震災から4ヶ月、ヤシマ作戦と個人的な話。
震災からもう4ヶ月。まだ4ヶ月。
2011年も半分終わってしまいました。
不謹慎とは思いますが、エヴァのタイトルに準え、少しだけヤシマ作戦と個人的な話をしようと思います。
知らない中身
まず、ご存じない方の為に少しだけこの記事を書いている中身についてご紹介いたします。
isidaiと言います。宮城県石巻市出身、1990年4月生まれの21歳、男。石巻高校を卒業後、筑波大学に入るも現在は休学中。ゲヒルン株式会社の代表取締役を務めています。3月の震災で実家と家族が被災、多数の被害があるなか、なんとか生きています。普段はプログラマだったりセキュリティエンジニアだったり、ただの変態だったりしています。エレクトーンもやっているので石巻の商店街やジャスコなんかでも街頭ライブ、インストアライブなんかもやってたりしました。Twitterは @isidai ですが、ただの変態なのでフォローする価値はありません。ネルフアカウント @UN_NERV のフォローをおすすめします。
震災の瞬間、心重ねて
地震の瞬間、2011年3月11日 14時46分は、東京の自宅で作業をしていました。高度利用者向け緊急地震速報を使用しており、緊急地震速報がなったためテレビをNHKに切り替え、揺れに備えていました。
自宅が、7階なので非常に長く、大幅な揺れになった感じがしますが、あの巨大地震では階数関係なく、みなさんが非常に大きな揺れを経験したと思います。
もともと、宮城県は大きめな地震が比較的多い地域のため、地震には慣れていました。当日も「あーきたかー」と思っていましたし、案外冷静に揺れが収まるのを待ちました。台所の棚からステンレス食器が大きな音を立てて床に落ちたのにびっくりしたくらいです。
NHKで震度7を知り、実家がどうなったのか気になりました。メールや電話も最初の数分間はまだ規制もなく繋がっていました。家族と電話をすると、母と妹はたまたま仕事が休み、学校を早めに帰ってきていたとのことで実家にいました。タンスが倒れたり、電子レンジが床に落ちて壊れたくらいの被害だったと言われ、一旦安心して電話を切りました。すでに宮城県は広範囲に停電しており、テレビも使えなかった状況です。母も「これで来る来ると言われていた宮城県沖もきたし大丈夫でよかった」と話していました。
津波、襲来
電話を切った後少ししてから、NHKからはピロピロ音と共に、大津波警報が発令されたこと報じていました。焦って妹・母にメールや電話をするも、まったく繋がらず。メールは届いていたが送れない状況だったとのこと。「津波来るってよー」「ここまでは来ないから大丈夫だよ」そんな会話が実家では行われていたとのこと。海岸からはやや離れたところにある実家。もちろん津波なんて来たこともなく、「津波が来る」という考えも全く浮かばなかったとのこと。
繋がらない、電話
実家とは一向に電話は繋がらず、現地の情報はまったくナイに等しい状態でした。父は、たまたま東京で仕事をしていたため、連絡が取れ、お互い情報交換をしながら待機をしている状況でした。夕方を過ぎたあたり、父が「待機していても何も始まらない、今から石巻に戻る。お前は東京にいろ。」と言い、そのまま石巻へ向かいました。
雪、逃げのびた後
あの日、石巻は非常に寒く、雪が降っている最悪の天候でした。石巻の渡波というところですが、渡波には地震から45分~50分後に津波が到達したと言われています。津波の様子は、妹が携帯で撮影しておりYoutubeに公開しています。実家は強化ガラスが二重に入った高密閉住宅のため、浸水が20センチ程度だったようですが、向かえの家にはガラスが割れ、汚泥が入り込み、車が突っ込む状況。隣の家には大きな流木が突き刺さり、知らない人が流されて来ている状況だったと言います。(その後実家も基礎がまっぷたつに割れ、色々不具合が見つかり全壊認定になっています。)その2軒の家に挟まれた実家は、何かが突っ込んでくる状況は免れたました。車やバイクは波に飲まれてしまいました。近所の友だちなどはぎりぎりの状況で渡波小学校へ避難したとのこと。津波の水が引くのにしばらく時間がかかりましたが、引いてからは渡波小学校へ向かったとのことでした。
男の戰い
全く現地と連絡が取れない中、自分にできるのは情報戦しかないと思い、石巻やその周辺の情報を集めました。様々なツールを使い、リアルタイムに情報を更新していました。まとめにはやはりTwitterなどよりもブログやまとめツールが役に立ちますね。その時のまとめはKraftwerkで公開しています。
多くの人が情報を求める中、石巻の情報に関してはKraftwerkが活躍したようで沢山の方が閲覧し、コメントを残してくださっています。mixiでも同様の情報を更新しており、地元の友だちに、地元の情報を分かる限り伝え続けました。
人の造りしもの
そのころ、東京電力福島第一原子力発電所での事故がだんだんと明らかになってきました。人の造ったものです。完全を求めることはできませんね…。
エヴァの作中内でも「事実は往々にして隠蔽されるものなのよ」「極秘情報がダダ漏れね」「奇跡を待つより捨て身の努力よ」「人間の手で、直接」「やれる事をやっておかないと、後味が悪いから」など、第七話は「組織と個人」の話でもあり、「嘘」や「情報操作」の話でもありました。他の放送回にも「よくわからないものを無理して使うからよ」など、原発事故を連想させるキーワードがあることが、現実に起こってしまったのは非常に残念でならないです。
そんなニュースが流れる頃、父は「今福島を通過中!」との連絡が。顔が青ざめました。原発に関する情報は非常に少なかったですから、正確な情報がない中では不安になりがちになります。むしろ、正確な情報を開示することで、人は安心感を持つのではないかとも思っています。
決戦、東京大停電
原発事故の影響で、東京電力管内では電力が大幅に不足することが予想されました。電力が不足すれば大停電になります。未然に防ぐことが必要だと感じました。まだ東京電力や政府は節電要請を出しておらず、それよりも早い行動を起こし、正しい情報を伝達・啓発する手段が必要だと考えました。
そのころ、Twitterではちらほら「ヤシマ作戦」という言葉が見受けられるようになってきました。偶然、evangelion.ne.jpドメインとUN_NERVアカウントを所有していたので、ドメインとネルフアカウントを使用してヤシマ作戦を拡散させることに決めました。ネルフロゴなどの素材も持ち合わせていたのですぐにポスターを作り公開しました。と、当時に著作権の問題や、節電が東京電力への不買運動、業務妨害活動に当たることも考え、課題の解決に取り組みました。
エヴァンゲリオン著作権に関しては、版権元からご連絡をいただき、事後にもかかわらず承認を頂き著作権に関しては解決、東京電力の節電も政府を通じて計画停電の可能性の発表があり、順次、課題を解決していけたかと思っています。
版権との調整についてはやはり、当初いろいろあったのですがここで書くような内容ではないので。ご理解とご協力を頂き大変感謝しております。
静止した闇のなかで
初日は停電を防げましたが、順次計画停電が現実のものとなり、停電中には信号機が止まったことから、交通事故でなくなった方や怪我をされた方が出ており、非常に残念でした。
石巻も依然停電が続き、暖を取れているのか、健康なのか、必要な物資はどうなのかなど気になることがたくさんありました。
嘘と沈黙
ほぼ3日間飲まず食わずでヤシマ作戦や石巻の情報収集をしており、支えてくれた周りの人からも大変心配されました。正直フラフラしていましたし、TwitterやSkypeでは大丈夫です、頑張りますと言いつつ、津波の後から連絡が取れない中、実家の安否も父の安否すらも分からなくなり、本当は母や妹は死んだんじゃないか、と思うと涙が止まりませんでした。お風呂で大泣きし、ご飯食べつつ「こんな温かい食事をしていていいのだろうか」とネットの自分とは裏腹に弱い現実の自分がそこにいました。津波の映像見たら、精神的に不安定になりますし、家族と連絡も取れませんから仕方ないのですが、その辛さや不安を紛らわすために3日も4日もひたすら頑張り続けたのだと思います。ひとりになったり寝たりすると不安が襲いますから、ずっと情報と人に触れていたんだと思います。
別の適格者
ヤシマ作戦が広がるに連れ、一緒に頑張りたいといってくださる方が増えていて、非常にありがたかったです。「輪番停電計画」や、計画停電カウントダウンアプリ、電力使用メーターなどが登場し、エヴァというつながりの中で、デザイナーや技術者が力を発揮し多くの人へ情報の提供をしていました。それを認めてくださった版権関係者の皆様には改めて感謝申し上げます。また僕がヤシマ作戦に関する指揮を取るというよりは、正しい情報をまとめ、権利関係などを調整する「世話人」、また関係各所へのご迷惑をおかけした場合の「責任者」であるにとどめ、自分自身が表側に出ることは避ける方針で活動してまいりました。
心のかたち 人のかたち
その後、取材の申し込みも多数戴きましたが、一貫して報道各社には「誰が言い始めた」「誰がやっている」という情報を出すことは差し控えていただき、「みんなでやっている」「みんなが停電を回避するために協力しあっている」という記事を書いていただくようお願いしてきました。(一部、問い合わせなく記事を出してしまった新聞社もいらっしゃいますが、そこはどうしようもないかなと思っています。)ヤシマ作戦の記事を目にした人の士気を上げて、みんなでやっている連帯感を感じて、継続して節電を無理なく実行してもらうためには、やはり特定個人が記事の中に登場することは避けたいと考えました。また、それと同時に報道の自由や表現の自由がありますから、それを尊重し、特にお願いとして表現の制限などは行っておりません。事実誤認の場合のみ訂正を求め、あとはどういう記事を書くかは、記者及び報道各社の意思を尊重しています。
奇跡の価値は
友達や先輩、親戚が亡くなってしまい色々個人的に思うこともあります。本当に悔しいですよね。命や財産をみんな持って行ってしまいました。実家は結局全壊、妹も学校が津波で壊滅し転校、父も職場がなくなってしまい無職となりました。だけど、生きているだけで、命あって家族が一緒にいるだけで困難って乗り越えられるんだと、感じています。父も母も妹も元気で過ごしていますし、地獄絵図のような被災地でも毎日楽しいことを見つけて笑って過ごしているようです。妹は高校3年ですが毎日電話で、面白かった話を聞かせてくれます。
こんなまっ更な状態から、また街を作り、生活を立て直すのって本当に大変で、もう引っ越したほうが楽だし安上がりなんじゃないかと思うのですが、それでもまたずっと続いていく街をもう一度誰かがつくり直していかないと、将来生まれ来る人たちに手渡すことができないし、未来を作って引渡していくのは、現在を生きる自分たちにしかできないこと、そして義務なんじゃないかと思っています。今が良ければいいという考え方もありますが、次の世代に明るい未来を託したいというのが、現地の願いなんじゃないかと思います。
努力しか解決策はないです。だったらやるしかないんですよね。地元の人がやらないといけないんです。
ただ、無職になってしまって失業手当を貰っている方が現地には相当数いると思われますが、ひとつ問題だと思ってることもあります。現地で復興や瓦礫撤去の仕事をすると、働いた賃金分、失業手当から差し引かれるのです。失業手当の意義などから考えれば当たり前の事なのですが、これが現地で復興や瓦礫撤去の仕事をする妨げになっているとの声も出ています。失業手当を差し引くことなく、瓦礫撤去の仕事で賃金をうけとれるなら、みんな率先してやるとおもうのですが、地元には「働いたら負け」という空気が流れかねないし、不法労働なども増えかねません。ここは特例措置があってもいいのではないかと思っています。
ここまで書いてきましたが、これは個人の見解であり、ヤシマ作戦及び版権元、UN_NERVアカウントなど関係各所のそれとは異なります。
また、UN_NERVアカウントは以前より、交通事情や気象情報についてもお知らせするアカウントとして活動しておりましたので、節電関連以外にも今後も情報提供を継続していく方針です。
色々書けないこと、書き足りないことありますが、またどこかのタイミングで追記・更新していきます。
今後ともよろしくお願い致します。最後までお読みいただきありがとうございました。