ライブドアニュース自体は今でも存続している。「数奇な運命」をたどったライブドアニュースのあの日々を堀江さん自身どれだけ自覚しているだろうか。記憶にとどめておきたい。(いずれも太字は筆者)


※おまけ

最後に告知になるが、これらライブドア事件以後のオープンジャーナリズムの変化やデジタル新聞の直面する問題や電子書籍などについて、4月10日にセミナーでお話ししますので告知させていただきます。関心のある方は聞きに来てください。

○セミナー: 
「ホリエモンから8年。デジタルな新聞とソーシャルニュース ーハフィントン・ポスト日本上陸を控えて」
○日時  2013/04/10(水) 18:30 ~ 23:00
○場所   渋谷 Hikarie 
○詳細  http://everevo.com/event/4878



※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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