Dell氏とJobs氏は何年にもわたって競い続けたが、その間も友人であり続けた。1997年10月下旬の業界会議におけるDell氏のある発言により、同氏が「Appleの大敵」と見なされるようになった後でさえそうだった。当時Jobs氏は、Appleに戻ってわずか数カ月であり、会社を財務的に軌道に乗せようとしていた。
Dell氏は、もしAppleのCEOだったら再建のために何をするかという質問を受けた。2回にわたって回答を避けた後、とうとうDell氏は不満げに回答した。「どうするかって?会社をたたんで株主に金を返すさ」。Dell氏はこの発言について、「愚か」で「プロ意識に欠けた」ものだとしている。
この発言は広く知られるところとなり、Jobs氏は明らかに立腹した。Dell氏は以下のように綴っている。「彼は私にこのような電子メールを送ってきた。『CEOは品位を持つべきだ。君は違う意見だということが分かった』。それを見て彼に電話した。私がどのような文脈でその言葉を発したのか、その時どんなことを考えていたのかを説明した。彼に異論はなかった。彼は納得したように見えた」
しかし、数週間後、Jobs氏は自身のチームをやる気にさせるためにDell氏の発言を利用した。Jobs氏は、Appleの新しい受注生産の製造および流通システムとオンラインストアを売り込むための企業イベントを開催した。同氏は背後のスクリーンにDell氏の大きな写真を投影し、Appleの従業員から「大きなブーイング」を引き出した。Jobs氏はDell氏を挑発に利用し、同氏は「失礼」であり、Dellが受注生産の先駆者であったことを考えると、根本的にはAppleの取り組みに嫉妬しているとチームに伝えた。
これらの話に関する現在のDell氏の考えは次の通りだ。「Steveが亡くなり、究極的な成功を収めたAppleと大成功を収めたDellが平和的に共存している現在では想像し難いが、iPhone登場の10年前、Appleは本当に弱者であり、生存のために闘っていた。われわれにも何度か分岐点があったのと同様だ」とDell氏は書いている。「同社について、『トラブルに苦しむ』や『破産寸前』などのフレーズがない言及を目にすることは少なかった。そのため、当時Steveは闘志に満ちていた。彼は軍隊をけしかけるための大敵を必要としており、私たちがそれだったということだ。たとえAppleとDellが実際には比較できる関係にはなかったとしても」
「私が彼の立場でも、ほぼ同じようなことをしただろう」とDell氏は筆者に語り、「Play Nice But Win」の内容について次のように補足した。「立ち上げた会社が生き残りをかけて闘っている時は、必要とあれば何でもするものだ」
AppleとDellのライバル関係は、それが現実にせよ架空にせよ、両者の友情を妨げることはなかったとDell氏は筆者に語った。「物事を動かすには、夢想家と理想主義者が必要だ。つまり、未来がどうなるかについて途方もない困難なビジョンを持っている人々だ」
この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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