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「ノルウエーの森」を久しぶりに読んでみた。

2009/04/05 18:40
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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エルサレム文学賞の件があったからではないのだが、ふとした機会があって、何十年ぶりかで村上春樹の「ノルウエーの森」を読んだ。色々な部分で記憶が曖昧になっていたり、これを読んだ時と今と、自分の状況が全く異なっていることもあり、初読のような新鮮な感覚で読むことができた。 主人公の「ワタナベ君」はこんなに優柔不断な奴だったろうかとか、直子の「療養」していた「家」の情景とか、あらためて細かい部分で再発見のようなものがあった。

Wikipediaによれば


「村上はこの「ノルウェイの森」というタイトルについて初めは気に入っていなかった。この作品は「雨の中の庭」というタイトル(ドビュッシーの『版画』より「雨の庭」(Jardins sous la pluie)から)で書き始められ、途中で「ノルウェイの森」というタイトルに変更された。題名に迷った村上が妻に作品を読ませて意見を求めると、「ノルウェイの森でいいんじゃない?」という返答があった。」


 

とある。「ノルウェイの森」の曲調とこの小説の持つトーンが必ずしもマッチしているとは思えないのだが、かといって物語は過度に暗いわけでもない。最初に読んだ当時は「死」のイメージが深く影を落とした、随分と暗い小説のような気がしたのだが、今読んでみるとそれほど隠滅なイメージはなかった。

今更のように驚いたのは、恋愛に関する生活シーンの違和感である。(それは当然なのだが)主人公達の時代には、当たり前の話だが携帯電話がない。この話が書かれたのは1987年のことであり、さらに物語の舞台は、37歳になった「ワタナベ君」が大学時代(1970年代初頭か)を回顧するという設定である。登場人物たちは常に、ひたすら相手からの「連絡」を待っている。「連絡」というのは、この時代には「手紙」か「固定電話」しかあり得ず、今日はどこかに出かけようと誘っても、「私は今日は電話を待っていなければならないので出かけられない」などと女の子は答えるのだ。

現代の若者にしたら、何だそれはの世界であろうが、実際に携帯電話やメールが登場するまでは、恋人たちはよくこうやって外出もせずに相手からの電話をじっと待っていたのだ。それが不便だとか不合理だとかは、その後のコミュニケーションツールの発達を知っている人間だからこそ言えることであって、別の連絡手段を思いつきもしない人間にとっては、それが当たり前のことだった。

一度朝外出してしまえば、その日の夜まで相手との連絡は基本的につかないので、僕の学生時代にも大学近くのカフェに連絡ノートのようなものをおいて、そこに戻るたびにメモを残すなどして、キャンパス内外をふらついている友人たちと連絡をとりあったものだった。

もう記憶が定かではないのだが、そういうことを僕の大学のクラスではかなり活発にやっていたということで、朝日新聞の記者の目に留まり、「今風」の大学生の生態のような記事で紹介されたことがあった。そんなことが取材のネタになったのだ。記事になったものを読んでみると、大学生にもなって未だに群れている軟弱な現代の学生のようなトーンで記事が構成されており、憤った記憶がある。

 

話がそれたが、とにかく恋愛の風景の中で、相手と連絡を取る、相手から連絡を受けるということは、もうそれだけでなかなか困難なものだったのだな。

 

文学の中の恋愛について言えば、連絡がとれないからこそ、その間に自分の感情と向き合う時間が生まれる。連絡をなかなかよこさない相手の状況や心への思いを凝らすことへの焦燥。「5分ルール」などと言って、メールへの返事が5分こないからといって「ハブられる」ことを恐れる、今の中高生には想像もできない世界だろう。実際、「ワタナベ君」と「直子」は直子の療養という事情で互いの連絡を手紙以外には制限される。なかなか会えない時間と、一向に来なかったりする相手からの返事。心と心が微妙にずれていく。

 

もしも「ノルウエーの森」が現代を舞台にしたものであったら、と夢想する。おそらく2人は携帯メールかSNSででも、毎日のように盛んに連絡をとりあい、あるいはチャットで、感情の切れ端のような短い言葉を何度もやりとりしながら、それでもそれはそれで現代にふさわしいような、新たな「気持ちのすれ違い」を紡いでいくことになるのだろう。どちらの世界が深いとか、どちらの世界が相手への思いを深めることができるのか、それは僕にはわからない。ただ少なくとも恋愛や文学の背景が劇的に変わっていることは言うまでもない。

 

村上春樹は、エルサレム賞の受賞にあたって、悩んだ末に事前にスピーチの原稿をメールでエルサレムに送った。1文字でも訂正や削除要求があれば直ちに受賞を辞退しようと思っていたという。果たしてそれはなされなかったが、それがもしも悠長な生原稿のやりとりであったなら。もしかしたらその局面も様相を変えていたのかもしれない。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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