最終更新時刻:2009年7月10日(金) 10時31分

実機のお披露目でさらに評価が揺れるWiiとPS3

平林久和

2006/10/12 20:42  

 じつは、東京ゲームショウ2006が始まる前、厳密に言うと2006年の5月に開催されたElectronic Entertainment Expo 2006(E3)の直後から、ゲーム業界では大きな動きが起きていた。それはひとことで言うと、「任天堂への回帰現象」である。

 家庭用テレビゲームのビジネスは、1983年7月、任天堂がファミリーコンピュータを発売した時から始まった。この年に任天堂は45万台のハードを売り、10タイトルのソフトを発売した。1983年当時、いわゆる「ゲーム会社」は任天堂しかなかった。翌1984年にナムコとハドソンがソフト開発と販売に参入。のちに多数のソフトメーカーが続々と家庭用ゲーム市場に参入することになるが、その後もゲームビジネスは任天堂を中心にして回った。

 そして任天堂はディスクシステムを発売し、続けてスーパーファミコンの開発を発表。しかしその後、スーパーファミコンの発売を延期して、ゲームボーイを発売……といった、猫の目のように変わる方針をとっていった。ハードメーカーが業界を主導した1980年代はソフトメーカーにとっては不遇の時代となった。

 1990年代になると、家庭用ゲーム機市場は任天堂の独占市場ではなくなった。ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーションが任天堂一色だった家庭用ゲーム機市場のシェアを完全に逆転し、任天堂はテレビゲーム界のチャンピオンの座を降りる。それ以来、任天堂はマーケティング用語で言うところのニッチャー(すき間市場を狙う地位)に転落した。

 ところが2004年になって発売したニンテンドーDSがゲームハード史上最速のペースで1000万台を販売した。そして「東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修・脳を鍛える大人のDSトレーニング」に代表されるミリオンセラーが連発されるようになり、再びゲーム機市場の情勢は変わってきた。

 そんな中で発表された次世代ゲーム機「Wii(ウィー)」は評判も良く、ソフトを開発するサードパーティ各社は、「ニンテンドーDSの開発タイトルを増やしたい」「Wiiに参入したいので開発ツールがほしい」と「任天堂詣で」を繰り広げていた。ちなみに任天堂詣でとは、京都の任天堂本社を訪問し、特別な依頼事をするというゲーム業界の隠語だ。

 多くのゲームソフトメーカーは、自社の意中のプラットフォームが任天堂にあり、それがPLAYSTATION3ではないことを明らかにしたがらない。それは企業秘密であり、ハードメーカーとの駆け引きの材料でもあり、礼儀でもあるからだ。

 しかし、任天堂回帰の情報は続々と入ってきていた。たとえば、株主総会などで「開発費のかかるPLAYSTATION3への投資を控え、開発費が少なく売り上げが見込める任天堂に投資をシフトする」と公言した会社は複数存在する。投資家や証券会社も、次のハード戦争は「任天堂有利」と見ている。現に任天堂株価は大高騰し、この1年間で約2倍になっている。

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