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僕が二十歳までにやらせて頂いたこと

2011/05/17 22:30
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石森 大貴

Webサービスやインフラ、セキュリティに触れながら気になる情報をお届けします。 ※旧「元現役高校生サーバー管理者の考察日誌」を改め、「isidaiの考察日誌」にしました。
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僕が二十歳までにやらせて頂いたこと

皆さんこんばんは。最近 @Sn0wNight くんの呼びかけで流行ってるので、参加してみます。
中・高生対象なのに、21歳のおっさんでゴメンナサイ><

数えきれないほどの罪を重ねてきたのでちょっとした告白です。

僕がパソコンというものに初めて触ったのは1998年のこと。それまでは1996年くらいからワープロなるものを触っていたので、パソコンでもタイピングは難なくできました。

98年当時、今は津波に飲まれ被災者のみなさんが生活している石巻市立渡波小学校でWindows95搭載の富士通機が3台、FM-TOWNSが2台ありました。

Windows95については専用線ネットワークがあったはずですが、当時インターネットには接続させてもらえませんでした。FM-TOWNSは富士通開発の「マルチメディアパソコン」といわれるもので同じく富士通開発のOS「TOWNS OS」が組み込まれていました。なおブート後にDOSやWindows3.1に切り替えることもできる優れた機種でしたし、SCSI接続の外付けHDDやCD-ROMドライブを搭載する先進的なモデルだったと記憶しています。

小学2年(8歳)だった僕は、Windows95よりもTOWNSと仲良くなりました。
当時から財政難だった石巻市ですが、IT教育に力を入れていたのか、翌年の1999年にはWindows98機(富士通)が8台納入されました。Windows98時代はCドライブ直下からWINDOWSディレクトリやsystemディレクトリの中身を漁ったりDLL(Dynamic Link Library)の中身のアイコンデータを見たりと、普通とは違った遊び方をしていました。

そして財政難のはずの石巻市が2001年にはWindows2000Server/Professionalの構成で、校長室と職員室にサーバーを、すべての教室に2台ずつ、コンピュータ室に10台のWin2k機を入れました。これには非常に感動し、Win2kと戯れる毎日をおくっていました。すべての端末は無線LANで接続されインターネットへのアクセスも自由でした。

個人的にはいまでもWindows2000が大好きです。

そんな中、2001年(小5)でWindows2000とネットワーク構成になったので、ネットワークセキュリティというものが出てきました。

当時の僕はセキュリティなんて何も知らなかったのですが、ただただ「ネットワークを使って遠隔操作をしたい」という中2モードに入り、なんとかVNC Serverをサイレントインストールさせることまで思いつきました。

(ここからの話、もう時効だし小学校は壊滅しているので許してください)

校長室のWindows2000 Serverに、どうやってか管理者権限でリモートアクセスしたいと考え、先に作ったVNC Serverのサイレントインストールを行う方法を模索していました。
結果的には、Administrator権限でネットワーク経由からタスクの実行を行ってVNCをインストールし管理者権限を奪取できたわけですが。当時は、タスクスケジューラをリモートから任意に実行できたのでした。

今思えば小学5年で今でいう不正アクセス禁止法に触れたわけですね。

そうしてすべての端末にはバッググラウンドで動くVNCが入ったのでした…。
また、各クライアントにはEasyRecoveryという再起動ごとに変更を無効化するHDDドライバ型のセキュリティソフトが入っていたのです。BIOSとOSの間で動いていて、HDDに対する書き込みを一時的なものにし、再起動するときには一時ファイルを消して書き込みをなかった事にできる製品です。これの管理画面にはパスワードがかかってきたのですが、見事にデフォルトのままでしたので、説明書のPDFをネットから落としてきてパスワードを突破できていました。

2002年に小学校を卒業、そのまま渡波中学校に進学します。渡波中学校は海沿いですので津波で壊滅的な被害を受け、いまは1年・2年・3年ごとにバラバラの学校に配分されたようです。

渡波中学校の環境は、WinNT4.0 Serverが2台とWindowsMeが40台という素敵な環境でした。授業中にブルースクリーンが多発していて、再起動していると授業が終わるという、どこにでもある日常風景がそこにはありました。

当時のWindowsNTサーバーはセキュリティアップデートもされず、放置気味だったので不安定なWinMeちゃんに頑張ってもらい授業中にサーバーにアクセスしたりしておりました。

パスワードが非常に簡単で推測できるものだったので、コマンドプロンプトのnetコマンドでサーバーのAdministratorのパスワードを変更したり任意のアプリケーションを実行出来る状況でした。ただ、小学校より良かった点はファイアウォールが設定されていたことと、職員室とはネットワークが切り離されていて、コンピュータ室からはアクセスできなかったことですね。各生徒の個人情報や成績の情報は職員室側に保存されていて、アクセスできないようになってきました。

が、ある先生から借りたUSBメモリに全員の成績情報が入っていたことがあり、情報管理が徹底されていない残念さが目立ちました。

時を同じくして2003年、入学したての僕に数学のある先生が「P検うけろ」と言うので受けたら3級に受かりました。「13歳で3級は珍しい」と言われていたのですが、結構簡単でしたよね><


そのころ、家ではダイアルアップからADSL、定額の波がきており自宅サーバーを始めました。2003年のことですね。「石大の自宅サーバー」というプロジェクトで黒歴史です。ええ。2chにもさらされており、中学校の先生も「お前2chに出てたなwwww」って言われバレバレでした(´・ω・`)


isidai.com/Micro-server.net時代に仲良しの @N_taka くんたちと知り合いました。自宅サーバーのユーザーさんでした。

その後、受験を控え一旦ネットを解約。同時に自宅サーバーも終了し、みんなとの連絡は取れなくなりました。


無事に、石巻高校に入学してまたネット三昧の生活が戻って来ます。今度はBフレッツでした。しばらくしてからまた自宅サーバーをやり始めました。「AbelProject」というプロジェクトです。コントロールパネルをPerlで自作していました。多分当時使っていたOSはWhiteBox EnterpriseLinuxだったと思います。今でいうCentOSみたいなものですね。

2007年、クラスの女の子に誘われて夏休みはアメリカに行ってきました。とっても楽しかったです。アメリカのネットは結構ダイアルアップベースのところが多くてちょっと遅いんですよね…。すごく楽しく生活させていただき、帰国。その1週間後にセキュリティキャンプ2007に参加しました。めっちゃくちゃ死ぬほどの刺激をいただきました。

帰ってきてから、AbelProjectのコントロールパネルのアップデートにとりかかり、○くらインターネットのコンパネに負けない機能を揃えました。当時の自宅サーバーでは珍しかった完全自動化で、申し込みから登録まで自動、独自ドメインやメールアドレスの追加も自動化していました。ユーザー数は300人を超えていました。

同じ時期にYahoo!トピックスエディターになったりしましたが、全然仕事してませんでした><すみませんー。

2008年、セキュリティ&プログラミングキャンプに名前を変えた同キャンプに講師補助(チューター)として参加。いろいろな方に触れつつ、キャンプの最終日にCNET Japan Blogのブロガーに応募。高校生の応募は初めてだったようで、対応や審査にやたら時間がかかりましたが、審査に通過。CNET Japanで記事を書き始めます。

そんなことをしているうちに、高校3年になり2008年10月11日。TBSドラマ「ブラッディ・マンデイ」がスタートします。放送の翌日、「『ブラッディ・マンデイ』を考察する」という記事をかき、その後も連載。反響がすごかったのと同時に中2病患者にストーキングされる日々が続きました。mixiで「ハッキングの仕方を教えてください」という質問が何度来たことかwww

その時期、「ファルコン」というハンドルネームの人が大量発生しておりましたww

その後、ブラッディ・マンデイ season1を監修したサイバーディフェンス研究所から「何disってんだよ!一回会社きやがれ」と言われたので、宮城から東京に向かい、同研究所を訪問。「思ったのと違ったwww」という反応をされ、高校卒業したらちょっと働いてみるということに。。ちょうどその時期には、筑波大学のAC入試に合格しており、進路が確定済みだった気がします。

高校を卒業して3月2日からサイバーディフェンス研究所にお世話になりました。会社に行ってデスクに座るなり、「じゃぁこのサイト診断お願い」といわれ「えええええええ」という状態。なんとかその日から診断開始でき、びっくりしつつもスキルを増やすことができました。診断開始から数時間後に「どう?root取れた?」と言われまたも「えええええええ」ってなってる状況でした。同業務の一環として、Zone-Hハッキングセミナーの講師補助も努めました。


4月から筑波大学に入学。大学ではコアな友達もでき楽しい学生生活が始まったかのように見えました。その時期、Perlの変態集団「Shibuya.pm」に呼ばれライトニングトーク。小飼弾さんらすごいメンバーと同じステージに立てたこと、また会場だったリクルート本社がすごく綺麗だったことが印象的でした。

2009年にはサイバーディフェンス研究所からDEFCON2009にも参加しました。が僕は全然役になってませんでした(´・ω・`)


同じく2009年には、第1回東北情報セキュリティ勉強会に誘っていただき、ライトニングトーク。盛岡の人たちがいたり、東北だけど濃い集団がそこにはいました。

2009年もセキュリティ&プログラミングキャンプに講師補助として参加。
@na_toiくんが主催する 学生プログラマー勉強会 の第1回にも講師として参加させていただきました。

2009年10月にSecurity.GS Magazineをスタート。最近全然かけていないのがアレですがw
同時期にニコ動外部Playerを公開。そのあとドワンゴさんから注意されたりいろいろあって軌道修正しつつ現状を保っています。

2009年の終りにはセキュリティ&プログラミングキャンプキャラバン東京でライトニングトークをさせていただきました。その頃ちょうど、@IT・自分戦略研究所の学生スターエンジニア企画の第1回にも掲載され、記者だった@akitsukadaくんたちとも仲良くなっておりました。

2010年に、ゲヒルン株式会社を設立、その前後にux.nuやピクルス、RealuやTwitTalkをリリースして、いまもみなさんに使っていただけています。大変嬉しいです。

会社設立の時期に、Security.GS Fes 2010 in TO-KYO-TOを開催。東京と京都で若い人達と出会ってきました。すっごく刺激になるものでした。東京の真面目さと京都の盛り上がりは地域差がでていて面白かったです。

2011年になったと思ったら、東日本大震災。3月11日から12日にかけて友達を保護しつつ「ヤシマ作戦」を開始。エヴァンゲリオンの版権元からなんとかOKをもらい、公認・非公式という立場で作戦のお世話をさせていただきました。みなさんの力があってこそできたことです。本当に感謝しています。

ここまでが20歳ですね。

2011年4月3日、21歳の誕生日は実家である宮城県石巻市で過ごしました。

僕は全然中途半端な技術者で、どちらかと言えばサーバー管理者とかの立場が好きな文系ですw

Sn0wNightくんやrexくん、ひなたくんやsoraくんには全然かないません。彼らの成長がすごすぎて逃げ出したいくらいです(´;ω;`)ブワッ

僕らはインターネットの世代的には非常に中途半端でゆとってると言われる位置におり(G91世代)、いろんなサービスが出てきてしまって飽和した状態で高校生・大学生になってしまった残念世代です。Web1.0と2.0、HTML4/XHTML/XML/HTML5の中途半端な時代を小中学生時代に過ごしてまいりました。もう少し早ければ、もしくは遅ければもっとインターネット楽しかったのになー。ボクらの時代にTwitterとかあって、いろいろな人と交流できたらなーと羨ましく思います。

僕ら、IRCとかMSNメッセンジャー世代ですからね><
MSN年越しチャットとか、そういう場所で友達を増やしている時代でした。

懐かしいなあ…と思いつつ、この10年間を無駄に過ごした後悔とともに終わります。

最後までお読みいただきありがとうございました。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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