九州工業大学(九工大)発認定スタートアップであるマリスcreative design(マリス)は、九工大、NTTコミュニケーションズ(NTT Com)との共創により、視覚障がい者が介護や介助なしに自立して自由に行動できる歩行サポート機器「Seeker(シーカー)」を開発している。
マリス 代表取締役CEOを務める和田康宏氏は、幼少期から後天性障がい者の母親を支えてきた中で、世の中に様々な不便を感じてきたという。その経験から大学院で福祉機器の研究を行い、社会人生活を通じてモノづくりの技術を学んでマリスを起業。Seekerの事業化を模索する中でNTT Comとの共創にたどり着き、ネットワークサービスとの連携でビジネスとしての幅広い可能性も見えてきた。
積年の想いの結実を目の前にした和田氏と、共創パートナーとしてSeekerとのデータ利活用を通じたビジネス連携を検討する NTT Com プラットフォームサービス本部 クラウド&ネットワークサービス部 主査の堀優氏に、思いの丈を聞いた。
国内では現在、160万人以上の視覚障がい者が日々の暮らしを営んでいる。超高齢化が進む日本では、加齢に伴う緑内障や糖尿病の悪化などによって、今後さらにその数は増えていくものと予測されている。
視覚障がい者の活動を支えるために、街中では点字や点字ブロック、音が出る信号機などの補助装置が設置されているが、現状は決して十分な状況とはいえない。特に危険なのが駅のホームで、視覚障がい者は「『欄干のない橋』を歩いているようなもの」と感じているという。そのため、多くの視覚障がい者は一人では怖くて家から出られないでいると和田氏は現状を訴える。
「そもそも、点字を読める人は1割くらいしかいない。音響信号機は設置数が少なく、夜間は住民に配慮して音量が制限されている。実際は『勘で渡っている』と話す視覚障がい者も少なくない。ホームドアは地域によっては全く設置されておらず、毎年死亡事故が起きている。外出時にはガイドヘルパーが必要な状況だが、ヘルパー自体が少ないために場所によっては1カ月前から予約しなければならない状況で、決められた時間・場所しか動けず、お金の負担もかかる。また、トラックのサイドミラーや木の枝のような上半身に対する障害物に衝突する事故も多発している」(和田氏)
Seekerで「上半身に対する障害物」を避ける様子
そのような課題を解決するために、マリスではSeekerの開発を進めている。Seekerの製品コンセプトは、「人の『できない』を補う、自立する世界をつくるための福祉機器」である。
「製品開発の考え方としては、介護機器が介護をする人が使うものであるのに対し、われわれが考える福祉機器は、障がい者や高齢者自身が使って自立するというもの。われわれはSeekerによって、視覚障碍者が自由に好きな場所に行ける世界を実現したい。それを早く世の中に出したいという思いで、企画・開発を進めてきた」(和田氏)
Seekerは、カメラ・センサー・AI・通信装置付きのヘッドフォンのような肩(首)掛け型デバイスと、白杖につける振動装置で構成する。肩掛け型デバイスには、九工大が開発しているスタンドアロンの省電力AI「marisAI」が搭載されており、低遅延のエッジコンピューティングによってセンサーとカメラで撮影した映像から危険を即時に判断して白杖側の装置に信号を送り、振動によって目の前の危険を利用者に知らせる仕組みになっている。
「Seekerでは、首の位置から入手できるセンサーデータによって人の目線で立体的に情報化し、トラックのサイドミラーや信号の位置、点字ブロックの位置などを把握して、危険かどうかを判断している。視覚障がい者にヒアリングをしたところ、外出時には『上半身に対する障害物』『駅の転落』『信号』が怖いということだった。まずはその3つの危険を解消するところからスタートする」(和田氏)
ただし、Seekerの開発には課題も多かったという。スタンドアロン型のデバイスであるため、歩行サポートサービスの機能を利用するにあたりネットワーク接続は不要だが、AIやソフトウェアのアップデート、追加機能の実装、サービス拡充に向けたデータ取得を行うために、当初からSeekerにはネットワーク機能を備える計画だった。
しかし同社は「組み込みソフト開発や基板設計、制御、マイコンの立ち上げ領域は得意だが、ネットワーク分野はあまり得意ではなく対応が後回しになっていた。また他にも、事業そのものや認知度の拡大、資金という部分でも課題を抱えていた」と和田氏は当時を振り返る。
そこで問題解決のためにマリスが活用したのが、NTT Comのオープンイノベーションプログラムの「ExTorch(エクストーチ)」である。ExTorchは、社内の事業部と注目のスタートアップをマッチングさせて新規事業や新たなサービス開発につなげるための枠組みで、もともと接点があったNTTの研究所からExTorchを紹介されて応募し、採択された形となっている。
共創パートナーであるNTT Comの堀氏は、同社が提供しているデータ利活用基盤「Smart Data Platform(SDPF)」のデータ収集パートであるモバイルのサービス企画を担当している中で、「SPDFのサービス群とスタートアップの尖った技術を組み合わせることで、新しいユースケースを見つけ、よりよい未来とマーケットを作り出したいとの思いでExTorchのオープンイノベーション活動に参加した」と経緯を語る。
「九工大を含めた3者の共創により、産学連携による強みの掛け合わせと弱みの補完で、今までできなかったことを実現する。それでも足りないところは新たなパートナーを探したり、エコシステムを構築したりしていくことで、最終的に良いものを作れるというコンセプトで共創プロジェクトを進めている」(堀氏)
共創を成功させるために、まずは事前に各社のMVV(ミッション、ビジョン、バリュー)を作った上で、それらを包含する形で「より良い世界・未来のために、障がい者・健常者の壁(区別)が存在しない社会の実現」という3者共通のミッションを策定した。
その上で、新たに3者でSeekerのビジネスモデルとロードマップをバックキャスティング志向で検討。ゼロイチのマーケット作りから開始し、5年間で100倍のビジネスにまで成長させるという絵を描き出した。
「第一段階では、視覚障がい者が自立して安全に歩ける世界を実現する。第二段階でネットワークとつなぎつつ、遠隔から無線通信を利用してデータを送受信できるOTA(Over The Air:オーバー・ジ・エア)技術も活用し、視覚障がい者のみならず、聴覚障がいやペースメーカー使用者、高齢者などの用途に合った機能を遠隔でアップデートできるようにする。その際に、SeekerとSDPFを使って、健常者も含めたマルチモーダルコミュニケーションを実現し、10億円程度のビジネスを目指す。最終的に、デジタルツインコンピューティングやスマートハウスへの適用、開発した危険回避AIをアプリとして他のシステムにアドオンするなどで、海外市場も含めて100億円のビジネスに成長させたい」(堀氏)という。
Seekerの開発にあたっては、これまでに山梨県と福岡県で実際の交差点で信号を渡る実証実験も行い、それぞれ利用時の通信速度や試作デバイスのデザインに関する評価を実施した。また、「国際福祉機器展2024」や「CEATEC2024」に出展し、視覚障がい者から高い評価も得られているという。この1年でNTTファイナンスからの出資を受けて、より省電力でAIの能力を高めるためにチップも変更し、試作品として完成のレベルに到達している。
「すでに技術検証は終わり、これからは量産設計のフェーズに入る。現在、株式投資型クラウドファンディング『FUNDDINO』での資金調達を準備中であり、2025年5月中の実施を予定している。具体的な開始時期や詳細情報については、決定次第マリスのホームページ等でお知らせする予定だ。また、その後2025年9月頃には、CCC(TSUTAYA)グループのグリーンファンディングにおいてもクラウドファンディングの実施を計画している。これらの調達を経て、2025年後半には視覚障がい者向けに製品を届けられるようにしたい。」(和田氏)
販売価格は、デバイス一式で20万円超になるとのこと。安くはないが、厚労省の日常生活用具給付等事業を活用することで、利用者の負担は10分の1程度に抑えられるという。
また、今後の展開についても、すでにサービスの第二段階以降の取り組みに向けて、モビリティ企業との間で実証実験をする話が進んでいるとのこと。「実証実験は夏前にも実施したいと考えている。視覚障がい者の自立歩行支援以外の事業を拡大させる取り組みについても、量産開発と並行してできる範囲で進めていきたい」と和田氏は語る。
一方、堀氏は、障がい者同氏や健常者間でのダイレクトコミュニケーションを視野に入れている。特に視覚障がい者と聴覚障がい者が会話をする際には、視覚障がい者の話を健常者が聞き取り、それを手話で聴覚障がい者に伝えるという多段階のコミュニケーションをしている状況を目の当たりにし、それを改善したいという思いが強まっていると話す。
「Seekerに音声認識やカメラで手話認識機能を付けて双方のエッジで変換すれば、異なる障がい者どうしで直接会話ができるようになるし、それをSeekerアプリで健常者が直接理解できるようにすれば、今までにないコミュニケーションを実現できる。その際にはNTT Comのネットワークサービスも生きてくるし、利用者が増えてデータが溜まり危険な場所を抽出できれば、安全な場所を歩けるようにナビゲートすることもできるようになる」(堀氏)
Seekerの共創プロジェクトは、お互いのアセットの掛け合わせて高品質なプロダクトやサービスを作り出し、社会課題の解決を目指す取り組みとなっている。その際にテーマが福祉系だからといって決してボランティア的な成果で満足するのではなく、ビジネスとして大きく成長する活動を目指している。実際に世界の視覚障がい者は2億人以上で、視覚障がい者向け機器・サービスの市場は年間15%で成長しているとのことであり、可能性は十分にあるといえるだろう。より大きなうねりを生み出していくために、現在「更なる共創相手を募集している」(和田氏)という。
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