素人ブロガーの無謀な反論その2。懲りずに続けるのだ。
三者間市場
サービスの提供者、そのサービスを無料で受け取る消費者、サービス内に広告を掲載する第三者、の三者で構成されるのがこのモデルである。テレビ、ラジオを中心として最もよく広まっている。
広告収入を収入源とするこのモデルはインターネットとも相性が良く、グーグル、ヤフーなどの検索エンジンをはじめとして広く採用されている。
私情から入る。
私はこの収益モデルがあまり好きではない。
もちろん否定するつもりは毛頭ないが、サービスを受ける者と費用を負担する者が別、というのはやはり根本的にどこかが間違っていると思うのだ。「財またはサービスを受領した者が、提供した側にその対価を支払う」というのが商売の原則のはずだ。
「フリー」の本文中に詳述がある。ラジオ放送が開始されたころ、その放送費用を誰がどのように負担するか?ということが大きな問題となったらしい。
課税や寄付によるもの、番組表の有料化などがアイデアとして生まれ、結局、最後に広告収入によるモデルに落ち着いたらしい。そして、当初最も反対が多かったこのモデルが大成功し、今に至っている。
では問う。これは優れた収益モデルなのだろうか?
ここで留意すべきことは、広告収入モデルが最初、「消極的選択」として採用された、という点である。ラジオの例を商売の原則に則って考えれば、どう考えてもリスナーがラジオ局に対して料金を直接支払う方が理にかなっている。しかしそれはラジオの特性を考えるとほぼ不可能だ。リスナーに直接課金するしくみが作れないからだ。
つまり、広告収入モデルは、直接課金することが仕組み上不可能、または課金システムの構築と維持のためのコストが課金額よりもずっと大きくなってしまう場合に、「仕方なく」採用しているモデルと言えないだろうか。
そして、この収益構造は本質的にひずみを生みやすい。
サービスの受領者と、費用の負担者(スポンサー)と。
ひとたびこの収益モデルを採用すると、サービス提供者はどちらに向いて仕事をすべきかわからなくなってしまう危険性を持つ。それが時としてどのような現象を生み出すかは、現在のマスコミ(特にTV)の状況を考えれば、今さら説明する必要もないだろう。
インターネットの世界では、たとえコンテンツ閲覧や各種サービス提供に直接課金するとしても、その単価はおそらくとても安いものになる。現在の決済の仕組みではまったくもって割が合わない。たとえば「ググる」行為が有料化されたと想定した場合、その単価はきっと1回あたり1円以下だろう。クレジットカード決済の手数料など払えない。
しかし、その「とても安い単価」を直接課金できる仕組みがあるとしたらどうだろうか?
たとえば、パソコンの隣にコイン投入口があって、そこに1円玉を投入することで使用料を支払うことができたら…
まるでドラえもんのような発想だが、これに近いような「安全、匿名、超低コスト」な課金の仕組みが、将来もし実現したら。
今後の技術革新がそれを可能にすることを否定する材料は何もない。そしてその時、広告モデルはそれでも「大成功したフリーモデル」の代表であり続けられるのだろうか?
TVの有料チャンネルやケータイ有料コンテンツがそれなりに収益を上げている現状を見ると、そうとは思えないのである。
結局ユーザとは、本当に欲しいものは直接対価を支払って手に入れようとするものだ。そして、サービスの提供者は、ユーザに直接対価を支払ってもらえる質のものをこそ生みだすべきである。
もちろん今後、この収益モデルがなくなることはないだろう。
しかし私は「時代はいずれ、直接課金に向かうのでは?」と考えている。理由は単純。その方が自然かつ健全だと思うからである。