ライブドアショックの波及する先 - (page 2)

金融規制の一貫性

 とはいえ、周辺企業を取り込み、結果、自社が保有していない様々な資産や強みを獲得し、目指すべき企業イメージ=あるべき姿へ近づくというとき、その到達する頂が見えていないとすると、その過程そのものが目的となってしまいがちである。

 企業買収によって事業面での強みを得ることで価値を生むのではなく、企業買収そのもので価値を生じさせるといった本末転倒な行動は、やはり否定されてしかるべきものではある。ただ、それが「企業買収」「投資事業組合」「株式分割」など、個別には決して否定できない正しい行為であり、それらを組み合わせた際の意図にこそ問題があるとなると、その認定は難しいものとなるのではないか。

 再度、言おう。決してライブドアの手法を肯定する意図はない。しかし、前述したような個別の行為をもって問題とすることには違和感を持たざるを得ない。ただ、それら個別の行為を組み合わせ=システム的な行動の違法性をどのように指摘するかという点において、我々は社会制度的な面で成熟していなかったのではないか、と反省をする必要があると指摘したい。

 具体的には、検察による指摘に先行して、ライブドアは会計などの各種監査や税務といった企業行動の適切性をみる個別の「テスト」には、ことごとくパスしてきたはずだ。もちろん、それぞれの「テスト」の妥当性を評価する必要はあるだろう。しかし、それらが組み合わされたとき初めて発生する問題を事前に指摘するしくみが存在しないとしたら、「つい、うっかり」を完全に否定することはできないのではないか。

システム的な問題

 最近、世間を騒がせたマンションなどの耐震構造欠陥問題についても、同様の指摘が可能だ。審査機関が本来期待された役割を果たさず、ずさんな構造設計における意図的な欠陥を指摘できなかったのだ。

 この問題は、「意図性」という点で、特定の個人や企業にその問題発生の根拠を帰属させることはできよう。しかし、その意図が、システムが機能していないことに着目して発生したものであるとしたら、それを是正する必要があったはずだが、むしろ盲点を拡大する方向に規制緩和の流れが行ってしまったことを指摘する人は多い。

 であれば、ライブドアショックはどうなのか?まったく同じというわけにはいかないだろう。しかし、システムとして問題を指摘する機能が欠落していた、という点は共通するのではないか。また、新興市場という仕組み自体が、構造欠陥問題における審査機能の規制緩和で発生したものと同じような問題を孕んでいたのかもしれない。

 これらシステム的な問題の発生を事前に阻む仕組みの整備は急務であろう。

経営者の倫理観の育成よりも必要なこと

 もちろん、それ以前に経営者として持つべき倫理観が欠落していたと指摘することは簡単だ。が、しかし、その倫理観はいかにして養成されるべきなのだろうか。

 これまで日本は家族制度的な企業形態をとり、その内部で育つ人材は長い時間をかけて様々なスキルを獲得することが求められてきた。が、果たしてそのプロセスで「経営倫理」は育成されてきたといえるのだろうか。もし、既存企業であってもそれらの育成がなされていないのだとしたら、ライブドアのような若い企業にそれが欠けているという指摘は困難ではないかと感じる。

 むしろ、第三者との対立による葛藤関係を意図的に導入し、その関係そのものを更なる第三者が監視するという、現在も存在する体制の見直しを行うことのほうが容易ではないか。ただし、その葛藤と監視のプロセスには、一貫性の確保が必須である。それには、一部分のみで還元されるのではなく、全体の有機的な運営を実現する柔軟な機構の確立が肝要だろう。

 期待するに、それは一撃で対象を破壊し尽くすものではなく、再起を可能にするものであってほしいのだが。

 システム的に発生する問題を安易に片付けることなく、特定のプレイヤーを排除するだけでよしとするのでもなく、そして、特定の手法を制限するなどの過剰な態度を形成することもなく、全体としてあるべき姿を見つめなおすきっかけとなることを望みたい。

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