ついに購入!一週間使い倒してみたiPod記 アップルコンピュータ iPod (MA079J/A) - (page 2)

Apple
MA079J/A, M9830J/A
内容:今回のiPodは、カラー表示をスタンダードとしたものであることは、すでにご存じの通りだ。このカラー液晶にどのような価値があるのか、かつてのMacintosh ClassicがMacintosh Color Classicに変化したときのように、感動があるのだろうか。カラー化によってもたらされるiPod文化とは何かを考えつつ、新iPodを使用しながら、製品レビューを行いたい。

極私的一週間使い倒してみたiPod記

 わくわくどきどきしながら、待望のiPodを入手し、自宅でiBookに接続したまではよかったが、残念ながら全てiPodに転送するには容量が足りなかったようだ。やはり60GBにすべきだったかという考えが脳裏をよぎるが、厳選し18GB(20GBモデルといっても実質容量は18.5GB程度)を手動でiPodに転送し、個人的には大満足のライブラリができたと悦に入っていた。

 次に、初心者の無知からなのだが、iBookにあった音楽データのうち、iPodに転送したものを削除。これでHDDの空き容量は軽く20GBオーバーとなった。HDDが空くというのは非常に精神衛生にもよいもので、仕事の効率もよくなるから不思議なものだ。

 ところが悲劇はここから始まった。その後新たに読み込んだ音楽ファイルがあったために、再び、iPodに転送をしようと考えた。iPodを接続し、iTunesの環境設定を見ていると、自動でアップデートするという項目があるではないか。これは、iBookのiTunesファイルとiPodのファイルを比較し、新たにiTunesに増えたファイルを自動的にiPod転送してくれるものだと勝手な解釈をし、チェックをオンにして、環境設定を閉じた。ところが、ふとiPodのライブラリを見ると、下に表示されるiPodの空き容量が17GB近くになっているではないか!

 つまり、iTunesのデータフォルダーはiPodとは別に必ず確保しておかなければならないということ。時すでに遅し──18GBを消去してしまったのだ! こうなってくると、不思議に笑いしか出てこないものだ。数日かけて、いくつかのバックアップから、いくらかを 復帰させたものの、iPodに対する考え方が変わってきた。

 仮にiPodに18GBの音楽ファイルが入っていてもそれをiTunesのように自由にプレイコントロールができる訳ではないことに気付いた。

 あれこれiPodに音楽ファイルを入れたことで、次に何を聞こうか、ダイヤルをぐるぐるしている内に、時間が経つ。何日分もの音楽を持ち歩いたとしても、意味がないということが分かってきたのだ。

 その時に、思い出したのが、環境設定に指定したプレイリストを自動的にアップデートという選択があることだった。つまり、iPodは音楽のデータを管理するものではなく、必要な音楽ファイルをプレイリストで管理するものだという思考の転換を図ったのだ。だからこそ、HDで音楽ファイルを管理するということが、あるべき形なのだろう。

 外付けのHDDでiTunesの音楽ファイルを管理するようにし、iPodには用途に応じたプレイリストを転送する、これがiPodの賢い使い方ではないかという気がした。

 もちろん、iPodは大容量だ。残りの容量はデータを持ち運んだり、写真データの管理を行うことができる。音楽だけではなく、iPodは文化を持ち歩けるメディアプレイヤーなのだ。

iPod文化って何?って考えてみた

 筆者はソニーのウォークマンの初期型を発売当時購入した口だ。大学生の頃、3万円ちょっとを叩いて、あの青く四角いウォークマンを手に入れた。それまでステレオという室内でしか聞くことができなかった音楽が、いつでもどこでも聞くことができるという感動は、当たりの風景が一変して見えるように強烈だった。

 音楽を持って街に出るという行為は、各個人の持っている感性を維持したまま、日常的な体験を個人文化で脚色をするような体験だった。音楽を解き放つ力をウォークマン文化は創造したといえる。

 そこで、iPodである。通常の音楽プレーヤーとは容量も昨日も一線を画して今日も独自の路線を突き進むiPodのもたらした文化とは何か。もちろんPSPやその他動画再生を売り物にしている製品もあるが、iPodとの違いはそのスタイルとデータの扱いではないかと感じる。OS9までのMacは拡張子を意識させないでさまざまなデータを扱うことができた。これがWindowsとの大きな違いだったように思う。これから操作するのはテキストなのか画像なのか動画なのか、それを考えさせずに感覚的に操作できたからこそクリエイターにMacは支持されたのだと思っている。

 iPodで音楽を持ち歩くこと、これは当然のこととして、音楽再生しながら思い立ったときにそこに取り込まれているテキスト、画像、ポッドキャストを必要に応じて取り出す。その時に、iPodは何をするということを意識させない。さまざまなデータを組み合わせて体験する中から新しい発想、ひらめきが生まれている。これがipod文化なのではないかという気がしてきた。

 さらにいえば、ポッドキャスティングにさらなる可能性を感じざるを得ない。ポッドキャスティングは誰もが利用することができる情報発信ツールなのだ。個人が発信するのポッドキャスティングは爆発的に増加している。現段階では音声による配信のみだが、これが画像のスライドあるいは動画表示まで可能となることが予想される。ブログ人気が爆発したが、この延長線上にポッドキャスティングがあるように思う。そのポッドキャスティングを意識することなく、ハンドリングできるのがiPodなのだ(iTunes以外にも利用する方法はあるが煩雑さはiTunes&iPodの比ではない)。

 Culture to Go! これがiPod文化のコンセプトなのではないかと、iPodユーザーとなった筆者は思いを強くしたのだった。

 願わくば、液晶画面がもう少し大きくなり、PDFを読むことが可能になり、動画の再生が可能になることを期待したい(「Newton」のコンセプトにiPodは近づいていくことを望む自分に気が付いたのは、私だけではあるまい)。

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