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本当にセカンドライフは「過去の思い出」になったのだろうか(1)

2008/09/15 22:49
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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以下は、佐々木俊尚氏の少し前のエントリーである。どうしようか思案していたら遅くなったが、これをきっかけに検討を加えておくことは、無駄ではないだろう。微力ながら球を投げ返しておこうと思った。

セカンドライフの「その先」をもう一度考えてみる(佐々木俊尚 ジャーナリストの視点)

セカンドライフは過去の思い出となった

セカンドライフはご存じのように、電通の仕掛けによって昨年はじめごろから大企業のマーケティング部署などで大ブームとなり、一度は日経新聞に連日記事が踊るほどにまでなった。たとえば日経四紙の記事数を調べてみると、昨年一月には九件、二月六件、三月二十件、四月十五件、五月二十件、六月三十四件、七月三十七件。夏ごろにはほぼ毎日、セカンドライフ関連の記事が掲載されていたことになる。とはいえ、これらの記事の多くは、「企業がショールームを開いた」「大手広告企業がセカンドライフの進出支援ビジネスを始めた」といった内容で、つまりブームは広告業界と大企業、それにデジタルハリウッドやセカンドライフ進出支援ベンチャーなど一部業界の主導によるものでしかなかったわけだ。

 実際、二〇〇八年に入ってからは記事もあまり見かけなくなり、いまではすっかり「過去のサービス」扱いになってしまっている。

さてここで、不肖私の個人ブログの、あるエントリーを紹介したい。3年ほど前に書いたものである。(引用部は一部改変している)引用の理由は、後段でおのずから明らかになるだろう。

 

終焉を言う者から順に終焉が訪れる(BigBang)

こうしたことを言う人はいつの時代にも、どんなテーマにも存在する。そうした人の共通点は、強い自意識と、自分の後塵を拝していると思われる人間への、不遜な思い上がりである。

あなたは単に、「ブログへの情熱が醒めた」と言えばいいのだ。

(中略)

去るときには、自分の終わりの物語のみを語って、そこから去ればいい。解釈は後の人間がする。

「109にはもう興味が無い」
「インターネットにはもう興味が無い」
「ブログは飽きた」

などと言って去ればいい。

少し説明が必要だろう。

かつて、ブログはもう終わったという論調が支配したことがあった。どんな社会現象も、ツールも、システムもメディアに注目される時期(ブーム)が一巡すると、今度はその持ち上げに加担した当のメディアが、今度は落としにかかる。「次の獲物」を探すためである。これは言わば、メディアの業と言ってもいいだろう。しかし、果たして、次々に新しい「獲物」を見つけていかなければ、本来のジャーナリズムなるものは成立しないのであろうか。私にとってこの疑問は、かなり前からあるものだが、それに対しての明確な答を未だ持っているわけではない。あるいはそうかもしれないし、そうでないかもしれない。もしもそこに何かの判断基準ががあるとすれば、それは、書き手が本当に現象を見切った末の言葉なのか、本当にその現象を吟味しきったと言えるのか、それともそうではないのか、言わば時勢に沿って言っているのか、というところだろう。

先のエントリーに戻れば、さてそれから3年が過ぎて、果たしてブログは終わっただろうか?終わってはいないのはご承知の通り。この言葉は、あるいは「Appleは終わった」「Facebookは終わった」という言葉に置き換えてもいい。そして結果は?説明するまでもあるまい。

ここでは、佐々木俊尚氏の原稿に今更噛みつくのが趣旨でもないし、文中で引用されたところの浅枝氏、未だセカンドライフ界隈で多くのSIMを保有し、紛れもなく現在もこの国のセカンドライフ業界の中心の一角を占めると思われている「メルティングドッツ」の浅枝大志氏の関心が「Weblin」などに移っている(?)らしきことを責めるつもりもない。

問題はむしろ別のところにある。

セカンドライフを巡る現状でメディアが繰り返していることは、これまでにも多くのテーマで繰り返してきたことであり、この国のメディアの、そうしたマッチポンプ性、そしてそれを受け止める読者のメディアリテラシーの問題。それがこれほど明確に炙り出された事例もないように思う。

つまりこれは、セカンドライフを巡って、あるいはバーチャルワールドを巡って初めて起きたことではなく、この国のメディア、この国のITジャーナリズムの根源の「業」の露呈なのではないだろうか。(もちろんそれは日本だけの問題ではない。メディアというものには、国を問わず、そうした「業」がつきまとう。)
それは時として我々を感情的なまでのエントリースクラムによって、どん底の卑しさまで突き落とす。事例の中心部で努力している関係者に対しては、多大の無縁なストレスを浴びせる場合すらある。さらに少々大仰に言えば、まさに我々の国が、米国というITの巨人に永遠に勝てない理由にもなっているのではないか。とまで言ったら言い過ぎか。

米国のメディアが沈着冷静であり、日本のそれがエモーショナルで感情的であると言う気はもちろんない。しかしながら、日本の数少ない「主要な」メディアの、その一隅を占めるこれまた数少ない「IT論客」によって誘導される、時として過剰なまでの勘違いと混乱は、この国の文化背景の中で独特のものがあるように思える。もちろん私は日米両メディアの分析の専門家でもないし、この差異についてこれ以上踏み込む根拠はない。受け手としての我々のリテラシーに負うところも大きいであろう。

実際、セカンドライフをテーマにしたある研究会の席上で私は「セカンドライフをとりまくこの国のメディアの現状」をテーマにしたほうが、セカンドライフそのものを取り上げるよりも興味深いのではないかと冗談を言ったくらいである。

だがここで、セカンドライフやバーチャルワールド、メタバースをとりまく問題点の全てをメディアのせいにしてしまうわけにも、またいかない。富に遅筆になっている最近ではあるが、この場を借りて、少しずつこの件について書いていこうと思っている。それは、単なるセカンドライフの擁護ではなく、今我々が直面しているこの1−2年の出来事への、小さな解になれば本望なのだが。はたしてそこまで書けるかどうか。

問いを繰り返す。

本当にセカンドライフは「過去の思い出」になったのだろうか?

続く

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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