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「それは間違っている」と言うことはいかにして可能か

2006/08/24 03:36
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プロフィール

ギートステイト制作日誌

2045年の日本を社会学や情報技術といった視点から描き出すプロジェクト「ギートステイト」。批評家の東浩紀氏、エンジニアの鈴木健氏、小説家の桜坂洋氏の3人が「未来」の制作過程をお伝えします(このブログの更新は2007年1月4日で終了しました)。
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みなさん、はじめまして。鈴木健といいます。前の東さんのエントリーにもありましたが、鈴木健というのは非常に多い名前で、ヤクルトに鈴木健という野球選手がいますし、日テレにも鈴木健というアナウンサーがいます。一部のチェーンメールによれば、鈴木健というバカ体育教師もいたようです。

ぼくはPICSY blogというブログを書いているので、ご存知の方も一部おられるかもしれません。PICSYとは伝播投資貨幣の略で、価値が伝播するという新しい貨幣システムのことですが、そんなモデルを5年くらい前から作ったりしています。このアルゴリズムはGoogleのPageRankと非常によく似ています。

新しい貨幣システムだけではなく、新しい会議ツールや、新しい社会契約論についても最近よく考えます。このへんについては、ブログよりも、つい先日公開されたISED(情報社会の倫理と設計のための学際的研究)での報告「なめらかな社会の距離設計」のほうがよくまとまっているかと思います。

そういったアイデアを、今回はソフトウェアとして実装するのではなく、物語という虚構の上で展開しよう挑戦しています。いまのところ、ゲームプレー・ワーキング、伝播民主制デモリス、お笑いマップなんてアイデアが登場しそうな感じです。おいおい紹介していくことになるかと思います。

【未来予測と可能社会】
今回のプロジェクトでは未来社会を予測するとのことですが、これはある意味で、過去の社会の多様性を発見してきたここ数十年の社会学や哲学を、未来方向へ写像したものだともいえなくもありません。われわれの知っている社会、見えている社会は、可能な社会のごく一部でしかないのです。

たとえば、ジェンダー・スタディーズにおいては、私たちのもっているセックスやセクシュアリティの価値観は時代や場所によって大きく違っており、必ずしも現代の先進国における性倫理が正しいとはいえないことを主張してきました。文化人類学やポストコロニアル・スタディーズは、われわれ近代社会の住人がいかに慎重に前近代的な文化に入り込み語ろうとも、語ること観察することそれ自体の限界にぶち当たるのだと言います。

彼らの主張は決して一枚岩ではありませんが、ただひたすら価値観の多様性を許容しようと努力してきたという意味では共通点があります。その問題意識を一言で表現するならば、「『それは間違っている』と言うことはいかにして可能か」を問い続け、価値観の異なる他者に対する想像力を持とうという点にあります。

そもそも過去の●●観には多様性があり、現在の価値観からすれば違和感に満ち溢れているのですから、未来の社会も今の価値観からは到底想像できない文化や技術が利用されていてもおかしくありません。

ぼくの専門の人工生命という用語をつくったクリストファー・ラングトンという研究者がいるのですが、彼は人工生命という言葉によって、"life as we know it"(われわれの知っている生命)ではなく、"life as it could be"(ありうる生命)を研究しようと提唱しました。

この使いまわしを援用するならば、われわれの知っている社会ではなく、ありうる社会"society as it could be"を想像することこそ、プロジェクト・ギートステイトの目指すところだといえます。

【IT時代のルター】
後から歴史を振り返ったときに、きっとコンピュータやインターネットが、現代という時代の変化を象徴するものとして挙げられることでしょう。今回のプロジェクトでは、その変化や影響力の大きさをどうにか描いてみたいと考えています。

歴史上に類似の例を探せば、グーテンベルクの活版印刷は、ルターの宗教改革に影響を与えたと言われています。グーテンベルクは1440年頃に活版印刷を発明しました。有名な42行聖書は、1450年代にラテン語で印刷されたものです。1517年、ルターは「95ヶ条の論題」という贖宥状問題を糾弾する紙をヴィッテンベルク城教会の扉に張り出しました。これはラテン語で書かれましたが、ドイツ語に訳され、印刷技術によって広くドイツ国内に流通し、宗教改革ののろしとなったのです。ルターはその後、ラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳しますが、これにより一般民衆が聖書を直接読むことができるようになりました。それまでは、民衆と神の間に教会が媒介していたのですが、ルターの運動をきっかけとして、聖書を日常言語で読むプロテスタントの諸派が生まれてくるのです。聖書は歴史上でもっとも出版された書物となります。

さて、2045年にはどんな宗教改革が起きているでしょうか。

ギートステイトの2045年では、その人の人生を記録したライフログと呼ばれるアーカイブを多くの人が持つようになります。ライフログとデバイスが連携することによって、さまざまなレベルで生活に利便性が提供されるからです。ライフログは、いまのブログの発展系のようなものですが、その情報量は現在の十億倍を超えます。ある人の24時間365日何十年もの精細な映像記録が蓄積され、そのアーカイブを検索、閲覧する新しいインターフェイスも開発されていきます。

すると、当初は予想されてなかったことですが、ライフログ中の他人の人生を自分の人生と思い込む人が出てきます。自分がライフログ上の彼の生まれ変わりだと強く信じる人々が、何十万人も出現するのです。これはあながちありえないことではありません。そもそも、人間の記憶とは怪しいもので、幼いときの記憶はそのままの記憶ではなく、記憶を幾度となく想起することによって記憶として固着していくものです。

印刷技術にはじまりIT技術で極点を迎えた記憶の外部化は、輪廻転生者を大量に出現させます。この現象に対して、チベット仏教に宗教的天才があらわれ、五番目の新しい宗派「マーポ派」を作り出します。物語は、この新しい宗派に影響を受けて輪廻転生を願うある老人が、世界中のライフログをオープンにしてしまおうとテロ行為を企図する1日の話になるかもしれません。

IT時代の輪廻転生者たちは、私たちのような古い世代からは、単なる変人扱いされるどころか、社会的秩序を乱すものとして嫌悪されます。精神医学からは、検索性同一性障害などという病名をつけられ、ちょうど解離性同一性障害(多重人格)のように、立派に「治療」されてしまうのです。しかし、輪廻転生者たちはあながち悪いことをするわけではないので、彼らの存在を社会的に認めようという人々もいるでしょう。もちろん大多数は、「単なる勘違いの気持ち悪い人々」として認識しています。

現代人からみたらとんでもない現象が、未来の社会でどのように捉えられ、受容されていくのか、物語として描けたら面白いのではないでしょうか。そして、輪廻転生者を「間違った人々」としてではなく、ちょうど過去の人々を社会学者や民俗学者が見るかのような優しい視点を織り込みたいものです。

しかし、それだけでは物語という手法を使って描くまでもありません。物語には物語の力があるのです。

【それは間違っている】
小林秀雄の「信ずることと考えること」という講演に、ベルグソンの話が登場します。もともとは、ロンドンの心理学協会で1913年にベルグソンが行った講演だそうです。

ベルグソンが会合に出席していると、ある人が、パリ在住の未亡人の話を著名な医学者に語りはじめました。この前の戦争中、婦人の夫は遠い戦場に兵士として行っており、婦人は夫が塹壕で倒れて戦死した夢を見て、夫が死んだことを知ったそうです。後でよく調べてみると、同じ時刻にちょうど婦人が見たとおりの死に方で夫が戦死したのを、近くにいた戦友が目撃したというのです。

話を聞いた著名な医学者はこう答えたそうです。「その婦人の人格を信じたいし、その婦人は嘘なんかは言わないだろう。しかし困ったことは、人はみなそういった幻を見るが、多くの場合はそれは幻にすぎず間違っている。どうして人はそういった正しくない幻のほうを放っておいて、正しい幻のほうだけを気にするのか。たまたま偶然に当たったほうだけを取り上げなくてはいけないのか」

その言葉を聴いていた若い女性が医学者に、「先生のおっしゃることは何か間違っていると思う。どうしても間違っていると思う」といいました。ベルグソンはその娘さんのほうが正しいと思ったそうです。その理由をベルグソンはこう説明します。

学者は優秀であればあるほど、深く自分の学問の方法というものに囚われている。知らず知らずのうちにその学問の方法の虜になり、現象の具体性に目をつぶってしまう。その医学者は、「夫が戦死した夢をみたという話を聞く」と、「正しいか正しくないかという問題」にしてしまった。

その婦人は問題を話したわけではない。その婦人は経験を話した。経験というのは主観的とか客観的とかいうものではなく、直の経験である。それを医学者は、果たして夫は死んだか死ななかったかという抽象的な問題に置き換えてしまったのだと。

この物語自体もいかようにも解釈できるのですが、物語の力を示すひとつの大きなエピソードだといえます。

 今回のプロジェクトを通じてのぼくのテーマは、想像力です。

それは虚構を書くということによってはじめて可能になることでしょう。ぼく一人の力では到底成し遂げられないのですが、才能あふれるパートナーにめぐまれてスタートを切ることができそうです。

さて、次回は小説家の桜坂洋さんのエントリーになります。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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