Linuxブームは本物か?日本HPに聞く

インタビュー:末松千尋(京都大学経済学部助教授)
構成/文:野田幾子、編集:山岸広太郎(CNET Japan編集部)
2003年12月26日 10時05分

Linuxのプレインストールシステムを積極的に展開しているヒューレット・パッカード(以下、HP)。彼らはLinuxの現状をどう捕らえているのだろうか。日本HPのLinuxマーケティング部長であり、日本Linux協会の理事という立場でもある宇佐美氏に、日本企業におけるLinuxの浸透度や今後の見通しについて聞いた。


日本ヒューレット・パッカード
マーケティング・ソリューション統括本部
Linuxマーケティング部長
宇佐美 茂男 氏

1982年、日本ディジタルイクイップメントへ入社。営業部へ配属された後、社内営業の教育や通信網の高信頼性システムの担当営業を務めた。1998年、コンパックコンピュータとの合併に伴い、同社のテレコム営業部長へ就任。2001年よりソリューション企画本部 Linux推進部長としてLinuxに携わり始める。2002年11月、日本ヒューレット・パッカードとの合併により現職に。日本Linux協会の理事も務める




Linuxブームの「本気度」

末松: いま、日本企業でもLinuxを採用したシステム作りを進めるところがかなり増えていますよね。しかし、そのブームは果たして本物なのか。ユーザーの反応は実際のところどうなのかといったあたりをお話しいただけますか。

宇佐美: 「本物になりつつある」といったところだと思います。例えば19万8000円の「レッドハットエンタープライズLinux」。これまでLinuxをFTPから無料でダウンロードしていた人たちには「どうしてそんなに高いのか」という疑問が大きかったと思うのですが、レッドハットエンタープライズLinuxに付いている1年間の保証とサポート、このサービスに価値を見いだして購入する顧客が増えてきたのです。HPでも、Linuxで構築するシステムで何千万、何億円という規模の案件が非常に多くなった。以前はエンタープライズLinuxの取引があるだけで喜んでいたことを考えると、ブームは本物なのかもと感じるのですよね。

 また、去る9月に行われたLinuxセミナーには、応募枠が300名のところを2倍以上の方々にエントリーいただきました。そのこと自体も驚きだったのですが、これまでと決定的に違っていたのはその客層。以前はTシャツにジーンズという出で立ちの若い方が大半だったのですが、今回はスーツを着ている年配の方、さらに言えば企業の経営決定層の方が非常にたくさんおいで下さったのです。

末松: それはなぜでしょうか。Linuxはコスト削減というイメージが強いから、ITの投資効率を考えるなら導入に関して前向きに議論しようと、IT部門長が経営者と連れ立ってきたというところでしょうか。

宇佐美: ええ、そうだと思います。以前Linuxに興味を持っていたのは主にエンジニアの方々でしたが、TCO(コンピュータやシステムの導入、維持、管理などにかかる費用総額)が注目されてくるにつれ、Linuxは経営層のトップからボトムへと浸透させていく形に変わりつつあると思うのです。特に銀行や通信業界は競合同士の競争が激化してくるので、新サービスをどんどん提案していかないと乗り遅れてしまう。さらにこれらの業界は、莫大な投資をしてきたメインフレームを初めとするレガシーなシステムもたくさん残っています。そこに関するTCOも真剣に考えなければならないのですよね。

 ただし、このLinuxブームが単なる一過性のものなのか、今後成熟していくものなのかはまだ何とも言えません。「LinuxはTCOに効果的なようだし採用してみたい。しかし実のところ、Linuxとはいったい何なのかがわからない……」とういう方がまだまだ多いのが現状だからです。私はIDG主催のLinuxWorld Tokyoのアドバイザリーボードメンバーのチェアも行わせて頂いているのですが、その中で企画したセミナー「今さら聞けないLinux〜初心者向けLinux講座」へのエントリーの多さからもそのことが伺えます。募集人数に対して3倍以上の申込みをいただきましたから。

末松: 現在はまだ「経費を削減できる」というイメージが一人歩きしている状態であり、ブームの先に進むにはもう一段階上に上らないとダメだと。

宇佐美: ええ、「期待はずれだった」と収束されるのが一番怖いんです。Linuxの発展の仕方は、1998年頃に開花したUnixブームと非常に似ているところがありますしね。Unixもオープンだというのが当初の売りで、皆がTCOのために検討しだした。あれから数年経ったいま、もう一度同じ失敗を繰り返してはなりませんよね。ほとんどの企業の経営層から見ると、いまLinuxのレッドハットやターボリナックス、ミラクルリナックスなどディストリビュータの違いは、「BSD系」「System V系」といった系列があるUnixと同じように映っている、そこを非常に危惧しています。ですからオープンソースとは何かということを、企業の経営層やIT部門長の方々にしっかり理解していただかないと。

末松: オープンソースには、「無料」というキーワードも多かれ少なかれ入ってきますよね。その延長線上で知的所有権を開放するという話も出てくる。これまでとはまったく違う新しい概念を持ったものだとも言えますが、ユーザーはどういったところまで理解しておくべきなんでしょうか。

宇佐美: やはり、GPLをしっかり理解すること。これに尽きます。オープンソースとは基本的に「ソフトウェアの倉庫」であり、それをダウンロードして自由に改善(加工)できる代わりに、加工したものは倉庫に戻して皆に使ってもらうという形態が確立されたものだと思うんですね。元にあるところから発展していっても常に原点へ帰る──つまり、設計情報が公開されて改造履歴も見られることのよさを再確認し、「自分たちはこれをどう使っていくか」を考えないと、「オープンソースブーム」にすら至らない「Linuxブーム」として終わってしまう危険性もあると思います。

勝ち残るのは独自のサービスを考えつく企業

末松: オープンソースの、いわゆる「ソフトウェアの倉庫」の中身は基本的に無料で使えますが、それをどう活用するかが大きなカギですよね。製品はモジュールとして自由に組み合わせられますから、インテグレーションやメンテナンスなど、そういったサービス部分の重要度が増してくる。サービスは付加価値や差別性に直結するところですから、ハードのコストしか考えないよりも、戦略的に意味のあるコスト分析へと変わってくるのではないかという気がするのです。

宇佐美: そうですね。経済産業省 商務情報政策局 情報処理振興課の久米課長補佐もそうおっしゃっていました。ハードウェアの価格が下がるにつれ日本のIT業界はどんどん弱体化する、これを活性化させるには筋肉質なサポートサービスに主軸を置いたビジネスをやっていく必要があると。オープンソースのサポートビジネスは今後大きなトレンドになるだろうし、例えば「PostgreSQL」や「Tomcat」のサポートを開始した、といった企業も実際に増えてきています。カーネルまで触れられるエンジニアを育成して新たなビジネス展開をするという考え方も、ひとつあると思うのですよね。

末松: 私はサービスの上流部分が、まだ弱いなという気がしているんです。日本企業はLinuxに投資をしていることはしていますが、「皆がやっているから」という流れではないかと。実際、ムラ社会である日本企業の政治的・感情的な意思決定と、ITを利用するという合理的な意志決定の間には大きな差が生じていますよね。そこでサービスの上流部分が充実してくれば、その差や軋轢が認識されるようになっていくのではないでしょうか。つまり、これまではハードウェア会社に丸投げの構造だったから経営者は実態がつかめなかったし、問題になることすらなかった。しかしサービス部分に関心が移れば、ムラ社会とIT社会の間で生じている軋轢と弊害がハッキリしてくると思うのです。

宇佐美: いまおっしゃったようなことの反省として、Linuxというまったく新しいものを導入する──これは顧客にとって「宗教を変える」と同じくらいのインパクトがあるわけですから、経営者の方々も下に任せっきりではいかないという流れが押し寄せてきていると思います。自らが考えて行動していこうと。

末松: しかし、いまのところはまだ「丸投げして、あとはタッチしない」というイメージが続いています。企業のトップ自身がオープンソースをどう使うかを真剣に考えていかなければ、何も変わらないでしょうね。

宇佐美: そうですね。いまのLinuxブームを、ベンダーやディストリビュータまかせにして動かしているうちは、Unixとさほど変わらないと思います。ロックインされている企業が変わるだけですから。ベンダーにとってはいいかもしれませんが、長期的に見ればユーザーの役には立ちませんよね。

 でもベンダーの立場からしてみると、一社丸抱えのOSに比べてLinuxは、いつ何時「おたくの製品はあまり良くないから他社製に変える」と言われるかわからない怖さがあるのです。逆に「他社のハードを使っていたが、あまりサポートがよくないのでHPに変える」というチャンスが生まれるということでもあります。そういう意味では、一社丸抱えという方法とは異なるサービスに主軸を置き、どこをどう他社と差別化していくかに関するアイデアをたくさん思い付くところが勝ち残るでしょう。

 実は1年前のイベントで、富士通、IBM、NEC、HP、日立などのハードウェアメーカーがそれぞれ、「弊社のLinux戦略」というタイトルで約20分程度の講演をしました。もう、内容は全然つまらないものばかり。なぜならどの会社も話したことが同じだったからです。「ワンストップで行く」「24時間、年中無休のシステムを作る」「ハードウェアの検証ができるコンピテンシーセンターを無料でお使いいただける」……。

末松: これまでの日本企業は、戦略がないのが戦略でしたからね。リスクを取るような資源の集中化がなかったけれど、それでもやってこられた環境だった。ただ、今回の「オープンソース戦略を探る」シリーズでいろんな企業の話を聞いてきましたが、近頃は、本来の「戦略」の方向へだいぶシフトしてきたなという印象を強く受けるんです。日本企業でもリスクを負って、社内での軋轢が生じる中でも資源を再配分するという、必要な合意がとれるようになってきていることに大変驚きました。

 もちろん、日本企業を取り巻く状況が厳しいために戦略的にならざるを得ないという背景もあるかもしれませんが、Linuxをひとつのきっかけに使って日本企業が大きく変わりだしているのではないか、そう感じられるのです。

宇佐美: オープンソースのムーブメントにより、質の高いエンジニアを抱えている企業には有り難い状況になっているのではないでしょうか。例えば通信業界。これまではハードウェアメーカーに各プロジェクトを頼り、通信設備を構築されるSIパートナー様は、プロジェクト毎にハードウエアメーカーとタイアップしてUnixでのシステムを構築してきました。Unixに関するノウハウはかなり積んでいて、カーネルまでいじれるようなエンジニアも数多く育て上げていたのですが、いかんせんソースコードが有料もしくは提供されない、またはこちらで改善したものを公表できない……そういう呪縛の中でビジネスをやらざるを得ませんでしたからね。

 HP自身も、WindowsやUnix、Linuxを抱えている中で、営業はどこに何を売ったらいいのかがわからなくなってきているのが実情でした。しかしそういう中で、通信業界や金融業界それぞれを担当するマーケティング部門が、こういうところにはUnixがお勧めで、こちらはWindowsが、しかしこの部分に関してはLinuxがいいといった、適材適所の提案を考え始めたのです。これはHPのようにたくさんの製品系列やサポート体系を持っているベンダーには、なかなかできませんでした。どうしても縦割り志向が強くなっていましたので。

 いまでもほかのハードウェアベンダーは、なかなかそれができなくて困っています。HPが提唱する「アダプティブエンタープライズ」という戦略は、オープンソースの「必要なものを必要なときに購入してもらい、それが将来的な思想と照らし合わせても無駄にならない」という思想とうまく重なり合った結果であり、オープンソースのムーブメントのおかげだと思うのです。逆に、そういうことを考えなければビジネスができない時代になってきているのではないでしょうか。

 結局HPの戦略としては、これまで顧客に「Windows」や「Unix」を売ってきたという立場から、「それぞれの顧客がやりたい業務や必要とするサポートレベル、そして予算の中で最適なものを選択してもらおう」という風に変わったのですね。HPのラインアップからハードウェア、3つあるOSの製品系列からそれぞれを選んでもらい、サポートを含めた快適な環境を提供する。HPは沖電気やNECなどのパートナーを重視していますので、最終的にはパートナーと相互利益を得つつもエンドユーザーの希望を叶えること強化していこうと考えています。

様々な分野に拡がるオープンソースの理念

末松: 「オープンソースの理解」という観点でもう一つ質問させてください。知識情報化社会になり、インターネットの普及によって個人レベルでも知識情報を交換しやすくなり、またそのことに知的興奮を覚える人も増えてきています。そういった知識情報が持つ知的所有権を少し緩めることによりネットワークの外部性と資源の流動性を高めることで新しい創造をしていこう、または技術を革新していこうという方向に移る可能性が考えられますが、Linux協会の理事というお立場で、最新の動きを見ていて、どう思われますか。

宇佐美: 私は、知識情報に限らない話なのではないかと考えています。というのも、今年米国で行われたLinuxWorldを見てみると、展示品の中にはデータベースやハイアベイラビリティソリューションといったものはひとつも無かったんです。では何が主流だったかというと、「ハイパフォーマンスなテクニカルコンピューティングのやり方を企業へ取り入れていこう」という考えでした。

 具体的に言うと、グリッドコンピューティング。グリッドは、会社の中に点在するコンピューティングパワーのことで、これらをひとつにまとめ、新たなパワーを作り出すことによりTCOを削減するという手法ですが、これがひとつの大きなうねりになっているんです。つまり、いまおっしゃっていたような「点在する知的財産をまとめシェアしよう」という考え方が、ハードウェアの分野にも採用されつつあるということです。

末松: インターネットができたことによる資源のオープンな共有、交換、融合という流れは大きかったということですね。そういうインターネット文化になりつつある今、非常にクローズなムラ社会である日本はかなり厳しいところにいるのではないですか?

宇佐美: まったくその通りですね。「保証のないものは危なっかしくて業務用なんかでは使えない」というのが、日本のIT業界での姿勢だったわけですし、IT投資の仕方でもありました。でも、その文化はLinuxとは絶対に相容れませんよね。Linuxについてよく考えてみようという時代がやってきたことが、日本のITにとってエポックメイキングな流れではないでしょうか。通信や金融、官公庁関連などのライフラインを扱っている企業でLinuxの導入に積極的になっているというのは、やはり時代の流れでしょうね。これは、ほんの1年前まではとても考えられなかったことです。

末松: 危なっかしい他社の資源を社内で使うという点が、エポックメイキングな意思決定なわけですよね。やはりこれまでのやり方に問題意識を持った人がたくさんいて、それぞれが各社内で問題提起をしていた。それが「Linux」をキーワードに連携を始めて、オープンソースの概念でもって他社とつながってきた、という気がしています。

宇佐美: そうですね。しかし日本におけるLinuxをチャプターで表すと、まだ1章を出たばかりといったところ。米国は金融業界がTCOを実際7、8割削減できていることもあり、もう2、3章先に進んでいます。そういったチャレンジングなムーブメントが日本にもやってくるでしょう。実際UFJ銀行はLinuxへの移行を発表しているし、今後の設備投資はLinuxを最優先で検討するつもりだそうです。

末松: オープンソースの理念でつながった草の根的な活動が活性化して、企業文化を変えていくことを期待したいですね。ひいては社会にも面白い変化が起きるでしょうから。我々としては、引き続き、経営者層へメッセージを送り続けたいと思っています。

インタビューを終えて

 MIS、SIS、CALS、BPR、SCM・・・。CNET Japanの懸命なる読者ならご案内のとおり、IT業界はブーム主導でやってきた。悪く言えば、他人がやっているから、自分もやるという横並び意識に乗じてきたビジネスであった。

 Linuxは、オープンソースは、どうか。

 他人がやるからではなく、自分は何が必要かを追求すれば、上流工程(戦略)の重要性が高まる。ハードやソフトは、どれでもいいとは言わないが、重要な付加価値はサービス部分へ移行するはずである。その流れの中においては、Linuxやオープンソースは整合しやすい。

 戦略とは差異性の追求に等しい。しかし、人と違うことをよしとしない社会において、それはどこまで可能か。つきつめれば、戦略の構築は、本当に可能なのだろか。オープンソースが真に活用され社会に根付くためには、その一線は超えなければならないものであろう。

 戦略を構築する際には、全員が納得し得をする変化などありえず、既得権を超えた経営者の意思決定が不可欠となる。責任をとらない経営者という概念は、ことITにおいても成立しないのである。

2003年12月26日 末松千尋

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