鈴木健です。
前回のエントリー「2045年のGoogle」のトラックバックやコメントに返答をしたいと思います。
その前にちょっと宣伝を。今度、9月26日(火)に、クリエイティブ・コモンズ・ジャパンのセミナーが六本木の国際文化会館 新ホールで行われます。CNETブログでおなじみのスタンフォード大学のレッシグ教授も参加するパネル・ディスカッションで、司会を務めさせていただきます。詳しくは、CCJPのプレスリリースをご覧ください。
3:30〜5:00 【パネル・ディスカッション】
『クリコモのWeb2.0的ライフスタイル 〜未踏クリエーターの創造する風景〜』Lawrence Lessig(スタンフォード・ロー・スクール教授、クリエイティブ・コモンズ創始者兼理事長)
鈴木健(国際大学GLOCOM主任研究員、サルガッソー代表)
神原啓介 (はてな社員/ Willustrator開発者)
尾藤正人 (ウノウCTO / フォト蔵)
洛西一周 (慶應義塾大学 政策・メディア研究科、NOTA開発者)
安斎利洋 (連画/カンブリアン)
林 千晶 (ロフトワーク 取締役)
ただのパネルではつまらないので、今回のパネルにあわせて、ギートステイトほど未来ではない近未来に実現できそうな街の風景をデモしたいと、いま準備を進めているところです。
ある日、街を歩いていたら、とてもおしゃれなTシャツを着ている人を発見。
QRコードがついているので、携帯カメラで撮ると、そのTシャツのデザインID
が記録される。家に帰ってそのIDを開くと、NOTAが開いてラスター画像は
フォト蔵、ベクター画像はwillustratorで編集ができる。それらの画像は
CCのライセンスがついている。ちょっと色が気に入らないので、willustratorで
編集して、発注ボタンを押すと、世界であなただけのTシャツが発注される
とともに、あなたがデザインしたTシャツが他の人の派生元にもなる。
とまあ、こんな感じになるはずです。
2045年にはTシャツは洗える電子ペーパーつきになっていて、デザインも動的になるかもしれませんね。これはグレッグ・イーガンの「万物理論」にでてくる風景ですが。
さて、本題に戻りましょう。
1.2045年にGoogleは負け組?
>劣さん
個人的には、googleが革命の失敗以外で「負ける」としたらどのような理由があり得るかに興味がありますね。
googleが40年後も支配的であるといえるか、案外微妙な気もしますし、支配揺らがずでは日本人にはチャンスもないし夢もないですから。
>コンニョさん
多分大きくなりすぎて、独禁法で分割されるんじゃないですかね。
という二人からのコメントですが、当然2045年にGoogleがどうなっているかは誰もわからないわけで、いろんなシナリオが考えられます。
実はギートステイトでもGoogleを使うかどうか、まだ決まってないのです。ぜひ面白いシナリオを考えてみてください。
2.Googleは最適化?
次はトラックバックから
>ひとり暮らしアーカイブスさん
「ルーマンとグーグル」、早く読んでみたいです 笑
もしかしたら、ぼくか東さんが仮想の書評を書くことになるかもしれませんね。
人が生まれてからこなしてきたミッションは全てネットワーク上にトラッキングされ、評価と共に蓄積されていきます。あるミッションに取り組むかどうかという点においては個人の意志に基づく自主的な意向はごくわずかしか勘案されず、あくまで客観的に、過去のミッションの完遂度、クオリティから判断され、適任であると思われる個人に分配されます(ほぼありえないことですが、複合的な判断の結果、あるミッションに対する「適合度」がまったく同位だとされた場合にのみ「モチベーション」という非常に曖昧な概念があくまで補足的に用いられます)。
上記のような「最適」が積み重なることにより、オンライン上で発生するタスクは全体最適へと着実に近づいていくことになります。あらゆる仕事に適合度が高い人間もいれば逆にどんなミッションにも適合しない人間も発生しますが、この環境下においては、何らかのスキルを身につけるなどして自ら適合度を上げる努力をするしかないのです。
ここがちょっとぼくが想定しているのと違うのですが、Googleがやっているのは決して最適化じゃないと思うのです。最適化という考え方ではうまくいかないことがわかっているからPageRank的な発想になったというのが、ぼくのエントリーの趣旨なのです。
>web2.0さん
読んでいて思ったのは、人は「正確な情報を欲しない」という人の心理的側面が全く抜けている所がある。
Googleのような秀才集団では、効率・能率・最適化が何よりも尊重される。
しかし、人の心理は全く逆に向くことを知らない。
も同じで、Googleをはもちろん性能などについては最適化は十分しているけど、ヒューマンインターフェイスやレイティングについては最適化思考でないと見るべきだと思います。
はてブを見ると、jkondoも含めて「世界中の資源を組織化し、世界中のユーザーがその資源を利用できるようにすること」
というのが注目されているようですが、この文章が最適化と誤解されたのかもしれません。ここでいう組織化とは、アクセス可能にすることであって、必ずしも「最適」を意味しているわけではありません。Googleのサービスはユーザと機械のインタラクションの視点に立っているからいけているのです。オートポイエーシスやウィノグラードの思想も最適化とはあくまで無縁です。
3.自分のしていることの因果
>COBOL技術者の憂鬱さん
おーなんかすごいなぁ、とか思いながら読んでしまったのですが、GOOGLEがこないだから始めているイメージなんちゃらっていうやつ?ランダムに画面に表示される画像にひたすらタグづけさせる対戦型オンラインゲームがあるのですが、これの「利用目的を伏せた状態でゲームとして人間に作業させる」という点が、このお話とうまくシンクロしていくような気がします。
Google Image Labelerですね。概説はGIGAZINEでも。これはゲームプレー・ワーキングの原初的な形としてあげられると思います。
この表示術、amihotornotが元祖なのではないかと思うのですが、どうなのでしょうか?
でもまあ、ゲームとしてどこまで面白いかですよね、やはり重要なのは。ゲームプレー・ワーキングは、苦痛というよりはゲームとして結構楽しいという風にしたいと思っています。
それにしても文中に出てくる「人間グリッド」っていうのがものすごくパンチの効いた表現やなぁと思うのですが、これだけだとどうしてもマトリックス的な世界観を連想してしまいますよね?
確かにマトリックス的なところがありますね。うーむ。
けど私が思い出したのは大昔に流行ったウォーゲームという映画です。天才ハッカー少年が国防システムに侵入したものの、それをゲームプログラムだと勘違いしたままあちこちいじくりまわして、あやうく世界中が第三次世界大戦の危機にさらされるというものです。
なんかよくわからないパズルゲームを大勢で解いている内に、どこかの国の戦闘に加担していたりとか、そんな妙な世の中になってしまわないことを祈りましょう。
そんな世の中がくるかもしれません。自分が何に関わっているのかわからないという点については、「Web2.0と新しいフォード主義」で分析しているので、ぜひお読みください。でも、よく考えると、現在ぼくらの生産している財も、サプライチェーンの10ホップ以内で軍事に利用されてそうですね。