ただ、Androidそのものがどれほど勢力を得られるかどうかは別にしても、PCの領域でかつて起こったようなオープン化の波がついに携帯電話端末にも到達したことは明らかであろう。すでに30億人以上が利用するといわれている携帯電話は、その普及と同時にコモディティ(日用品)としての性格付けが強くなってきている。
より詳細に見れば、BlackBerryやiPhoneに代表されるハイエンドな高価格製品が数多く登場してきており、コモディティ製品との二極化が進んでいるが、Androidはコモディティ製品により大きなインパクトを与えるに違いない。コモディティ製品として避けるべき高価なハード開発を必要とせず、ソフトウェアによる多様な機能提供を可能にしていくのだろう。
加えて、Androidの適用領域は、携帯電話だけに限定されるものではないに違いない。Androidでは、通話機能もアプリケーションのひとつして定義されており、「電話」という概念は、そこでは必ずしも基盤となっていないからだ。むしろ、バッテリーで稼動するなどリソースが限られた移動体通信端末機器や、ネットワーク接続が可能なすべての端末へ適用できるものとなっている。
しかし、なぜGoogleが単に携帯電話のアプリとして検索サービスを提供するだけにとどまらず、移動体通信端末すべての機能を司るソフトウェアアーキテクチャの提供までを行う必要があったのか。
Googleが目論む「すべてのものを検索する」ためには、そのすべてをデータとして取り込まなければならない。そのためには、移動体通信端末は必須のツールとなる。人々が移動体通信端末を介して交わすメッセージだけではなく、データ端末やセンサからの入力までもその対象となるはずだから。
そのとき、僕たちの目に見えないAndroidによって取り込まれたデータは、いったい誰のものとなるのだろうか。プライバシーやパブリックという概念が、現実社会においてすら脆弱な存在であることは、僕らは肌に沁みて分かっている。が、この現実の価値観を共有する世界とは異質な、データのみから構成される存在にとっては、いよいよ意味のない排除されるべき概念にもなりかねない。
Googleというプレーヤーの一挙手一投足にあまりにとらわれるよりも、重要なことがあるだろう。僕たちはリアルとバーチャルの境界線を曖昧にするAndroidの登場に際して、気が付いたら巨大になっていたGoogleの存在に恐怖した感情の根源にあるものは何かを、改めて考えてみるべきではないだろうか。
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