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“中華圏”で活躍できる日本人のロールモデルに--深センにたどりついた究極のジョブホッパー

藤井涼 (編集部)2019年07月27日 08時00分
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 世界最大のモノづくりの街として、中国のシリコンバレーと呼ばれるまでに急成長した先進都市・深セン。テンセントやDJI、ファーウェイなど、中国の名だたる大手企業が本社を置くことからも、いかに同市が重要な市場であるかが伺えるだろう。

 深センには、中国全土からチャイナドリームを夢見た若者が集い、平均年齢も32歳と日本よりも10歳以上若い。しかし、生活やビジネスシーンでは中国語でのコミュニケーションが中心で、深センのあらゆる場所で使えるスマホ決済「WeChatPay」「Alipay」も、中国の銀行口座がなければ使えないため、日本人がビジネスを展開するにはハードルが高い都市だ。そのため、約1500万人の人口のうち、日本人はわずか約5500人しかいないと言われている。

川ノ上和文氏
エクサイジング創業者の川ノ上和文氏

 そのようなアウェーな環境にも負けず、現地で野心的にビジネスを展開する日本人がいる。産業視察ツアー、現地でのビジネスネットワーク開拓、新規事業開発支援を行うエクサイジングを深センで創業した川ノ上和文氏(33歳)だ。

 同氏は、ドローン・エアモビリティ特化型ファンドであるDrone Fundの出資先でもある日本のドローンスタートアップ企業、エアロネクストの深セン拠点の代表も兼任する。というのも、エアロネクストの深セン進出のきっかけを作り、支援をしてきた立役者こそ、中華圏のドローン産業事情に精通する川ノ上氏だった。

中国を軸にジョブホッパーの日々

 川ノ上氏が、深センに辿り着くまでの道のりは長く、そして非常にユニークだ。

 話は10代まで遡る。高校時代に陸上部に所属し、長距離走などでよく怪我をしていた経験から、高校卒業後は米国でスポーツ医学を学ぼうと考えていた同氏だが、ある日、鍼灸を治療に使っているスポーツトレーナーがいることを知り、中国医学に興味を持ったという。

 ただ、当時は米国に行くか、中国に行くか迷っていた。そんな彼の進路を後押ししたのは意外な人物だった。「語学の専門学校の作文コンテストで選ばれ、ニューヨークで活躍する日本人にインタビューする機会があったが、その相手の1人が野球選手の松井秀喜さんだった。彼から『メジャーリーグでは結構、東洋医学を取り入れている選手も多い』と言われて、中国に行くことにした」(川ノ上氏)。

 この出来事をきっかけに、20歳の時(2006年)に北京に留学し、その後現地の中医薬大学に合格。しかし、卒業までに5年かかるほか、資格が国際化されておらず、卒業後の勤務地が中国国内に限定される可能性が高いことから、次第に「20代という貴重な時期にもっと多くの経験を積みたい」と感じるようになり、スポーツ医学の道に進むことを一旦保留し、進学せず帰国。帰国後は地元・大阪のメーカー下請け工場で派遣社員として働くことにした。

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 しかし、その後も同氏は中国との接点を何度も持つことになる。

 工場での派遣社員を1年ほど続けていた川ノ上氏だが、より外国語を使える環境に身を置きたいと思い東京に上京。整体師の求人を見つけ、勉強会に行ったことをきっかけに創業者と親交が生まれた。その後、中国滞在の経験や語学力を評価され、日系整体店の上海店舗の立ち上げメンバーとして声をかけられ、23歳の時(2008年)に現地へ行き、店長として店舗運営を任された。

 整体店での仕事にはやりがいを感じていたが、どうしても肉体労働が中心になり、「現場に入るだけじゃなく、ビジネスの仕組みを作る方にも幅を広げることで、可能性が広がる。そのためにはもっと学びが必要だ」と感じ、再び帰国。

 ソフトウェアテストエンジニアや国際輸送の関連会社、国際会議の設営会社などを転々としながら、自分が本当にやりたいこと、自分の適正は何なのかを考え続ける日々が続いたという。

“中国語”で活躍する日本人が少ない

 転機が訪れたのは、25歳(2010年)の時。仕事をしながらオンラインビジネススクールであるBBT大学(ビジネス・ブレークスルー大学)を受講していた川ノ上氏は、同校でさまざまなサークルを作り、イベントプロデュースなどをしていた。その中で、北京に拠点を置く留学サポート・教育企業の役員と出会い意気投合。同社のパートナー企業にインターンシップとして入り、今度は北京で日本人留学生の生活サポートや、中国赴任した日本人の研修プログラムを企画運営することになった。

 「当時、企業から駐在員として中国に派遣される人は、中国への理解度が低い人が多く、中国の方との信頼関係構築がうまくできておらず、マーケットが開拓できていなかった。そこで、中国の40都市をバックパックしていた経験なども生かして、中国各地の地理や産業、文化風習、この言葉を使えば心を掴めるといった現地のキーフレーズや特産などを中国人スタッフとコンテンツ化し、講座として教えた」(川ノ上氏)。

 その後、この北京の企業が日本国内で中国語スクールを展開することになり、2014年にプロジェクトに参画。北京からネイティブスピーカーを呼び、講師のサポートや受講者の相談役、営業などを担っていた。法人向けには当時急増した中国人旅行者向けのインバウンド接客講座などを開発し、自らも講師として出向いた。しかし、当時はまだ今ほど中国マーケットが注目されておらず、ビジネス目的での生徒数は思うように伸びなかったという。

日本国内の中国語スクール時代
日本国内の中国語スクール時代

 どうして、日本人ビジネスパーソンは中国語を学ばないのかーー。この疑問に対して、川ノ上氏は、中国において日本人のロールモデル、特にビジネス領域の参考事例が少ないからではないかと考えた。「サッカー選手の本田圭佑さんや、俳優の渡辺謙さんなど、英語圏には日本人スターもたくさんいるが、中国では卓球の愛ちゃん(福原愛)くらいしか聞かない。そこで中国語を使って自分の道を切り開いている人をインタビューすることにした」(川ノ上氏)。

 そうして、中国語を生かして中華圏で活躍している日本人をインタビューしてまわった川ノ上氏だが、次第に「自分自身がそのポジションにつけばいいのでは」と思うようになっていった。

 そこで、中国語話者であり、留学や就労経験を持ち、かつ日本人としての観点を持つ人材のバリューが高まるエリアはどこか、と中華圏を中心に渡航先を考え最終的に台湾を候補に選び、2015年1月に現地へ向かった。台湾には行ったことがなかったが、1週間ほど各地を回り「生活環境がよく、自分の人材価値が評価されそう」と感じ、現地でワーキングホリデーを始めたという。

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