Intelの状況はIBMやAMDのCEO交代時ほど悲惨ではないとKrewellは言う。同社は依然として数十億の利益をはじき出している。しかし、いかにしてマイクロプロセッサ以外の分野に移行するかという課題に、Intelは真剣に取り組まねばならない。
「Barrettの指揮下でIntelは多角化を試みたが、その努力の大半は実を結ばなかったと考える人が多い」とKrewellは言う。
Otelliniは、良かれ悪しかれ、ここ数年のIntelの大きな失敗の数多くに自ら関わってきた。ほかの幹部と共に「Rambus」メモリを公の場で賞賛し、後で同社の計算違いを認めた。今年1月には、家電分野への進出をうたい、Intelが新しいチップを開発し大型テレビの値段を下げると発言をしたが、9ヵ月後にはそのチップ開発計画を中止した。
OtelliniがIntelのマイクロプロセッサグループを指揮しながら社長を務めてきたこの数年間、Intelはマイクロプロセッサの処理速度を徐々に上げ続け、自社のエンジニアが指摘する熱の問題を重視しなかった。この問題が山場を迎えたのは、Otellini自身が発表した4GHz Pentium 4の開発をIntelが断念したときだった。
厳密には、Otelliniが働いた場所はIntelだけではない。サンフランシスコ生まれのOtelliniは、学生時代に同市のCandlestick Parkの売店で販売員の仕事をしていた。
Otelliniはサンフランシスコ大学を1972年に卒業。その後ロースクールに進むより、カリフォルニア大学バークレー校でMBAを取得することを選んだ。1974年の同校卒業時には3社から声がかかった。その3社とはFairchild Semiconductor、AMD、そしてIntelである。「I chose wisely(賢い選択をした)」と彼はあるときジョークを言った。この言葉は、Indiana Jones(邦題:インディ・ジョーンズ)の映画の中で、Jonesが無作為に毒入りではないグラスを選んだときの台詞だ。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをCNET Japanが日本向けに編集したものです。
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