CLIE撤退に見るPDAの悲劇 - (page 2)

PDAが成功しない理由

  では、なぜPDAはこれまで「成功しない」と言われ続けているのか。多分に「PC未満、携帯電話以上」という中途半場さが問題なのだろう。

  今回のCLIE撤退の理由について、多くのメディアは「携帯電話の多機能化でPDA機能が携帯電話に取り込まれるようになったため」としているが、本当にそうなのだろうか。もしそれだけの理由ならば、欧州でのスマートフォン(PDA機能を内蔵した携帯電話)がどのくらい成功し、日本の携帯電話でPDAの機能が使われているかを考察したらいい。携帯電話の登場が原因という説にはNOといわざるを得ない。

  確かに携帯電話は電話帳やカレンダーなど一部のPDA機能を持ち、電話帳に至っては発着信履歴を含め、そのまま電話できる(当たり前だが)ほどのものだ。しかし、PDAで最も利用されているスケジュール管理についてはそれほどの機能が用意されていない。書き込んでいる人もいないわけではないが、携帯だけですべてのスケジュールを管理している人は限りなく少ない。少なくとも、PDAで最もよく利用されるスケジュール管理という点でPDAと携帯電話では競争にならないのだ。

  ただし、そのPDAのスケジュール機能はPCとの同期を前提にしたものだ。PCとの同期にはクレードル、あるいは無線LANなどが必要な上、意識的に同期を取る必要がある。各人のスケジューラをグループウェアなどと連動することがオフィスで一般的になっている現在、リアルタイムで同期が取れない限り、PDA上のスケジュール管理は手帳やプリントアウトした紙と同様のものでしかなかろう。

  PDAのスケジュール機能は携帯電話以上だがPC、特にオフィス内でネットワークに接続されたものほどでなく、PCが小型化してモバイル環境が整った結果、PDAの必需性を訴求する根拠は薄くなっている。PCそれ自体がモバイル性を備えてしまえば、PCの機能の「下位集合」であるPDAの出番は当然少なくなるからだ。別に、携帯電話の存在が直接的な脅威ではなく、せいぜい持ち歩くガジェットの数と機能をバランスしたときに不利になる程度でしかない。それよりも直接的なポイントは、PCの一部の機能を切り取って持ち歩けるという訴求要因の弱さだろう。

   1990年代半ば、米国のビジネスパーソンを中心にスケジュール管理や住所録としてPalmを使うことがスタイルとして「カッコいい」という認識が広まり、誰もが持っている時期があった。しかし、モバイル環境の普及とともに、手軽だけれど不完全なPDAを使うことよりも、モバイル環境でPCを利用する人が増え、PDA利用は極めて限られたものに再び戻ってしまった。せいぜい、PCが入るほど大きなかばんを持ち歩くことを避ける傾向にあるビジネスウーマンに訴求できる程度だろう。

  すでに多くのPDA企業がコンシューマ用製品に見切りをつけたように、会社が支給する、もしくはその機能を使わなければ業務に支障が発生するといった根拠がない限りは、コンシューマ自身が出費し、利用し続けるケースは稀になってくる。

  であれば、CLIEという国内トップシェアブランドの撤退は、ソニー独自のエンターテインメント性をもってしてもPDAという存在そのものの危うさをカバーすることは困難であるという判断によるものだろう。すなわち、PDAという製品単独での存在は難しいという、以前から言われていた説を覆すことはできなかったということになる。

  ちょっと残念な気はする。

  持ち運ぶガジェットの数とそれらが提供する機能の幅というバランスにおいて、PC以外の、あるいはPCに成り代わるものはないのだろうか?例えば自宅やオフィスPCのデスクトップをそのままモバイル環境で利用できるリモートデスクトップ機能を持ったネットワークアプライアンスがPDA的な手書き文字入力インターフェースを備えれば、持ち運べてグループウェアも使える点で、実質的にPDAとは一線を画することになる。PDAなどポータブルデバイスにはスケジューラなどの直接的かつ独立の機能ではなく、持ち運べるPCの究極の姿として、一種のネットワーク・デスクトップといった機能を求めるべきではないか。

  現在、家電メーカーは、PCのハードとソフト、あるいは本体と周辺機器のように、必要とする機能に合わせて任意に組み合わせができるモジュール性や、後から特定の機能を追加できるサービスの拡張性を、家電というアプライアンスに追加するべきか否かという選択に迫られている。実際それは、単なる機能の拡大ではなく、本質的なあり方の変更を迫るものであり、簡単に対処できるものではない。

  AV家電においては、モジュール化や拡張性を安易に備えると、PCというそれら機能を先行して装備していた機器にコントロールされるだけの存在になりかねず、その独自の存在意義を失いかねない。少なくとも、より一層コモディティ化が進行しやすくなることは明らかだ。であれば、PDAをかつてMicrosoftが「PCコンパニオン」と名づけたように、PDAとはPCを補完する機能でしかなく、その独自の存在意義を主張することはそもそも困難であったに違いない。

  CLIEの撤退によりPDAという製品をPCのコンパニオンという運命からエンターテインメント機能の付加によって救出するという試みは失敗したということになる。であれば、CLIEの撤退は表明したもののPDA的な製品からの撤退を否定しなかったソニーは、PC中心主義に屈することなくどんな次の一手を打ってくるのだろうか。楽しみだ。

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