大橋禅太郎氏に見るIPOしない起業家の生き方--2

構成:西田隆一(編集部)
写真:梅野隆児(ルーピクスデザイン)
2006年04月05日 08時00分

 日本のビットバレーブームの仕掛け人でもあるネットエイジキャピタルパートナーズの小池聡氏が、起業家という生き方を選んだアントレプレナー達の軌跡を対談を通じて追います。今回は、前回に引き続き大橋禅太郎氏との対談です(前回の掲載)。

新事業「マイルネット」をエキサイトが買収!?

小池 .tvのドメインビジネスのあともいろいろと仕掛けたけれど、後にガズーバという会社になるマイルネットというプロジェクトを社内で起こしたんだよね。その話を聞きたいな。

大橋 マイルネットというのは小さなカウンターがあって、そこに広告が出てくるんです。友達に勧めてその友達も使い始めるとポイントがたまってくるというやつで、ポイントがたまると花のアイコンが開いていくの。それはバイラルマーケティングという、使うことが宣伝になる仕組みだったんです。この間、ガーラの菊川(曉)社長に会ったら、「あれは禅ちゃんだったのか。ポイントはいいけど、あの花を返してほしい」って言われたんです。

 それで、1カ月後にアクセスが集中してサーバがパンクする予定で始めたら、本当に2週間でパンクしちゃった。

小池 ウォールストリートジャーナルに採り上げられて、評判がバーっと上がったし、問い合わせも殺到してね。

大橋 そうしたら1カ月半ぐらいでエキサイトから電話が掛かってきて、「ミーティングをしたいから来てくれないか」と言われて行ったら、相手は上席副社長とか創業者とか8人ぐらい来ていました。僕らも全社員3人で行ったら、いきなりホワイトボードに「買収・敵対・下請け」って3つ書かれて、「今日の議題はどれにしようか」と言われたんです。「じゃあ」と思って、買収の話をしました。

 冗談で「買収かな」とは言っていたんですが、1時間半ぐらい買収の話をした。「いくらの評価額を取れると思っているんだ」と言われたから、全然決めていなかったんですが、「800万ドル(約8億円)」って言ったら、「ハハーン?」って感じだった。「800万ドルに届かなかったら提示しないほうがいいか?」と聞かれたので、「そうですね」と言って車に戻ってから3人でニターっと笑った(笑)。

 それで会社に戻ったら650万ドル(約7億円強)の買収提案が来て、僕らも売るつもりだったんですが、のらりくらりいろいろやっていたら、エキサイトそのものがアットホームに買収されてしまったんです。それである日電話が掛かってきて、「そういうことになったので、この話はなしになったからよろしく」と言われました。

 僕らはあまり資金繰りを気にしていなかったんですよ。というのは、買収提案の中に、未払い金20万ドル(約2000万円)までOKって書かれていたんで、いろいろ買っていたりしたんです。僕らは買収されるつもりでお金を用意していなかったんで、その月末の支払いが払えなかったんです。そこからVC(ベンチャーキャピタル)めぐりが始まったっていう感じです。

小池 当初、その企画が出たときはまだISIDの現地法人の中でプロジェクトとしてやっていて……。結局、あの会社は資本金はいくらぐらいで作ったんだっけ?

大橋 最初、小池さんから日本円にして5000万円コミットしてもらった。

小池 5000万円が2カ月ぐらいで7億円になったんだよな。もしかしたたらだけどね。会社を起業するとIPOさせるか、会社を売るかがあるんだけど、あのときは会社を売ることに対する抵抗は全くなかったの?

大橋 売ること自体に抵抗はなかったんですけど、一番気になったのは、エキサイトで4年働いてくれという条項が入っていたんです。

小池 たしか、それを悩んでいたよね。

大橋 例えば30年間ビジネスで活躍できるとして、その中で(刺身の)トロのおいしい時代があるとして、そのうちの4年というのはかなりのもので、自分がしたいことと違うかもしれないじゃないですか。経営陣も違うし、方針も僕らの気に入るものじゃないかもしれない。僕らとしてはそれが一番悩んだところでした。

小池 そうだよね。もしかして踏ん切りが付いてわかりましたとやっていたら、さっさと契約を結んで、エキサイトがアットホームに買収される前にクローズできたかもしれないけど、やっぱりそうじゃない道を選んだのかもしれないよね。大事な時期の4年間を奴隷のように働かなきゃいけないというのと引き替えでどうだったかというのと、迷いがすごくあったんだよ。だから今振り返っても、良かったのかもしれない。

買収が破談、その後のマネージメントコーチとの出会い

 それで、マイルネットはエキサイトには買収されずに、そこから資金調達の苦しい道のりが始まって。

大橋 そうですね、3カ月給料なしで。

小池 日本人が社長でベンチャーをやっていますと言ってもアメリカのVCなんか絶対に出資してくれないんだよね。そこそこすごいやつらが3人も集まってたんだけれど、アメリカのVCなんて毎月何百というビジネスプランの応募があって、その中でちゃんと見てもらえるだけでも少ない数だし、会ってくれるというのはもっとハードルが高いしね。

 だけど、Upside誌のテクノロジートップ20に選ばれたり、ウォールストリートジャーナルでも採り上げられたりしていたので、注目はされていた。シリコンバレーではすごく知られていたし、注目度は高かったよね。VCは随分回ったよね。

大橋 かなり回りました。アンディと2人で、もしこの投資が受けられなかったら、VC回りのためのタクシードライバーの会社をすれば儲かるねと言っていたくらい(笑)。そのぐらい回りましたよ。

小池 でも、結果としてちゃんと資金調達できたじゃない。

大橋 あるところが「最初に30万ドル(約3000万円)ぐらい出して、次のステージまで持って行ってからミリオン(億円)単位でやろう」と言ってくれて、もう1社が「300万ドル(約3億円)出す」と言っていたんです。でも、なかなか進まなかったのでちょっと賭けに出て、この両者を会わせたら2人とも競合しているのがわかって、30万ドルと言っていたやつが急に今の状態で150万ドル(約1億5000万円)出すと言って、最初のベンチャーラウンドで出してもらいました。

小池 資金調達も成功して、その後何度か資金調達をして、結局はその会社自体は売却したんだけど。それで、そこからマネージメントコーチをやることになったきっかけは?

大橋禅太郎氏
大橋禅太郎(おおはし・ぜんたろう)――石油探査会社のシュルンベルジェを経て、情報コンサルティング会社を開業。その後米国に渡り、シリコンバレーにて起業。総額10億円ほどの出資を得てGAZOOBA(ガズーバ)を起業。2001年に売却し、現在はマネージメントコーチとして活躍。近著に『すごい解決』(阪急コミュニケーションズ刊)がある。

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