リアルタイムに回帰するwebメディア

川井拓也(株式会社ヒマナイヌ 代表取締役 クリエイティブディレクター デジタルハリウッド大学院専任教授)2011年06月26日 07時00分

既存メディアの未来は暗い

 更新頻度という面から既存メディアとwebメディアを比較してみれば、既存メディアがいかに不利か明確になる。たとえば、月刊誌はマンスリー、週刊誌ならウィークリー。ブログであれば、ほとんどがウィークリーと言っていい。mixiになればデイリーだろう。

 しかし、twitterはさらに早く、数秒、数十秒ごとに更新され、情報が飛び交う。朝のニュースは、夕方にはすでに古く感じてしまうほどで、夜のニュース番組を見ても「全部知ってるよ」ということになるわけだ。言い換えれば、テレビというのはすでに知っている情報を映像としてまとめてくれているメディアなのだ。少なくともネットネイティブの人間はそう感じているだろう。

 ネットに親しんでいない人にとっては、テレビはもっともよく接するメディアであり、それを見て育ったわけだから、テレビと一緒に老いていくのだろう。同じように、PCで育った人は最後までPCとつき合おうと思うだろうが、携帯やスマートフォンなどのモバイルで育った若い層は、PCでさえオヤジ臭いと思っている。

 それは世代の話であるから、何がいいとか悪いとは言えないが、今後新聞、テレビは確実に衰退していくのは間違いない。

 一方、1時間当たりのメディア接触数で見れば、やはりマスメディアのほうが優位である。地上波のNHKが1時間当たり数千万人、BS、CSは1時間数百万人~数十万人ほどになる。

数十万人という単位まで下がれば、USTREAMやニコ生などのソーシャルメディアもアプローチできる規模と言える。たとえば宇多田ヒカルの2時間のライブを視聴したのは累計30万人。1時間当たり数十万人というのは射程範囲に入っている。十分なポテンシャルを秘めているのである。

 また、テレビとの大きな違いは、前のめり感にある。テレビは、寂しいから何となくつけているということが多いが、webメディアの場合は端末に向かってキーボードを操作するという、能動的な姿勢が特徴である。 しかし、そんなwebメディアでも、必ずしもモニターの最前面で見ているわけではない。とりあえずおもしろそうなサイトにアクセスして、バックグラウンドに送ってほかの作業をしていることもある。その意味では、ラジオの使い方に似ていると言える。

 だから、ライブメディアも新鮮さは薄れ、我々を驚かせる時期は終わっていると言っていい。

 次の段階としては、普段からtwitterやmixiを見ていない人たちにどうアプローチするかが課題だろう。物理的には全世界に到達できるメディアであるが、それを見るスキルが複雑であることが障害ではある。たとえば、QRコードのようなものに携帯をかざせばすぐに見られるようになればいいだろう。

 さらに、画質の向上や3D対応、映像の中に埋め込むリンク、何万人が同時視聴しても落ちないなど、技術的なイノベーションも必要だ。

 テレビの情報は一方的に押しつけられるが、若い層は情報をwebで収集している。自分が興味のある情報だけにアクセスするため、情報に偏りが生ずる。その意味では、世界が狭まっているとも言える。

 たとえば、アマゾンで本を買うと「この商品を買った人はこんな商品も買っています」と、興味の対象が1点に集中してしまうが、実際の書店へ行けばあらゆるジャンルの本が並んでいる。

 嗜好性を結集する機能、サービスは多数あるが、これから必要なのはその逆なのかもしれない。「これが好き」という入力に対してまったく逆のリストを提示する、なんてこともあっていいのではないか。

情報の民主化で見えてくるもの

 既存のマスメディアだけに解放されている記者クラブに対抗して、フリーのジャーナリストらが中心となって自由報道協会が設立された。それが力を持ってくれば、また新たな派閥が形成されてしまうが、我々は両方の意見を知りたい。たとえて言うなら『アエラ』を読みながら、こっちで『サピオ』も読む、みたいな。

 本来、メディアというのは権力を見張るためのものであるが、メディア自体が権威になってくると意図的な編集や印象操作が目につくようになる。しかし、ネットの普及で豊富な情報ツールにアクセスすることができるようになり、マスメディアの偏向ぶりに気づくようになった。USTREAMは映像メディアによるブログのようなものであり、編集されていない今の状況が中継される。視聴者がそこから何を読み取るかは自由。それは見る側のメディアリテラシーを向上させる効果もあるだろう。

 また、話題になっていたり、議論になっているテーマをまとめるサイトも注目されているが、編集している人間の志向でどのようにも文脈を変えることができる。そこに偏向が生じてしまうから、それを防ぐための新しい技術も必要だろう。

 ネットの利点として、これまではいつでもどこでも必要な情報にアクセスできるという面がクローズアップされてきたが、リアルタイムの映像メディアに注目が集まっていることも興味深い。なぜ、わざわざ今という時間を割いて中継を見たり、イベントに集まるのか?

 「そらのちゃん」の功績により、その場をそのままネット生中継することを「ダダ漏れ」と言うようになった。要は、中継用に作り込んだものではなく、本来はクローズしていたものをネット生中継することを「ダダ漏れ」と言うが、「今」という編集できない時間をそのまま伝えることと言っていい。

 視聴者はそういったナマっぽいものを求めているのだ。そういった時代の空気がある。

 そう考えると「ダダ漏れ」の特徴は、ジュースの成分表示でいう「無添加・無農薬」ならぬ「無添加・無編集」と言える。この「ダダ漏れ」現象をメディア論的な観点で再定義し、「オーガニックメディア」と呼んでいるが、直訳すると「有機媒体」ということになる。

 「オーガニックメディア」には編集の必要がない。編集という概念はもっと根本的なところに戻っていくと考えてもいい。何を中継することがおもしろいのか? どういうリアリティーを伝えるのか? といった素材の選択が編集である。

 twitterを見ればわかりやすい。タイムラインは人によって違う。誰をフォローしているかで内容や流れはまったく変わってくる。twitterでは「誰をフォローするか?」は「どんな雑誌を購読するか?」と同義なのである。 USTREAMでもそれはまったく同じ。「あの人が中継するものはおもしろい!」「あの人が中継する対象に興味がある!」と、番組ではなく中継者にファンがつくのである。

 顔を知ってもらいたい職業や場所を認知してもらいたいビジネスにとって、ライブメディアを活用することこそが決め手になるだろう。人間は頻繁に見ているものにシンパシーを抱く。中継者が動いてしゃべっている息づかいを視覚的に見ているから、視聴者はシンパシーを感じやすいのだ。

 ライブメディアのために何か新しく作らなくても、たとえばレストランでいつも作っている料理の調理過程を中継してもいい。すでにやっていることを見せることでシンパシーを抱いてくれるものだ。

*この記事はキャビネッツドゥロワーズ「The Social Insight Updater」からの転載です。

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