文:Tor Thorsen(Special to CNET News.com)
翻訳校正:編集部
2007/06/21 10:52
6月19日、ゲーム産業の1つの時代が公式に終わった。この日が久夛良木健氏のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)で取締役として働く最後の日だった。ほろ苦い展開ではあったが、彼の退場は予想外のものではなかった。久夛良木氏は、SCEIの代表取締役の座を、Sony Computer Entertainment Americaの社長だった平井一夫氏に譲ってから約半年後の4月に、辞意を表明していた。久夛良木氏は名誉会長に就任し、シニア・テクノロジーアドバイザーとして技術的なサポートを行う。
1990年代中盤にソニーが家庭用ゲーム機市場に進出する業務に携わり、久夛良木氏は「PlayStationの父」として広く知られるようになった。ソニーは任天堂とCD-ROMベースのゲーム機、スーパーファミコンCD-ROMユニットの開発で共同事業を行っていたが、その決裂後、同氏はソニーに独自機器を生産することを強く進言した。
1994年に初代PlayStationが日本で発売された後、ソニーはすぐに任天堂が支配する家庭用ゲーム機市場に挑むこととなった。2000年にリリースされたPlayStation 2は、ソニーをゲーム界で世界最大の勢力に押し上げた。ソニーによれば、5月30日時点でPlayStationは世界で1億200万台販売されており、PS2の販売台数は1億2000万台以上になっている。2004年から2005年にかけては、久夛良木氏はPlayStation Portableの発売も行った。
しかし、何年もの間、多国籍企業であるソニーの最も収益性の高い部門であったSCEIは、PLAYSTATION 3で困難に直面した。製造工程の問題で、プラットフォームの発売が日本と北アメリカで2006年11月に、欧州で2007年3月にそれぞれ延期になった。その後の売れ行きも、この比較的高価なゲーム機は競合機種に大きく水をあけられている。2007年5月の米国でのWiiの販売台数はPS3の4倍だったというレポートもある。
久夛良木氏はPS3の問題の責任を問われる場合が多い。11月のNewsweekの記事では、彼のパブリッシャーとの交渉の「遅さ」が、「Assassin's Creed」と「グランド・セフト・オート4」がXbox 360でも開発される理由になったとしている。ソニーの最高経営責任者(CEO)Howard Stringer氏は、3月にWall Street Journalに対し、久夛良木氏は「無口」で、Stringer氏の信頼を得ようと苦闘していると話している。
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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