お使いのブラウザは最新版ではありません。最新のブラウザでご覧ください。

CNET Japan ブログ

ネットの普及とメディアの変化

2005/05/10 08:27
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

プロフィール

渡辺聡

インターネット/IT分野で事業開発に携わる渡辺聡さんが、注目ニュースなどを題材に、そのニュースの背後にある本質的な変化とその先行きを、経済や社会との関わりの中で考えていきます。
ブログ管理

最近のエントリー

ライブドアの件があったからというものでもないが、休みの間に幾つかのテーマについて全体整理を行った中にネットとメディアというのも放り込んでおいた。実感出来たのは、かなりベーシックなところまで戻って考えを整理する必要があるということ。

ベースとなるところをご紹介しつつ少しまとめてみたい。
 
 
経済学的アプローチ
 
まず、H-Yamaguchi.netの「情報財の計画経済と市場経済」。本格的にやるとBlogの一エントリでは済まなくなるが、山口さんのやりたかったのは

メディアに流れる情報を情報「財」ととらえて、経済学的に考えてみたらどうか、ということだ。経済学というのはよく金勘定ばかりと誤解されるが、本来の役割は社会の中における資源配分のよりよい方法の探究だ。情報も人間にとって有用という意味で「財」であり、そのよりよい配分(というか、伝達だなこの場合)のやり方は経済学的な考え方でとらえることができる。法を経済学的なアプローチで考える「法と経済学」という分野があるが、メディアも経済学的に考えていいと思う。

というスタンダードな経済学的アプローチ。メディアごとの情報伝達コスト(伝達効率)の比較は度々為されているが、これだけ議論に挙がる公共性の議論は取り入れられない。

メディアにおける公共財については、綺麗にまとめられている。

「市場の失敗」にもいろいろあるが、ここで関係しそうなものとしては、まず「外部効果」がありうる。その情報財が、実はその市場の中では値付けされない重要な価値をもっていて、その価値を勘案できればもっと高い「値」がついてもいいはずなのにそうならない場合だ。だから供給が減ってしまう、それが問題だということになる。それから「自然独占」もありうる。情報財は複製コストが安い、つまり限界費用が低いから自由競争に任せれば自然独占へと向かう、だから少数にとどめて管理する必要がある、と。

供給者の数が少なかったのは、携帯電話と同じく電波が限りある資源であるために、濫用されないように、使用権の配分を行政側でコントロールしたことがスタートラインとなる。

しかし、ケーブル、衛星、デジタル放送技術の発達など多チャンネル化の環境が徐々に整いつつあることから、官の管理下におく理由も薄れてきているのが、ここ十年ほどの大きな流れとなる。キーとなる資源の希少性ではなく、引用文の自然独占の議論が成立しやすくなっていることになる。

ネットの伸びが影響するのは、配信コストの構造が変わったためとなる。

自然独占が成り立つのは、財が均質でどれをとっても同じ場合だ。だから規模の経済が働き、独占へと向かう。しかし情報財は、少なくとも今の日本のように発達した社会では、そうではない。好みは多様化し、細分化している。どこかの国のようにお仕着せの情報で満足せよ、とはいかないのだ。そうした中で、情報財の流通においてまだ既存メディアによる「寡占」が成立しているのは、財そのものの性質からくるというより、「ラストワンマイル問題」を含めたコストの要素が大きい。つまり技術的制約に起因する規模の経済だ(その意味では、これまで情報財の流通に関する限界費用は決して安くなかった、ともいえる)。それがネットの技術により大きく変わった。

ラストワンマイル問題は、ISDN、ADSL、光とブロードバンド化が進む過程で幾度と無く話されている議論だが、ある程度の通信インフラが整ってくると電波の縛りが無くなる分、寡占は解けやすくなる。特に可能になるのは小規模事業者の参入。デジカメ/ビデオで何か撮ってウェブに上げるというくらいであれば、個人でも数十万出せば家庭用の機材とソフトで出来る。ブランドや認知、大量アクセスをさばく能力などを除くと大手事業者と個人の差は昔ほどない。

もちろん、メディアの議論は経済学的に読み解いてお終いというものではなく、ジャーナリズムや中立性など費用対効果の世界だけでは語れない部分がある。「情報財の計画経済と市場経済」ではこの点についても踏み込んで論じられているが、こちらは直接お読み頂くとして。
 
 
グーテンベルグの銀河系
 
この構図はネット黎明期の議論と非常に重なって見える。(言語の問題を除けば)理論上全世界の人にアクセス出来るというのは、95年頃散々語られた。というところで、もうひとつご紹介したいのが、ひとつのスタートライン(の表現)として、度々振り返っている、板倉雄一郎氏の「ネットとは?」。

結論から書きましょう・・・
もし、ネットの出現と社会への浸透が、社会にもたらす影響について、過去の何かに似ているとすれば、それは、産業革命などではなく、グーデンベルグの活版印刷の発明による革命です。

製作と流通のコストが劇的に低くなったのが聖書の印刷から個人出版に至るまでの流れと似ている・・・という補足は蛇足ですね。

基本構造が旧来のメディアから、インターネット型にシフトしていくのなら、歴史が繰り返されるのなら、今後起きることはこのようになるはず。

これまで、たくさんの企業や企業家が、ネットの支配に奔走しました。
しかし、誰一人として、それを独り占めすることに成功していません。
誰かがネット上の独占的地位を築きそうになると、すぐさま、他の誰かによって、逆襲されてきました。

既存事業者が産業構造上維持できていたポジションは、産業構造が変われば維持できなくなるはずであり、以前まとめた「オールドメディアによるハイテクニューメディア買収」などをケースとしてメディア事業者の側の情報化が少し早く始まった米国では既に表から見て分かるくらい形が変わっている。

ネットがテレビを駆逐する、メディアの民主化が始まるといった単純な筋書きに落ち着くことはないにしても何も手を打たないと事業が成り立たなくなるのは、既に地方紙専門紙を中心に出ている症状となる。

どう変わるのか、について広告宣伝の側からのアプローチもあるが、また改めて。

追記:
板倉雄一郎事務所のBlogでValuationのツールが公開されてますね。正統派の企業価値評価のツールは日本語ではあるようで見たことないので、助かります。

※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。朝日インタラクティブ および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
運営事務局に問題を報告

最新ブログエントリー

個人情報保護方針
利用規約
訂正
広告について
運営会社