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リアルとバーチャルの薄れゆく境界----やはり今、人生は複雑化しているのかもしれない

2007/06/29 23:44
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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その夜。Second Lifeのダンスクラブに皿を回しにやってきた「彼女」は素敵だった。小柄だけれど洗練されたファッションと身のこなし。反応のいい会話。幾人かが彼女を取り囲み、そのセンスをほめ、友人になりたいと「親愛の情」を示した。ところが夜も更けて、去り際に「彼女」は「ごめんね、俺男だったんだあ。すんません」と捨て台詞を残して消えた。一同に深い絶望の空気が流れた。一番熱心に彼女に話しかけていた男(のアバター)の溜息は深すぎて笑うことも憚られた。

こんなことは、よくあることと言えばよくあることだ。ネットではこうした行動を「ネカマ」などと評して、従来はどちらかといえば非難される行動だったと思うが、不思議なことにSLでは殆ど糾弾の対象にならない。「First Life」に対する「Second Life」は自由な世界であるべきという信仰がそこにあり、性別を変えることは許される範囲として認める空気があるからだ。実際は男性である美少女達が、いくらも街を堂々と闊歩している。そこが、SLの世界が従来のネット世界とは異なる所以の一つである。緩やかに「リアル」と「バーチャル」の境界を曖昧にしようという空気、それを許そうというある種の合意がある。

だが考えてみると、これははっきりしている例だ。「リアルの男性」がネットで「バーチャルな女性」を演じる---性の差異はどこまでいっても差異であり、現実と仮想が互いに侵食するのは困難である。つまり「正解」は用意されているのだ。正解がはっきりしているからこそ、それを演じるSL上の人生への許しも生まれよう。なぜなら究極、あなたが、その両者の境界に埋もれてしまうことはないからである。だが、今日これほどはっきりとした例はむしろ稀であり、実際には我々は「リアル」と「バーチャル」の境界を巡る深い混乱の中にあるように思う。

先日、YouTubeで車の当て逃げ証拠動画が流され、それが契機になって、「加害者と思われた」男性が実際に解雇されるという出来事があった。その際、テレビでこのニュースを伝えるアナウンサーは「バーチャルと思われたインターネットの出来事が、現実の世界と繋がっているんですねえ」などとコメントしたのである。

一見もっともな、それらしい感想であるが、私は困惑した。「バーチャルと思われるインターネット」とはどういうことなのだろうか。インターネットは「リアル」ではなかったのか。発信される情報の一つ一つは、現実を生きている一人一人の人間から発せられてい。もしもこれが「バーチャル」であるとすれば、「リアル」とは何なのか。その定義は何なのだろうか。「インターネットはデジタルである」と言うならまだわかるが、「インターネットはバーチャルである」なんて、過去にも現在にもあったことがあるのだろうか。

まあ、わからないでもない。私たちのこの世界が、仮にかつては「アナログ」であったとするならば、その世界の一隅に「デジタル」が風穴を開け始めたのはつい最近のことでしかない。それは恐竜のような大型爬虫類が全盛を極めた時代に、ひっそりとこの世界に現れた小型哺乳類のような存在感しかなかったのだろう。現実に対してほとんど影響のない電子的な事象は、現実に対しての無力感という意味で「バーチャル」であったのだろうし、我々の人生から遙かに遠い所にあったのだと思う。

ところが、事態は変わった。YouTubeに投稿された動画は「デジタルではあるが、バーチャルではない」。それは紛れもなくリアルなのである。リアルはデジタルの世界という新しい「発露の場所」を得て、より広範囲な世界に猛威をふるうようになったとも言える。この場合、我々にとってのリアルが例えアナログな世界であったとしても、それを雄弁に一瞬にして世界に伝えるメディアとしてのインターネットは、考え方を変えれば「よりリアル」でもあると言える。その力において。

さらにメタバースでは、純粋にデジタルで構成された「商品」が、アナログの実体を持った商品と区別なく取引されており、その経済的規模は日に日に大きくなっている。

考えてみれば世界は今、むしろ「デジタルなリアル」に支配されつつあるようにさえ思え、冒頭にあげた、性別のようなわかりやすい「バーチャル」の例はむしろ稀有になってきており、完全な「リアル」と「バーチャル」の境界は今日消滅しつつあるように思う。

果たして人類の未来としてこのことを考えるとき、これは「順当な」未来なのだろうか。それともそうではないのだろうか。私たちの生命の場が「アナログ」から「デジタル」の方向に向かってまぎれもない歩みを重ねている現代、その歩みは果たして「順当」と言えるのだろうか。それとも、これは何か進化の過程で現れた突然変異的なフリークスなのだろうか。私にはそれはわからない。

だが、思うのだ。私たちは、何が「リアル」なのか、そして何が「バーチャル」なのか、一層はっきりと、意識して生きていく必要が生じているのではないだろうか。もしも「人生とは何なのか」という古典的な問いが今でも有効であるとすれば、おそらくその答を求めることはより一層困難になってきているのではないかと思うのである。相応の努力なしには。

その努力を通じて、かつて文学や芸術に人生の回答を求めた若き心が、今後も何らかの落ち着き場所を見つけられるのかどうかは、全くわからないのだけれど。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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