大橋禅太郎氏に見るIPOしない起業家の生き方--1 - (page 3)

構成:西田隆一(編集部)
写真:梅野隆児(ルーピクスデザイン)
2006年03月27日 16時10分

大橋 それで2年で会社をやめて、大久保に小さなオフィスを借りました。横にヤクザが住んでいるようなところです。そこで外国の企業に日本の技術情報を提供する会社を作りました。一番の買い手だったのは東京にある外国の大使館だったんです。

 サイエンスアタッシェという名刺を持っていて、サイエンスアタッシェというのは産業スパイなんですが、日本の特定の会社の名前を挙げて、「今ここがどういう人間を採用しているか調べてくれ」と、大使館だから証拠が残らないようにそれを口頭で言うだけなんですよ。

小池 産業スパイをやっていたわけ?

大橋 産業スパイ業(笑)。ただあまり儲かってなかったんですよ。まあ、アメリカに行きたいっていう気持ちも強かったんで、その後は店を閉めると決めてとりあえず行くあてもないままにアメリカに渡った。

大橋氏と小池氏との米国での出会い

小池 それでアメリカに来たわけだね。それが何年頃だっけ。

大橋 93年とか94年。最初は半導体のブローカーの会社が拾ってくれて、そのときに、ネットスケープのバージョン0.94ぐらいが出てきて、僕がハマって社長に見せたら、「インターネット事業部を作ろう」と言い出して、それで「自分にやらせてください」と言ってネットのビジネスに入り始めたのがその辺です。僕がアメリカに行っていた頃は、まだインターネットワールドというイベントに訪れる人が少なくて寂しかった。盆栽フェアのほうが全然にぎやかなくらいだった。

小池 僕らが出会ったのは95年ぐらいだよね。最初は禅ちゃんが僕のオフィスにファックスを送ってきたんだ。多分、一斉に片っ端からいろんな会社に送っていたんだと思うんだけど、「あなたの会社のドメイン名を取りませんか」みたいなファックスで。そのとき僕はもうインターネットの事業をやっていてドメインは必要なかったんだけど、95年ってネットスケープが上場した年だよね。その時代に日本人でそういう関連の仕事をしている人ってほとんどいなかったんで、これは面白いなと思って、その当時の部下に「これは面白そうだからコンタクトをとってみよう」と言った覚えがある。

 ただ、その経由じゃなくて、なにかの理由でうちに来たんだよね。どういう経緯だっけ?

大橋 あれは人材紹介会社からです。僕がだめもとで「これを小池さんに持っていってください」って言ったら、「一応出しておくから」と言っていた。そうしたら、小池さんがファックスを見て「こいつ知ってるやつじゃん」みたいな感じで言ってくれた。

小池 そんな経緯だったっけ。それは初めて知ったな。

大橋 僕は最初は面接のつもりで行ったんです。こう聞かれたらこう答えようと思っていると、小池さんは自分が今どういうことをしようとしているか1時間半ぐらい話して、「じゃあ、いつから来られる」って聞くから、「え? これが面接か」と驚いた。

小池 そうそう。履歴書みたいなものがあって、そこに書かれている生き様を見るだけでこいつに決めたと思って。すでにインターネット事業部を立ち上げていたのを知っていたし、大体そういう人がいなかったっていうのもあるし、ファックスのことも覚えていたから最初から採用するつもりだった。それですぐ会社に来てもらって、そこからだね。

 当時の現地法人の上司も本社もインターネットってなんだかよくわかっていなかったし、全然サポートする気がなかった。だから、そういうのをやるために人材がいろいろ必要になってきて、後に禅ちゃんとパートナーになるアンディー・ラスキン(現「Business 2.0」誌のシニアエディター)も口説いてきた。

 彼はエール大学を出てウォートン(ペンシルベニア大学)のMBAを出て、当時はCSC Indexというコンサルティングファームで働いていたんだけど、なかなかうんと言って来てくれなくて。給料もCSC Index時代の半分以下だよね。ただ、彼もインターネットの可能性を感じていたのかもしれないね。そこからほとんど会社に報告もせずにいろいろなことをやった。

トップレベルドメイン「.tv」を買いにツバル共和国へ

 その中でも、これは成功していたらすごいことになっていたんだけど、禅ちゃんのツバルのトップレベルドメインは印象に残ってるね。今、世の中で「.tv」というドメインが蔓延しているけど、そのきっかけを作ったのは禅ちゃんだから。

 禅ちゃんがあるとき、トップレベルドメインのリストを持ってきて、「.cc」とか「.tv」とか結構いろいろなものがあって、「.tv」が売れたらテレビ局に対してすごい商売になりますよねと言ってきた。このドメインはどこが持っているかを調べたら、ツバル共和国が持っているというので、アプローチしてこれを取りましょうよという話になった。普通だったら国が持っているドメインだから、それを買ってこようなんていう発想はないんだけど、僕もそういうのが好きだから、「面白いね、じゃあそれを取りに行こう」という話になった。

大橋 そうそう。最初は番号案内で調べてツバルに電話して、ツバルは国際回線が2回線しかないからよく話し中だった。それで、外務省につながったらいきなり外務次官が出てきて、「インターネットとはなんぞや」から話を始めたら、よくわからなかったみたいで、「雨が降ってきたからあとで電話してくれ」ってガチャンと切られちゃった。最初はこれは無理だなと思ったんだけど、ずっと継続的にコンタクトして2年ぐらいしたら、ドメインの取得に対してリクエストしたい人は来なさいみたいな感じで呼ばれたんです。その頃、たしかツバルのGNPが年間12億円ぐらいだった。

 その12億円のGNPのうち主な収入源は韓国とか日本に200海里の漁業権を売ったものなんです。小池さんに、「契約が取れる前提で2000万円まで前払いのコミットをしていいですか」と聞いたら、「いいよ」と言ったんで「楽勝」だと思ったんです。GNPの数パーセントをコミットしているわけですから。

 「書類を出すように」と言われたんですが、どうしても口頭でプレゼンしたい人はそのチャンスがあると言うので、面白そうだから行くことにして、僕とアンディとシャンティ(当時の社員)で行くことになった。行ってみたらほかに競合が4社も来ていたんです。それであるところが50億円(5000万ドル)をコミットしたんです。結局、それは後々、支払い不履行になったんですが、そこが落札しました。

小池 惜しかったよね、ほんと。でも、50億円だったらかなわなかったね。最後の2社まで残ったんだけど。まあ仕事はとれなかったけれど、トップレベルドメインを売ろうという発想自体は、禅ちゃんの一本の電話から始まってる。だからみんなが今「.tv」をこうやって使えているのも、禅ちゃんのおかげだ。

(次回に続く)

小池聡氏
小池 聡
iSi電通アメリカ副社長としてGEおよび電通の各種IT、マルチメディア、インターネット・プロジェクトに従事。1997年にiSi電通ホールディングスCFO兼ネットイヤーグループCEOに就任。シリコンアレー、シリコンバレーを中心にネットビジネスのインキュベーションおよびコンサルティング事業を展開。1998年にネットイヤーグループをMBOし独立。1999年に日本法人ネットイヤーグループおよびネットイヤー・ナレッジキャピタル・パートナーズを設立。現在、ネットエイジグループ代表取締役、ネットエイジキャピタルパートナーズ代表取締役社長などを務める。日米IT・投資業界での20年以上の経験を生かしベンチャーの育成に注力。

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