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07年冒頭に(2):エッジの経済とPSR(Personal Social Responsibility)

2007/01/06 23:55
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プロフィール

渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
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インターネット型の(という表現も実に曖昧であるが)ネットワークの普及が進むと世の中何が変わるのか。何年も前から気が向いたら取り出して考えているテーマだが、デジタルガレージ主催で秋に開催されたTHE NEW CONTEXT CONFERENCE 2006の中軸テーマがまさにこのテーマを真ん中から打ち抜いたものだったことから、これ幸いと整理する頻度を上げて各所各氏と議論を重ねている。

なお、カンファレンス当日のアジェンダとゲストは上記のイベント紹介のサイトを参照すると今でも見られるが、このような顔ぶれとなっている。

また、イベント全体を端的に示したレポートとしては林信行さんのnobilog2の一言が簡にして要と言える。

N新聞のK編集委員「これはPC FORUMだね」と言っていたけれど、まさにそんな雰囲気。
 
今、IT業界から見た世界の流れを知る上で、それも川の浅いところではなく、深いところで起きているsubstantialな変化、5年あるいは10年あるいはもっと先の未来をも変えうる変化を知る上で、ぜひ見ておくべきカンファレンスの1つだったと思う。
こういうカンファレンスが日本で、日本の聴衆向けに行われたのも素晴らしいと思う。

明日すぐ使えますという即効性のは無い代わり、長期で大きく外さない視点を提供しようという場面はそうたくさんあるものではない。価値に気づける人はたくさんはいないかもしれず、且つ毎日のように向き合うテーマでもないが、こうして機をみて定期的に思い出すのは非常に良い。
 
 
エッジの経済
 
エッジの経済という表現には一般的に定められた定義は無い。よって、周辺事例も含めて整理してみたい。
 
◇インターネット
 
まずは、それそのもの。元々、音声通信のために作られた電話交換機のネットワークは、端末Aから端末Bに繋げたい=AさんがBさんに通話したいというオーダーを受けて、端末間を繋げる仕事を中央集中管理している形になる。厳密には完全に一箇所で全て捌いているのではもちろんないが、インターネットと比べる範囲では中央管理の形と言って良いところになる。
 
インターネットは、ご本尊のヴィント・サーフ氏が手紙の比喩でパケットを説明しているように、端末Aは「端末Bに届けてください」というメモを付したデータをネットワークに流すと、各所に設けられたルーターがそれっぽい方向に投げてリレーされるうちに伝言に伝言を重ねて最後は届くという仕組みになっている。また、基本的にはルーターが行うのはデータを届けるという処理だけであり、それがテキストか音声か画像かプログラムかなんてことは考えない。もちろん、ウイルスかどうかもスパムかどうかも、検疫の機能を付けてない限り何も考慮することなく、とりあえずデータをそれっぽい方面に向かって届けるべく動くようになっている。送るデータ、あるいは来たデータが何なのかを考えるのかは端末側となり、ネットワーク側はあまりたくさんのことを考えずに済む仕組みとなっている。
 
つまり、電話交換のネットワークに比べて、インターネットは中央ではなくエッジ側の方が複雑な処理をする発想で作られていることになる。
 
 
◇(日本の)リテール金融サービス
 
個人向けの金融商品の開発の歴史も面白い。また、情報技術との相性の良さもあって、オンラインのサービス設計をするのにヒントが山のようにある。
 
物凄く簡略化して整理することになるが、一般人の感覚で捉えると、土地バブル前後の頃までは個人のアクセス出来る金融商品と言えば預貯金と債権、ちょっと踏み込んだ人が株取引をしているというくらいが関の山だった。
 
間接金融を基本として制度設計されていたこともあり、事業金融の仕組みは(財政投融資は一旦忘れる)銀行に集められた資金がメインバンク制を経由して企業に低利で貸し付けられ、高度経済成長の一因となっていた。
 
これは裏返せば、個人の側に資金をどこに振り分けるか、どのような産業セクターを重視するか、どの企業を大事に考えるかという選択権があまり無かった状態と言ってよい。また同時に、様々な金融リスクを何も考えなくても良い立場にいたとも言える。
 
その後、金融の事業者間での商品の発達(デリバティブや派生商品、様々な取引のストラクチャー)の発展も一部受けて、一部にはヘッジファンドやプライベートエクイティも含めて、個人向けにも高度な金融商品が提供されるようになってきていた。オンライン証券もかなりの事業規模に成長し、外貨から投資信託から、いまでは銀行の窓口でも気軽に買える状況になっている。
 
つまり、ユーザー側に多くの選択肢とパッケージが提供されるようになり、どの程度のリスクを取るって管理するのかを選べるようになっていった。リスクと機会を全て中央側=銀行が整理管理していたところから、ユーザー側が細分化されメニュー化された組み合わせを選べるようにはなってきていると解釈出来る。エッジ=一般消費者の側に選択と可能性が提供されるようになってきている。
 
ローレンスレッシグが『CODE』で整理したように、この状況が何かを提供されているように思える反面、真綿で首を以前よりも深く絞められていると解釈した方が良いのかは本稿では範囲外とする。いずれにせよ、やれることの幅が広がった(ように見える)のは間違いない。
 
 
物事の両面
 
何か物事が変化する際、都合の良い側面だけ実現すると言うことはない。仕組みが変わるというのは、概ねトレードオフの仕組みを再設計していることが多く、総量としては良い方向に向かっているとしても、一部は前よりも使いづらくなっていたり不便さが増していたりというのが一般的になる。都合の良いところだけつまみ食いをすることは普通出来ない。ポジティブとネガティブ、権利と義務。両方がセットでやって来る。
 
物事の処理のポイント、重心がエッジに移ると言っても当然何もかも便利で喜ばしい風と考えるのは早計となる。例えば、ネットに関連すると、デジタルデバイドといった言葉は早いうちに生まれており、ネットワークへの参加の可能性を初期に失っていると社会的に不利な立場に置かれるので政策レベルで初期条件については解消しておくのが望ましいのではないかという議論が連綿と続けられている。
 
その他、メディアと人権といったテーマにしても、先日自殺報道のところで少し触れたようにメディア機能が分散するとガイドラインの保持は難しくなる方に針が触れる。分散的な管理対処の仕組みが発案されない限りは流れは止めようが無い。
  
 
CSRの流れ
 
考えれば考えるほど範囲が獏と広く拡散しがちなところなため、具体的な結論なりが出ているものではないが、アジェンダの整理くらいは進んでいる。そのうちの一個がSocial Responsibility、社会的責任の分野となる。
 
世の議論は、資本市場と会計制度の分野で企業の社会的責任、Corporate Social Responsibilityとして語れているのが軸となる。あるいは、個人の分野だとLOHASのようなトレンドを紐づけても良い。
 
CSRの動向を日本総研のサイトから引っ張ると、

近年は、従来とは違った角度から企業の社会的責任が議論されています。その背景には、「マルチ・ステークホルダー・エコノミー」と呼ぶべき新たな時代の到来があります。企業と何らかの利害関係を有する主体はすべてステークホルダーです。

ステークホルダーには、顧客、株主、従業員のほか、取引先、地域住民、求職者、投資家、金融機関、政府など、実に多くの主体が含まれます。企業にとって、これらのステークホルダーそれぞれとの関係をこれまで以上に大切にし、具体的かつ実効性のある配慮行動をとることの重要性が増しているのです。その結果、現代企業に求められる社会的な責任は、従来の経済的あるいは法的な企業の責任を大きく超えた概念にまで広がったと言えます。

顧客と競争相手、加えて投資家と従業員を中心にした企業のステークホルダーイメージから、地域社会や取引先なども積極的に含めていこうという潮流はマーケティングやブランドマネジメントの分野でも言われるようになっている。CSRという言葉はこれらをまとめる形で投資家側のコミュニケーションを強化するところと制度的に会計と資本の動きを絡めて埋め込んでいく形になろうとしている。

エネルギー問題もそうだが、資源限界も具体的に語られるようになってる昨今、経済の長期的な維持のためには環境と資源のバランスを取って活動を再設計しないと、早晩地球は食いつぶされることになる。仕組みとして実装するにちょうど都合が良いのが企業という単位なため、国の政策調整と並行して議論が矢継ぎ早に交わされていることになる。
 
 
PSRとは
 
以上、長すぎる前振りからようやく本題。
 
要するに、エッジ側に物事が動いてくとなると、選択肢と権利と同時に、責任もひっついて来ることになる。それは表現するなら例えば個人の社会的責任、Personal Social Responsibilityとでも呼ぶべきものになる。数十年経つとまた揺れ戻しがあるかもしれないが、流れとしてはこの方向を模索してるように世の動きは思える。
 
経済活動の重心が移り、企業はツールと状況、メニューを提供し個人が運営運用を行うようになってくるとしたら、個々人の個別の判断の積み重ねが社会の形を作っていくようになる(もちろん、これまでも社会的な決定は個人の意思決定の集積として作られるため、本質的には変わらないが、個別具体的な日常の場面の隅々までいきわたるようになるのが違いとなる)。
 
例えば、どういう企業が世の中にとって望ましいかは、以前は銀行の経営方針や審査の方針で決まるところが多くあった。しかし、直接金融で個人資金が流れ込むようになると、途中でファンドがエージェントとして動く割合が増えるというのを考慮しても以前よりは個々人が直接企業単位で望ましい形を選んでいけるようになる。
 
つまり、ピンポイントで具体的な形で社会の形を決める役割と責任を負うことになる。
 
とはいえ、社会的に実装するとなると、企業のようにモニタリングの仕組みが作りづらいこともありどういう形になるのかはいまひとつ読めない。例えば、企業が進めているコンプライアンスや内部統制の動き、ディスクロージャーと監査、いざというときの開示の強制の仕組みをそのまま個人に持ってこようとすると、プライバシーや国家による個人の人権侵害という憲法レベルの問題に即ぶつかる。まったく同じことは出来ない。
 
ひとつ考えられるのは、何かを選んでいると思ってるようで、実質骨抜きにされた状態で個人の側には選択肢が提供されているというシナリオ。大きくは、この形で処理されていくだろう。そうでないと、制度運用を考えるとひたすらややこしくなる。 
 

 
そんなこんなで明確な答えの出ない問いを時々転がしている。青臭い表現を取ると、”私たちはどのように振舞うのがよいのか”とでもなるのだろうか。狭義の政治参加を高尚なものと捉える世代でもなく、天下国家より日常の方に懸念事項を感じる方がマスのボリュームを取るようになっていることもあることもあり(ひとまずは豊かな国になったということでもあろう)、真正面切って語るのもやり方が違うという感触がある。
 
しかし、捉え方はどうあれ、物事を整理するに面白い視点の取り方になるのではないかとの仮説は強く持っている。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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