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「ソーシャル・ネットワーク」-「真実に酷似しているが真実ではない物語」の意味と「プライド」について

2011/01/26 16:30
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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で、話題のこの映画を見てきた訳だが、感想として正直極めて爽やかであったとは言い難い。いや、それは婉曲な言い回しであり、各所で不快な気持ちを持った。

しかし面白くなかったわけではない。むしろ映画としては大変に楽しかった。

Facebookユーザーであれば、あるいは古くからのコンピュータオタクにはクスっとくるネタが満載であり、2つの訴訟をベースにマーク・ザッカーバーグという「特異な」天才が稀代の「とてつもない仕事」をしでかしていくプロセスを辿るという意味ではとてもよくできていて飽きさせない。(ビルゲイツ登場には1人大笑いした。)
世界はめったに変わらないが、時として激流のように激しい変化を見せることがある。「あなたや私の人生」ではめったにおこらないことだが、「時としてそれは起こる」のだ。何しろ所詮は遠い舞台の上で起きていること。痛くも痒くもないのだから、ポップコーンをほうばりながら観るには最高の娯楽かもしれない。

しかし、この映画の大半は「フィクションである」と関係者は口を揃えている。当のザッカーバーグは、社員と一緒にこの映画を観て誇張されたストーリーに大笑いしたと明かしながら、「Facebookを作ったときにはもうガールフレンドはいたし、僕はあんなに早口じゃない」というようなことを発言している。

「フェイスブック」の著者であるデビッド・カークパトリック氏は

映画の内容は45%が真実。微妙なところだが、逆に言えば全体としては6割の真実が抜けているということ。」(「Facebookは既に6億人規模」、誕生秘話の翻訳者らがトークセッション(ITpro http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20110126/356466

と言っているし、ザッカーバーグ自身も

「映画では根暗なように描かれているが、実はスポーツマン。本人は高校時代にフェンシング部のキャプテンでスター選手。勉強もコンピュータも優秀な、スターだった」
(同上記事)

と言っている。(もっともザッカーバーグ役の俳優の演技についてはずいぶんと評価しているようだ)


さらに、映画に登場するナップスターの創業者であるショーン・パーカーが、映画のほとんどは真実ではないとして、映画内で繰り広げられるマリファナパーティ(と思われるもの)を否定している。またエドゥアルドとはいまでも親交があるのに、映画内の俳優が演じるショーンの態度が「彼に対して道徳的に酷い態度」であったことに不満を漏らしている。

しかし、いくらあれはフィクションだと聞かされても、この映画を見ればショーンだけではなく、映画中のザッカーバーグの人を人とも思わない態度に嫌悪感が生まれるし、ハーバード大学の鼻持ちならないクラブを観ていると胸が悪くなる。双子はどこまでもマヌケに描かれて時として観客の嘲笑を浴びるし「西海岸の連中」は今でもアタマがイカレてるとしか思えない場面が多い。

ザッカーバーグがこの映画の脚本を見せられたときには、エドゥアルド・サベリンの視点が色濃く反映されていることから、かなりの難色を示したというが、結局ザッカーバーグもエドゥアルドも一切取材に応じていないというから、やむを得ないと言えばやむを得ないのかもしれない。

しかし、それにしてもよくまあこれほどの描き方をされて、関係者の誰もが「それほど過激な」対応をしないのが不思議なくらいだ。利害関係者はすべて実名で登場するし、(確認不能だが)物語の大半は真実に沿っている。NHKの大河ドラマとは訳が違う。関係者は今でもみんなピンピンしているのだ。

あれはここが違う。あんなことはなかったなどと関係者がムキになればなるほど「あれはフィクションですから」でスルーされるかもしれないが、実名を使って実際に起きた出来事を映画化する以上、それは「真実に酷似した物語」であると観客が受け止めて当然である。この映画の登場人物が映画によって相当イメージが悪くなったとしても、反論する機会はそれほどない。

ザッカーバーグはみなが知っているように「ちょっと変わっている」から、あるいはこの真実と映画との微妙なズレすら今では楽しんでいるのかもしれないが、僕自身にに置き換えてみれば、「あれはフィクションだから」と笑って見ていられるとは、とても思えない。

彼らはしたたかな成功者である。あるいはこの映画によって傷つけられる「人格」よりも、映画の宣伝効果を取ったかもしれないし、法廷闘争が和解にこぎ着けるプロセスの中で、過去の諍いについてはコメントしないという誓約を互いに行っているので具体的に訴訟などという手段に出られなかったのかもしれない。(おそらくそうだろう)

しかし、僕は思う。これがもしもAppleの創業物語であったとすればどうだったろうか。Steve Jobsも大変に色々あった人間ではあるが、彼に取材しないで、勝手なイメージで作られた人物がJobsの名前を使ってスクリーンをデタラメに闊歩することを彼は許しただろうか。それでも「Appleの宣伝になるし」などと思ったろうか。現在の「大成功者」としてのJobsではなく、Appleを追い出されたどん底の「死を覚悟した」ころの彼であっても、おそらく応じなかっただろう。

「プライド」とは何だろうか。

金銭的に一個人が使える金額など、たかがしれている。その一生分を遙かに凌ぐ資産を若くして手にした人たちが、一体どのような「プライド」の概念を持っているのか、それが僕にはわからなかった。生きていくための最低限度というには、余りに余りある資力を持ったとして、そこでさらに泥をかぶって一体何を実現しようというのだろうか。

あるいは、こうした考え方のフレームが「古い」のであり、Jobs的(と僕が思う)プライドの概念も古いのかもしれないが、Webの技術やSNSに革新があっても、そのコアとなる人間観がそれほど変わってくるとも思えない。

真実に酷似しているが真実ではない物語。

それが「ソーシャル・ネットワーク」だ。しかし、そこには何か別の種類の「真実」があるのかもしれない。

ちなみに、「ソーシャル・ネットワーク」はアカデミー賞にノミネートされているが、僕はこの作品の受賞を支持しない。僕の考える「素晴らしい映画」のカテゴリーからは大きく外れているからだ。



※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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