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広告モデルにNOを言い続けるWikipediaの将来。----広告モデルは、本当に記事の中立性を侵すのだろうか。

2007/02/18 22:11
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プロフィール

殿岡良美

幻の博覧会「世界都市博覧会」で、インターネットを応用した公共イベント企画をプロデュースしたことが、ネットでの活動の出発点でした。しかし結果はご存知の通り。あるいはその未完の記憶が満ち足りない思いを私に残してしまったのか、ネットという愛すべきも、摩訶不思議で捉えようのないものに惹かれ続けてきました。リアルとネットが激しい火花を上げている今日。CNETでは、あらゆる前提や先入観にとらわれない視点から、BigBang的なIT論を展開したいと考えています。
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最近報じられた、Wikipediaの金銭的危機を巡る談義の中でも、中心に位置する話題の一つは、「なぜWikipediaは広告をとらないのか」というものだったと思う。Wikipediaが広告をとらない理由については、いくつかのソースが上げられており、また記事も上がっているが、いくつか目を通してみた。

●Wikipediaが財政危機でも広告を掲載しない理由

●「よくある質問への回答」内にある広告についての説明

    

この種の事はすでに起こっています。基本的には、必要以上に会社への外部リンクを加える、正当な記事を広告で完全に置き換える、自分の会社についての熱烈な記事を書く、の三つの方法があります。一つ目と二つ目の方法は、真の荒らしとして扱われ、記事は以前の版に戻されます。もちろん、スパマーは特に厳しく扱われます。三つ目の方法は、通常、中立的な観点に従って記事が編集し直されます。
    ちなみに、まともな企業の広報は、ウィキペディアを魅力的な広告メディアだとはあまり思わないでしょう。バナー広告、ポップアップ広告、電子メール広告などの伝統的なウェブベースの広告は、ウェブ・バグやサーバー・ログを通して、応答率を直接計測できます。ですが企業が製品を広めるためにウィキペディアを使ったとしても、応答率は計測できません。

12) Money issues - by Achoi77

広告についての議論は、実際にはむしろ、現にこんなにトラフィックがあり、これほどの成長を目の当たりにしているのだから、広告を受け入れることに決めたら慈善的な組織としてどれだけのことができるようになるだろう、といった類いのものだ。われわれのコスト構造は従来のどんなウェブサイトと比べてもものすごーく低いから、もしコミュニティが広告を受け入れることに決めたら、Wikipedia Foundation に大きな富をもたらすだろう。

そうしたらその金は発展途上国の書籍やメディアセンターに資金供与するために使うかもしれない。一部は追加のハードウェアを買うのに使うかもしれないし、一部はわれわれが使命を遂行するために用いるソフトウェアの開発費用を賄うのに使うかもしれない。われわれのように比較的裕福でインターネットにつながった世界の安楽な状態から、自らに対して問わなければならないことは、Wikipedia の純潔に侵入してくる広告に対して感じる不快感や嫌悪感は果たしてその使命よりも大事なものなのか、という問いだと思う。

(太字はBigBang)

Jimmy Walesが広告の受け入れに慎重である理由は、大きく2つあるようだ。1つには、言うまでも無く、記事の中立性を脅かす可能性の排除。そしてもう1つは、最初の理由に比べると言われる頻度は少ないと思われるのだが、太字の表現にあるように「金銭を代価として受け取ること自体への恐れ=広告忌避の感覚」である。それは、合理的な考えに基づくというよりも、多分に思想的であり、感覚的な印象を受けるのだが、特に「Money issues - by Achoi77」にはそうした彼の考え方が良く現れている。

しかし、最初の理由に関して考えると、そもそも広告の対価を受け取ることは、それほど記事の中立性を脅かすことになるのだろうか?この点に関してWikipediaが警戒しているのは、最近流行のリスティング広告ではなく、記事中にそれとなく広告的要素をしのばせる、活字の世界で言えば「記事体広告」の形式であると思われる。これに関連して、INTERNET Watchの「ネットショップ&アフィリエイトのためのSEO対策」と呼ばれる記事に対して、一部のWikipedianが抗議を行ったらしいという情報がある。

それに対して、記事中のキーワードをインデックス化して表示するリスティングタイプの広告に関しては、将来の拒絶の意志を明確にしたという記事は、私が見る限り見当たらない。あるいは、Adwardsのようなリスティングタイプの広告が普及してからの歴史がまだ浅いことと関係があるのかもしれないが、Googleのような検索エンジンにおけるリスティング広告表示の形態と比較して考えてみるとどうであろうか。

Googleが一定の思惑の元に、ある種の記事を検索インデックスから除外する、あるいは著しく下位に表示させるといった、いわゆる「Google八分」についてはネット上に言及があるが、こうしたリスティング広告の存在が、検索結果に影響したという話は聞かない。それは当たり前の話であって、リスティング広告は検索キーワードに準じて表示されるものであり、リスティング広告の結果が記事に影響を与えるメカニズムはない。当然である。だからこそ、検索結果への右欄での広告表示があったとしても、広告が恣意的な検索結果の操作に繋がっていると考える人は殆どいないわけであるが(実態は知らない。アルゴリズムは知らないので)、Wikipediaでは、この事情は異なるのだろうか。もちろんWikipediaは検索エンジンではないから、いくつか異なる要素を鑑みる必要はあるにしてもだ。

仮に、Wikipediaの編集された記事のキーワードをインデックス化してリスティング広告が表示されるシステムが導入されたとする。AdwardsのWikipedia版である。このシステムが、記事の中立性に何か影響を与えるとすれば、恣意的なキーワードをバランスを崩して執拗に盛り込むような記事を書く編集者の存在くらいしか思いつかない。だが、仮にこうした作為がなされたとしても、Wikipediaにおいては、不自然なバランスの記事は「たちどころに」修正されるのが原則だから、長期に渡って広告のための偏った表示がされる可能性は想像しにくい。

Wikipediaが広告モデルを導入しようとしないのは、むしろ2つ目の理由にあるのではないか。つまりJimmy Walesの、「広告モデルの導入により大量の金銭が流れ込むこと」への、忌避の感覚である。それは多分に生理的なものにも思える。

真の理由はともかく、創業者としてのJimmy Walesが広告モデルの代替として、明確に寄付金モデルを選択している。それが今回の寄付募集の呼びかけに繋がっているわけだが、この寄付金モデルが、真にWikipediaにとって中立性のある利益モデルであるかと言えば、そういうわけではない。現在のWikipediaの寄付元リストは、ちょっと確認していないが、当該モデルにおいても、巨額の寄付者が(もしいたならば)記事上で暗然たる力を持つ可能性もある。

この場合の厄介さもあるわけであって、画面上で明確に可視化できない分、広告モデルよりも深く沈潜する可能性もあるのではないだろうか。そう考えてみると、明確にリスティングが表示される広告モデルのほうが、目に見える分、中立性をチェックしやすのではないかと考えるのは、私だけだろうか。
寄付モデルよりも広告モデルでと、一概に主張する気はないが、このあたりは、現在のテクノロジー下で、もう一度正しく再検討されてもいいのではないかと思う。

おそらくこの世に瑕疵のない、磐石の商業モデルはないのであろう。ことが情報の中立性に関わる限りは。それは十分承知した上で、ここでは、敢えてWikipediaの信念に関して論評を行ってみた次第である。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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