第7回 起業家の隠された動機とリスク

 先日、経済産業省の傘下の財団法人ベンチャーエンタープライズセンターがDreamGateという起業支援のしくみを発表しましたね。

 この動きも、いかに日本が起業家を必要としているかのあらわれだともいえます。DreamGate は、プロデューサにリクルートの起業雑誌「アントレ」の野村滋前編集長をスカウトし、なんと宣伝にはあのK−1のボブ・サップまでつかって、かなり派手にやっています。助成金をふくむ全体の予算も相当つけているようです。このように国も起業家の出現を待ちのぞんでいるというわけです。

 前々回、優秀なビジネスマンの起業動機は「やりたい、と情熱的に思えるビジネス機会にめぐりあい、それを実現したいこと」と書きました(前々回へ)。もちろん、それはストレートな動機です。やりたいと思うからやるのです。

 そして前回、起業家は資本主義に不可欠な存在で、特に目下の日本社会は起業家を渇望している、だからなおさら「我こそは!」と思う自信のある人に挑戦してほしいと訴えました(前回へ)。これほどまでに、世の中から「ぜひ起業家になってくれ」という声が盛り上がっているのです。それは外野からの声です。

 しかし最近の起業動機には、もうひとつ重要な、個々人の内部からの声を契機とした側面があるのではないでしょうか。

不完全燃焼の人生はイヤだ

 それは、日本の大企業にいても官庁にいても、過去の典型的によいとされていた人生設計を描きにくくなった、という事情です。いわば裏面の動機です。

 戦後から90年代初頭までの高度成長時代には企業の発展とともにポストも増えつづけ、充実したサラリーマン人生をまっとうできたのです。忙しくも充実した会社人間の時代だったといえましょう。しかし、90年代初頭を境に時代はかわりました。日本経済は完全に低成長の時代にはいり、それまでのいろいろな「常識」「前提」が崩れ始めました。

 仮に雇用は当面安全であっても、多くの大企業では守りの仕事、後ろ向きの仕事ばかりで日々が楽しくない、あるいは、自分が腐っていくというリスクも増大しています。そんな中、優秀なサラリーマンをやめて起業する人の動機の多くは、いわば人生の不完全燃焼状態を避けるということです。働き盛りの30代で不完全燃焼しているなどというのは、本人も不幸であるだけでなく、国民経済の観点から国家的損失ともいえることです。

官僚主義・大組織病に嫌気

 大企業や官庁にいる機知に富むアイデアマン的な人材は、とにかくやりたがりやです。こうすればいいのに、ああすればいいのに、とアイデアがどんどん浮かぶ。しかし、なかなか実行できない。大企業特有のヒエラルキー、前例踏襲主義、悪平等ともいえる報酬体系、それらに嫌気がさしてきます。そして、「こんな道理の通らぬ組織はいやだ。大空に自由にはばたく鳥のように生きたい」と夢想しだしたら、起業願望の芽生えといえましょう。そうです。自由にやりたいのです。起業家人生は、自由へのあこがれでもあります。それと引き換えに自分の目の前の安定を捨てるのです。しかし、考えてみればいかなる大企業といえども、マクロ的・長期的にみれば安定などないのだと悟りを開けば、起業も怖くなくなります。

リスクの範囲は?

 起業しようかどうしようか、というときの、想定する個人的なリスクの最たるものは、「果たしてそれで食えるようになるところまでいけるのか?」「失敗して倒産したらどうしよう?」ということでしょう。

 ずばりいえば、もし十分な調査の上にきちんとしたビジネスプランを描き、自己資金に加え投資家を説得してその立ち上げに必要な資金が調達できたなら、挑戦権だけは得たと考えてください。あとは勇気をもってやるかどうかの選択になります。それはとれるリスクの範囲だと思います。金銭でいえば、自分のポケットからだした資本金がリスクの範囲です。そして、創業し、なんとか事業を立ち上げるのに全力を挙げるのみです。

 逆に、自分のビジネスプランに投資家がついてこないのなら、挑戦権がまだ得られていないと考えるべきでしょう。つまり事業アイデアに魅力がないか、自分の力がどこか足りないということです。にもかかわらず起業しようというのは、無謀といえます。なかには出資者がいないために、個人保証をいれて金融機関から借金してでも創業する人がいます。担保も実績も信用もない創業時には、金融機関は融資には必ず個人保証を要求してきます。しかし、個人保証をいれて借金しての創業は思いとどまってください。失敗後に債務が残る形の起業は、すぐに資金が回転しだす簡単な商売ならともかく、本格的な起業にはおすすめできません。仮に失敗したとき、融資ですとみぐるみはがされ、次に再起することが難しくなってしまうからです。また、自己破産すれば、次の起業は法律的に数年できません。「いや、俺は背水の陣でやるので、それでいいのだ」という人もいますが、私はエリートビジネスマンはそこまでのリスクはとれないのが普通だと思います。

 唯一借金していいのは、万一のときにはあきらめてくれるような親兄弟くらいでしょう。これからの起業スタイルは、自己資金は手持ちの範囲にし、あとの必要資金は融資でなく、他人からの出資によってまかなうのを原則にすべきです。実は世の中には、よい投資先を探しているお金持ちはたくさんいます(出資者の探し方についてはあとあと述べます)。

大企業にいるのとたいしてかわりないリスク

 起業してはみたものの、まったく事業としてなりたたず閉鎖になった場合、当然ながら失業状態に陥ります。しかし、かんがえてみると、大規模なリストラ・人員削減の新聞発表は日常茶飯事ですし、山一證券や北海道拓殖銀行・日本長期信用銀行のように会社が消滅してしまったり、合併・吸収等でまったく違った会社になって不遇におかれてしまうことだって、いまや珍しくないのです。大企業にいても失業するときはするわけですから、起業して失敗する場合とリスクは結局たいしてかわらないのです。もし定年を一種の強制的失業とみなせば、起業家のほうが失業リスクは低いともいえます。そして、失業したらしたで、みんな何とかしているのです。失敗した起業家は、修羅場をみたという経験によってタフになり、その後の職業人としてより使える人になる人が多いようです。こういう時代ですから、企業もタフな人材を求めているのです。私のまわりにも倒産後、むしろ次の就職時に起業(およびその失敗)経験をアピールポイントにして、いい転職をした人がいます。また、よりタフなら、もう一度起業に挑戦する人もいます。

 実際、これほどの失業率の世の中でも飢え死にするわけはないではありませんか。起業には、「自分ならきっと成功するだろう」という自信・自己信頼と同時に、「失敗したってなんとでも生きていけるさ」という楽観主義が必要です。最低限、あなたが気力・体力とも失わず、希望を捨てなければ、いくらでも生きていく道は見つかります。

 というより、表面的な失敗は、実は深い意味において失敗ではない、という見方さえ成り立つのです。その意味はおいおいご説明します。

(以下つづく

「起業家というキャリア」は毎週木曜日の更新予定です。


筆者プロフィール
西川 潔
ネットエイジ 代表取締役社長
KDD、米国コンサルティング会社、AOLジャパン などを経て、98年2月、ネットエイジを草の根的に創業。 インターネットビジネスの企画・開発・運用を通じ、ビジネス インキュベーションおよび、投資業務を手がける。現在までに12のビジネスをおこし、M&Aで4社を売却。また、99年に 日本中を席巻したビットバレー構想の発案者でもあり、常に起業家主導経済の重要性を説く。東京大学教養学部卒

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