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知らないことは必ずしも致命傷ではない。何を考えることが重要か。

2008/12/26 14:22
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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若者は…決め付けはいけない!?(なにわのITベンチャー社長Blog)

私が何が言いたかったかというと、
ビジネスの場で知らないと恥ずかしいことを「恥」と思わない。
ということが「そんな奴いないよ〜、マンガじゃないんだし」という批判にならず「そんな奴ばかりじゃない」という意見が来るということが問題だということです。

おバカタレントの隆盛から話が広がっているわけですが、生島さんの「論点」からちょっと同心円的に回ると、「知っていること」に対して社会が抱いている価値が低下しているのではないかと思う。

知は力。かつては「知っていること」は価値であり尊敬されるべきことであり、武器だった。無知は軽蔑されることであり、侮られることだった。ところが現在、知らないことなんて、ちょっとぐぐれば出てくる。子供の宿題を手伝うお父さんが、桶狭間の戦いは何年に起きたなんて言うことを知っていることは、昔は子供への権威の証になったかもしれないが、今では「うーん」と思い出している間に子供の両手がぐぐっている。つまり、知識のある人間に対しての尊厳の感覚が揺らぎ、無知であることが恥であるとは思われなくなってきた。それはこうした情報社会の背景が影響していると思う。

 で、おバカタレントがみんなから笑われてあっけらかんとしている時代に関して、私はそう悪いものだという感覚を持っていない。知っていることは、大事なことであるが、至上の価値でもない。無知であることが、仮に知識の量であれば、それはコンピューターに頼れるし、いくらでも取り返しがつく。「最近の若者」というくくりがもしも通用するとすれば、親指1本であらゆる情報を検索できるのに、それを何で自分の信頼できない頭の中にしまいこんでおかなければならないのか?という概念がある世代か、そうしたことができなかった(できない)世代かの違いではないか。

ものを知らないということはしかし、もちろん利点ではない。問題は「ものを知っていればいい」ということではないということであり、「知らない」ことが即全敗にはつながらないということだ。それどころか、現代の社会は、以前よりももっと厳しく「人間の頭脳が本来やらなければならないことは何なのか」が問われる社会であり、その厳しさに比べれば、知識を欠いているということは致命傷ではないように思うし、そうした「人はいいし、頭の回転は速いがものを知らない」、俗に言う愛嬌のある「おバカ芸能人」が温かく(?)迎えられている時代も捨てたものではないように思うのだ。(もちろんその先があるのだが) 

知識偏重型の教育か、ゆとり教育なのかという迷宮を行ったり来たりしている議論は、この周辺をさまよっているわけだが、ユビキタス社会だの、クラウドコンピューティングだの、言葉は独り歩きしていても、そうした時代に対応する知性がどんなもので、どんな教育を行えばいいのかという問題は簡単な言葉ではくくれない。

長く生きていればいろんなことを覚えて当たり前だ。知識に頼らない知性というのが、一体どんなものなのか。「若者」に説教するジジイとして最難関のガチンコのテーマは、それを伝えられるかどうかではないか。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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