北城恪太郎氏--「オープン志向の挑戦が企業を強くする」 - (page 2)

インタビュー:末松千尋(京都大学経済学部助教授)
構成/文:野田幾子、写真:吉成行夫
編集:山岸広太郎(CNET Japan編集部)
2004年02月19日 10時00分

多種多様な人間と創意工夫から生まれるイノベーション

末松: オープンな基準を取り入れて会社が発展していくという方向を採用したということでしたが、逆に、ひとつの会社がすべてをクローズにして支配できるというようなことはもうないのでしょうか。

北城: ある小さい領域ではそういうこともあるでしょうが、多くの人たちが利用するような分野では一社で全部を作ろうという発想自体が既に無理だと思います。最近では「ユビキタス」といった言葉もあるように、いろんな機器がネットワークに接続されたりOSを利用するようになったけれど、仮にひとつの会社だけで開発したとしても、イノベーション……つまり新しく創意工夫をする力には勝てないと思うんですよね。

 私は、イノベーションとは大会社だけから出てくるものではないと思っています。日本の場合はほとんどのイノベーションが大会社や大学、研究所から出てきていて、ベンチャーからはほとんど見かけない。アメリカで成功しているものを日本で紹介し、会社を上場して利益を上げたいというベンチャーはたくさんあるけれど、これで業界そのものを変えようという大きな夢や志のあるイノベーションはあまり出てきていないのではないかと。

 しかし、日本ではベンチャーに挑戦するリスクの障壁が高すぎて、参入そのものをためらってしまうという背景もありますよね。社会的な信用がないといいものを作っても大企業が買ってくれないし、そもそもベンチャーに挑戦する人たちへは社会からの尊敬が少ない。経営そのものもコーポレートガバナンスがあまり効いておらず、外からいろんな人が参加して経営を指導したり支援する仕組みにはなっていません。それに、創業者のリスクマネーが集まる税制にもなっていない──あらゆることで創業が難しくなっているのが現実だと思います。

末松: 「あうん」の呼吸でコミュニケーションを取っていたこれまでの日本企業は、社内の取引コストが非常に低く、その中で効率的な生産活動やイノベーティブなこともやってきましたよね。その時点ではそれでよかったかもしれませんが、インターネットによって外部からの資源を低コストで豊富に入手しやすくなったいまでも相変わらずあうんの呼吸を続けているようでは、コミュニケーションが成立しないでしょう。相手の言っていることが理解できないし、こちらの要望もうまく伝えられません。外部からベンチャーがいい技術を持ってきたとしても、採用どころではない。そういった点に関するやり方がおかしいのではないかという意識が、企業側にもう少々あってもいいような気がするのですが。

北城: そうですね。その上で、日本にイノベーションを持ったベンチャーが出てくる必要もあるでしょう。数多く出てくれば、その中にいくつか新しい技術革新を起こす事業家もいるだろうし、大きな夢を持った事業家も出てくる。そこでいい成果が出れば大企業も注目するし、ぜひ協業したい、自分たちの事業部として買収したいというところも出てくるでしょうね。

末松: 私自身、シリコンバレーの企業を数多く見てきましたが、いい企業に共通しているのは「高い能力を持っている人たちが集まってきて、喧嘩もせずにうまくインタラクションしている」ということですね。日本のベンチャーはカリスマとそのフォロワーという構造になりがちなのですが、多種多様な人たちが集まって創意工夫が出てくると、いいイノベーション、いい技術を持つベンチャーが増えてくるかもしれません。

北城: そうですね。日本では残念ながら、大学を含めた高等教育機関にIT技術の最先端の分野で活躍をする人が少ないのではないかと思います。だから既に出来上がったものを受け入れることはできても、最先端の技術開発に参加しているIT技術者が少ない。

 ITの分野では、基礎的な研究と応用の技術が連鎖するところに最先端のテクノロジーが作られます。ネットワークやプロジェクト管理、アーキテクチャ、システム構築の体系作りなど、実際の現場でやっている人のノウハウが必要になります。ですから、アメリカや中国、インドでは、アメリカの大学や研究所と連携することで最先端の分野に触れていますが、残念ながら日本はそうではないので、高等教育でIT関連技術者の育成が十分にできていないのではないかと思います。

 また大学のような教育機関には、評価システムと評価に基づく処遇といった制度が確立されていないため、本当にいい仕事ができているのかどうかがハッキリとは確認できず、ある程度年功序列的なものと研究における上下関係が生き続けてしまっているのではないでしょうか。こういった教育の問題も、生産性の低さや技術革新を志すベンチャーが現れにくい一因となっている気がしています。

末松: オープンという概念は、多様な創意工夫とインタラクションで、世界的にいろんなものを作り出しつつありますよね。Linuxが「まれに見る独占状態だったOS市場に一石を投じるくらいのムーブメントになった」というひとつの成功モデルができたために、そういうものをフォローしようという様々な活動につながっています。

 例えばMITやスタンフォード大学ではコースウェアをどんどん公開しているし、スタンフォードのローレンス・レッシグ教授がクリエイティブコモンズで提唱しているようにさまざまな知財もオープンソース的にやっていこうという動きがある。つまり、みんなが見られる環境を作ってフィードバックによりいいものを作っていこうというという考えは、「オープン」の究極としてのオープンソースに影響を受けているわけです。

 しかし、個人的には日本人が「オープン」という言葉の意味や、これまでのクローズややり方とはどう違うのかを完全に理解しているかどうかが疑問です。どんどん創意工夫モデルが広まってイノベーションが進み、変化が加速していくと、日本は置いて行かれてしまうのではないかという危機感を持ってしまうのですが、「オープン」とはどのように考えればいいのでしょうか。

北城: オープンの定義が一番皆さんに理解されたのはインターネットだったでしょうね。インターネットがほかのネットワークアーキテクチャと比較してあれだけ発展したのは、多くの人たちに開放されていた上、ある基準でネットワークの接続をすれば、ひとつの基準に沿ったルールを押さえてさえいれば、他のメーカーによる機器のことをよく知らなくてもコミュニケーションができましたから。

 日本の場合、イノベーションは日本人の中に限られてしまっているというのが現状ですよね。外からのイノベーションを勉強して取り入れようとはするけれども、日本の中のイノベーションに外部の人たちが参加して発展していくということになると、大学や研究所がもう少しオープンである必要があるし、言葉の上でも海外の人が理解できる言語を使わなければ、発展は望めないでしょう。

日本では、つい大きなイノベーションに目を向けてしまいがちですが、最初からそのイノベーションが本物かどうかはわかりません。ですから、いかに小さな調整を繰り返しながらその中で将来発展しそうな芽を吸い上げ、大きくグローバルに経営する組織力をどう活かしていくかが課題です。

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