ストリーミングで体得した成功の鍵は3つの要素と逆ユビキタス

インタビュー:西田隆一(編集部)
文:別井貴志(編集部)
2005年09月15日 14時43分

 日本でインターネットが本格的に普及し始めた第一段階ともいえる1997年に産声をあげたJストリーム。国内最大級のストリーミング配信ネットワークと実績を有するストリーミングのパイオニア企業で、ダイアルアップ接続の時代から今日のブロードバンド全盛期まで、一貫してストリーミングビジネスのためのインフラとサービスを提供してきた。

 ブロードバンドが普及した今でこそ、テレビ放送局がネットに進出してくるまでになったが、高価格でスピードも遅いダイアルアップ時代から映像を使ったネットビジネスをどのように生み出し、勝ち抜いてきたのか。

 創業からこのビジネスを見つめ続け、最前線に立って取り組んできたJストリームの取締役副社長である古株 均氏に事業ノウハウの秘密などを聞いた。後半では、放送局の話題を中心に、これからネットでビジネスをやろうとしている人にも、いまやっている人にも効く、ネットビジネスを成功させるための必須条件を語ってくれた。

--最初に、ストリーミングに触れたきっかけを教えてください

 まず、1993年にブラウザの「Mosaic」を見たときに初めてウェブページを見たが、そのときに文字と写真と図表がカラーだったことが新鮮だった。これは、USA TODAYの全世界版だと思った。サーバの中身が替わるだけで一瞬でページの内容が更新されるので、新聞の原版を直接しているのと同じ。これまでは、米国からわざわざ取り寄せて日にちが経ってからしか原版を見ることはできなかった。料金も高くかかるし。

 本などの印刷物は、印刷した時点で情報が固定されるが、ウェブはダイナミックにその情報が更新できて、世界中からモノクロではなくカラーで見られるということに感心した。つまり、僕は「随時更新可能なUSA TODAYの全世界版」という捉え方だった。新聞だとしたら、次は絶対にラジオとテレビにいくと思って、そのときに、このネットワーク(インターネット)のうえでラジオとテレビを実現するにはどうすればいいかを調べた。

 そうこうしているうちに、リアルオーディオが登場した。静的なデータではなく、時間軸が絡む動的なデータなので、20kbps〜30kbpsで送信しても、サーバからクライアントに時間が経てば、どんなに遅くてもかならずデータそのものは届く。しかし、「こんにちは」という1秒間のデータは、1秒以内に相手に届かないと次にまた1秒分のデータが来たときに連続しないので、音声メッセージにはならない。ストリーミングとはそういうことだとわかった。

 当時は飛行機が飛んでいる映像など、非常に小さい画面でQuickTimeの映像などがあって、ダイアルアップだったので5分ぐらいの長い時間をかけてその映像をダウンロードしても、ほんの一瞬で再生が終わってしまうものが多かった。Windows95がでた頃の動画はそんなものだった。「5分もかけてこれかよ!」と。やはりストリーミング形式で見たいと思った。つまんない映像だったら、すぐに見るのをやめられるし。ダウンロード形式だと、ダウンロードしてからじゃないとどんな映像かがまったくわからない。

--そうした状況の中で、どのようにJストリームが生まれたのでしょうか

 そんなことを考えているときに、トランスコスモスの社長である奥田さんといろいろ話をした。そのときは、まだNTTが分割される前で、国内はNTT、海外はKDDだった。インターネットはワールドワイドだし、かならず回線がいるので、ビジネスにするにはまず単純にそうした回線所有者のところへ話を持っていくしかないと思った。政治的なことはまったくわからずに(笑)。

 あと、やっぱりリアルオーディオにも行くべきだろうと。当時はProgressive Networks社と呼んでいたけど。そしたら、本当に奥田さんが話を進めて、「会社ができそうだから来い」と言われて、結局僕はノベルを辞めて1997年2月にトランスコスモスに入った。そして、5月29日に会社が資本金4億8000万円で設立された。リアルオーディオとビデオなどによってインターネット放送を支援する会社として、KDD(現KDDI)、NTTPCコミュニケーションズ、トランスコスモス、米Progressive Networksの4社共同出資だった。

 はじめは、オンデマンドをやるという概念が契約上まだなく、1997年8月にリアルオーディオの手法を使ったライブ配信インフラが構築できた。そこで、すぐさま実際に配信してみて、一番最初に配信して収入を得たのは橋本龍太郎氏のコンテンツだった。NTTが協力してくれたのだが、当時コネットプランというのがあった。e-Japanのはしりのようなもので、全国1000の学校のISDNによるインターネット接続を支援するというプランだった。この取り組みの中で、総理(当時)と話そうという企画があり、橋本氏と日本中の選ばれた小学生がネットでそれを行い、このサポートをした。

--すぐに配信実績ができたとしても、回線など当時のネット環境ではビジネスをやっていくのは大変だったのでは?

 とにかく営業戦略で考えていたことはとにかく目立つことだった。目をひくことをやれば、たとえば芸能人のコンサートなど、わかりやすいことをやれば「ああいうふうに芸能人が出るんだったらうちの社長に何かしゃべらせてもいいのではないか」と企業の人が考えてくれるだろうと考えた。

 そこで、タレント事務所やレコード会社、芸能プロダクション、放送局、出版社へ片っ端から出かけて行った。本当はお金がほしいんだけど、なるべく安く、インフラ利用料金は無料にして、その代わりエンコーディングなどの実費はくださいという商売をしつつ、ちらほら使ってもらっていた。

 それでも、一般企業でなかなか理解してくれる人はいなかった。ひたすら出向いて行ってリアルプレイヤーのデモをしつつ、ISPなど理解してくれる人に向けて仕事していた。結構な収入は当時でもあったが、出て行く方がはるかに多いので業績は大赤字だった。

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