最強のビジネスモデルは「鳥山明型」--大阪発、世界目指すソフト開発ベンチャー - (page 2)

文:小林 ミノル2007年05月09日 17時39分

弱小者が勝てる唯一の必殺技

 1975年生まれの村上氏がプログラムに興味を覚えたのは小学校4年の頃だ。MSXやファミリーベーシックに触れながら、「MSXファン」に投稿するマイコン少年だったという。大学も情報学部に所属していたが、本当に鍛えられたのは会社に入ってからだった。会社員時代は、プリンタドライバ、MP4カメラ、液晶プロジェクタ、USB関連のドライバなどの開発に携わっていた。

 「会社に入ってから、偉い人にいっぱい鍛えられました。大学の頃は自分が最強だと思ってたんですが、メーカーに入ったら自分が“ヤムチャ”(鳥山明原作の『ドラゴンボール』に出てくるキャラクター)だったことに気づかされたんです。まわりには、自分より全然強い“フリーザ”(同)がいっぱいいて、いじめられました。会社には5年間在籍してたんですが、そのおかげで”天津飯“(同)ぐらいまでには鍛えられたんじゃないですかね(笑)」

 起業のきっかけは退社後に経験した1年間のオーストラリアへのワーキングホリデー。2003年にバックパックとレッツノートだけで放浪しながら、無人島での自然保護、ファームステイなどを体験しつつ、システム開発やHPの作成などもしていた。帰国後には、オーストラリアコンピュータ協会から推薦状をもらって永住権も手に入れた。

 「最初は、転職しようとしたんですね。でも、日本でも海外でもやっていることに変わりはないんですね。結局、『2ちゃんねる』を見て『秀丸』を開いてポチポチとソフトウェア開発をやるわけじゃないですか。ということは、ほかのメーカーに就職しても変わらないんじゃないかと。

 “じゃあ”と思って、会社を起こしたわけです。親には泣いて反対されましたけど。僕もいちおうエンジニアですから、ダメなら派遣会社にSEとして登録すればいいし、それもダメなら、コンビニで働けばいい話だし。でも、起業したら、すぐに受注がモリモリ入ってきて、忙しかったですね」

 「一番乗りこそ、弱小者が勝てる唯一の必殺技なんですよ」と語る村上氏。社員を急激に増やすことは考えず、付加価値の高いものをつくって世の中に提供することの方が、はるかに大事だと考えている。

 「基本的には“What I want”でやっています。やりたいことを、やりたいように、そこはかとなくつくって世の中に貢献するのが、エンジニアの役割じゃないですかね。前の会社で教えられたことは、『モノをつくるまえに人をつくる。いいものをつくって世の中のために頑張る。適正な値段でものをつくれば、世の中のためになる。そうすると、みんなが儲かり、みんなの給料も上がる。いいことや』ということなんです。別に金のためだけにやってるわけじゃないんです。『映像や漫画やゲームのテクノロジーをつくって、世の中に出したらおもしろいんじゃないの?』という気持ちが、先ですね、最近の起業家が、“金、金”って言うのを聞いてるとちょっと鬱になるね。『AERA』の表紙は飾りたいけど(笑)」

 現在、新技術を売り込むために、東京のコンテンツ会社に営業する毎日だという。正直、エンジニアであるため営業や交渉は得意ではないが、今後もアニメやゲームなどコンテンツ関連のシステムを中心に「やりたいことをやって、世に出していく」という姿勢には、1ミリのブレもない。

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