すべての事象には、善きに導く「本質」が存在する(第7回:佐藤光紀) - (page 2)

--何事もそつなくこなして来た佐藤さんに大きな転機が訪れたということですが、入社当時はどのような仕事を任されたのでしょうか?

 1996年の中頃に内定がでると、すぐさま内定者アルバイトをしました。アルバイトとして当時の営業マネージャーについたその日に、今月の受注目標持たされて「はい、よろしく!」と。「えっ?よろしくって何が?」と渡された商品は、人材のサービスで1枚ペラの紙でした。

 その頃の求人募集の票は各社バラバラだったんです。セプテーニはそのフォーマットを統一化する変換サービスを持っていました。めちゃくちゃニッチなビジネスけれどね。当時のセプテーニにとっては凄く大事な収入源だったんですよ。その名も「求人票らくらくシステム」。

 これをペラっと1枚、電話とペラ1で「よろしく!」ですよ。しかも僕学生ですからね。一方でバンドやっていたでしょ。テスト期間のときは、試験、試験、空いた時間に電話ボックスでテレアポ、夕方から出社みたいな。

--それまでの佐藤さんは鼻柱の強いツン!とすかしたイメージだったと思うのですが、それまでとは180度違う泥臭いことをやることに抵抗はありませんでしたか?

 昔からすかしていながら実は内面では、そんな自分が好きではなかったんです。望んでやっている反面、目指したい姿とは違うと常に思っていましたね。

 そう思う中で、泥臭い事をやるということは成長していく上で、とても大事なことだと思いました。また、小さなベンチャー企業の中で、会社経営の現実を目の当たりにして、経営者の目線で、会社の本質を思考しましたからね。「会社とは何だ?」「ビジョンや企業文化って何だ?」「増収増益で成長するためのプロセスは何だ?」と。

--人は変わろうと思っても実行に移すことは簡単ではないですから、自分が成長して行く実感が得られることはとても素晴らしいことだと思います。成長する過程で壁にぶつかることはよくありますが、佐藤さんの場合はいかがでしたか?

佐藤氏 「昔からすかしていながら実は内面、そんな自分が好きではなかったんです。そう思う中で、泥臭い事をやるということは自身の成長の過程でとても大事なことだと思いました」

 自分の営業スタイルを確立してプレイヤーとして稼げるようになると、昔のすかした自分がまた出てくるわけですよ。大企業に首をつっこんだ時に感じた「人の敷いたレールを歩くのはつまらない」という思い。自己の成長という目標達成のためにやっているわけで、ある時点で目的を達成してしまうと飽きてしまうんですよ。

 粗利で1億というのが最初の目標で、これを達成した時に空虚になってしまったんですね。求人システムもDMの発送代行のサービスも僕がつくったサービスではない。七村社長(現在は会長)に相談を持ちかけて、会社を辞めて自分で何かやるか、社内でやるかという選択の場になったんです。その時は、セプテーニとしても事業を変換する時期にさしかかっていましたから、僕の目的と会社の事業変換の時期がマッチした。これも巡り合わせですよね。

「迷ったら原点に戻る」

--佐藤さんが一人で任された新規事業。ここに「ひねらんかい」の原点である「ひねらん課」が誕生するわけですね。当時は試行錯誤だったと思いますが、詳しく教えてもらえませんか?

 「ひねらん課」は僕が社内で新規事業をやろうと決めた1999年の4月に誕生しました。部下もおらず机とPC1台でスタートして、社長から「6カ月以内に何をするか決めろ!」というルールだけがありました。

 「はてさて何をやろうか?何をすればいいのか」という本質を考えましたね。何十個も事業を考えて行くうちに、どうも自分のアイデアには軸がないことに気づきまして。何事も軸をもって、そこに肉付けをしなければいけない。さらに高い所に目標をおけないと、また自分が飽きてしまったらまずいなという思いもありました。

 飽きない軸をつくろう。基準をつくろう。その基準を満たしたビジネスをやろうと。ふと、このセプテーニという会社の原点に立ち返りました。7人ではじめて7つグループ会社を作るということで会社として「7」という数字にこだわりがあるので、僕もそれに習い7つの基準をつくりました。以下がそれです。

1.自分がやりたいこと

2.会社としてやるべきこと

3.誇れる仕事であること

4.成長市場であること

5.儲かること

6.1番を目指せること

7.優秀な人材が集まる事業であること

 これらの軸をフィルターにして、それまでに考えついた事業を濾過していくと、7つすべてを満たす事業が2つだけ残りました。その1つが「インターネット広告事業」。もう1つは「グルメコーヒー事業」だったんです。

 どちらも素晴らしいので、迷いましたね。「どうしようか?」と思案する中、そこで自分が描ける経営計画のトップラインを計算してみました。インターネットは最低でも1000億いける。グルメコーヒーは100億から300億。なら1000億を目指そうということで「インターネット広告事業」に決めました。正直、インターネットと決めるまで、パソコンに触ったこともないんですけどね(笑)。このように方針を決めたのが、1999年の9月。ちょうど与えられた期限の最終月でした。

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