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第2回 私の起業ストーリー(前編)

2003/04/10 10:00
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お手本にはなりませんが、、

 起業家とは何か?というテーマで連載を始めましたが、まずは自分自身の起業ストーリーを披露しましょう。もっとも、かなり「ハチャメチャ」ですから、皆さんにマネしてくださいとおすすめすることはとてもできません。というより、今は起業についてのインフラが5年前よりもはるかに進歩したため、もっと確実な起業方法が整備されていますので、今後私のような例はきわめて例外的になるでしょう。いかに起業インフラをつかいこなし、リスク管理をするか、それもこの連載の主テーマのひとつです。

優等生が社会に出てからドロップアウト

 私は、進学校の一角を占める武蔵中学・高校を経て東大に入り、卒業後はKDD(現:KDDI)に入りました。そこまではいわゆる優等生的な、エリートコース的な人生を歩んでいたのですが、どうも燃えなかった。また、自分でいうのもへんですが、そういうエリートコースに乗る生き方とか、学歴主義というものに妙な怒りを感じていました。そこで、思い切ってKDDを辞め、学歴もなにも関係ない外国で働いてみようとおもい、英字新聞の求人欄で見つけた職を頼りに1年半、ヨーロッパにいました。いわゆるエリートコースからのドロップアウトです。親を相当嘆かせました。

 私は次に転職したArthur.D.Little というコンサルティング会社の米国本社(マサチューセッツ州ケンブリッジ)に1年間のトレーニーとして派遣されました。1990年のことです。そこで若い優秀な同僚が会社をやめて起業していくのをみて、はじめて起業に興味をもちました。その後、忙しさの中で、起業願望は高まったり薄まったりを繰り返していました。しかし自分は何を起業したらいいのか、特段のテーマもなく、まるで雲をつかむような話でした。ぼんやりとみえていたのが、通信関連の起業でした。というのは、私はニフティサーブの初期ユーザーで、いわゆるパソコン通信にはまっていた時期があったのです。まだインターネットが商用化される以前の話です。

 その後、Windows 95が発売され、前よりはるかにラクに家庭でインターネットにつなげる時代がきました。インプレスからインターネットマガジンが創刊され、なにやら、新しい夜明け前の雰囲気が高まってきました。よしこれは、ということで、米国America Onlineの日本法人ができる、という話をきき、その創立準備会社に滑り込みました。その立ち上げに奮闘したあと、マーケティングディレクターの職にあった私は、毎日のように米国からくる情報をみていました。95年のNetscape社の上場に続き、96年Yahoo上場、97年Amazon.com上場、と立て続けに後のスタープレーヤーたちが上場していきました。

「空前絶後の起業チャンス」到来

 そのような状況をみて、「この流れはきっと日本にも来る!これは僕にとって空前絶後の起業チャンスかもしれない!」と、いてもたってもいられない自分に気づき、ついに97年の夏ごろ起業を決意。しかし手持ちのお金が300万くらいしかない。それを全部なげうっても、有限会社しかできない。そこで、友人・知人に出資を仰ぎ、また父親に借金をお願いしてようやく98年2月に資本金1500万円で開業したのです。

(以下つづく


筆者プロフィール
西川 潔
ネットエイジ 代表取締役社長
KDD、米国コンサルティング会社、AOLジャパン などを経て、98年2月、ネットエイジを草の根的に創業。 インターネットビジネスの企画・開発・運用を通じ、ビジネス インキュベーションおよび、投資業務を手がける。現在までに12のビジネスをおこし、M&Aで4社を売却。また、99年に 日本中を席巻したビットバレー構想の発案者でもあり、常に起業家主導経済の重要性を説く。東京大学教養学部卒

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