アップルコンピュータ誕生から30年--盛衰を振り返る - (page 2)

文:Ina Fried(CNET News.com)
編集校正:坂和敏(編集部)
2006年03月31日 08時00分

 もちろん、Appleファンはマーケティングのことなど気にしていなかった。「彼らにとって、Macは合理的な選択肢であり、最高のコンピュータだったというだけだ」(Kahney氏)

 多数のMacファンを抱えてはいたものの、このマシンを生み出した会社の業績はあまり芳しくなかった。

 Appleは、少なくともJobsがトップにいる時には、製品を秘密裏にコツコツ開発し、ハードウェアやソフトウェアを社外に出さず、完成して初めて開発の成果を公開すると、また研究室に閉じこもっていた。

 同社は過去にOSのライセンス供与に手を出したこともあるが、それ以外は一匹狼の姿勢を貫いてきた。

 また、同社は多くの注目に値する提携を結んだが、その大半は当初の期待通りの結果を出せなかった。AppleはかつてPower ComputingとUmaxにOSをライセンスしていたが、この判断も、PowerPC関連のIBMとの提携も、さらに最近のHewlett-Packard(HP)やMotorolaとの提携も、どれも最終的には失敗に終わった。

「大胆不敵で、芸術家肌」

 ここ数年は各所で賞賛されているAppleだが、同社は歴史の半ばで迎えた重大な局面を、苦労の末にやっとのことで乗り切っている。

 Appleは1990年代半ばに、多額の赤字を計上していた。そして、問題を抱えたCEO(最高経営責任者)のMichael Spindler氏を退任させ、会社を正しい方向へと導こうとしていた。

 Appleは各所に救いを求めた。同社は、もう少しでJean-Louis Gasse氏の興したBeを買収することころだったが、しかしGasse氏はAppleの提案を上回る金額を要求してきた。

 結局、同社はJobs氏のNext Computerを買収することになった。同氏は当初、アドバイザーとして同社に復帰したが、すぐに経営に関与するようになっていった。そして、まずは暫定CEOに就任し、後に正式にCEOとなった。

 この動きは、AppleにとってもJobs氏にとっても偶然のことだった。ハイテク業界で復活を遂げることはまれだが、自身がPepsiからの引き抜きに一役買ったJohn Sculley氏によって1985年に同社を追放されたJobs氏は、Nextが買収されたことで再びそのチャンスを手に入れた。

 Hertzfeld氏によると、Appleでは多くの技術者が功績を残しているが、なかでもJobs氏の功績は非常に大きいという。

 「彼がいなかったらAppleはごく普通の会社になっていると思う・・・大胆不敵で芸術家肌のところが、もっとずっと少なくなっていただろう」(Hertzfeld氏)

 もちろん、Newton OSやPower Mac G4 Cubeなど、同社は多くの重大なミスも犯してきた。

 しかし、Appleがここ数年で行った大きな賭けはいずれも成功を収めている。

 Jobs氏の復帰直後に発売されたiMacは、同社の評判を復活させるのに一役買い、Apple製品に対する興奮を呼び戻した。

 Appleは、キャンディーカラーのiMac投入に続いて、OS Xへの移行も断行した。全く新しいUnixベースのOSへの移行は、おそらく同社最大の賭けだったと言える。相当な時間をかけた苦労の連続だった。

 この移行により、デザインリーダーとしてのAppleの評判が復活した。そして、Apple IIの時代のように圧倒的なシェアを持つには至らないまでも、何度もトレンドを作り出してきた会社が復活を遂げた。

 OS 9からOS Xへの移行には紆余曲折があったが、これがあったからこそ、MicrosoftがWindows XPの後継製品開発に苦戦を続ける一方で、Appleは4回以上もOSをアップデートすることができた。この点は、Microsoftが先週Windows Vistaの投入延期を再度余儀なくされたことで痛感させられた。Vistaについては、Mac OS Xがすでに実現しているアイデアを多数借用したOSだという意見も一部にある。

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